mein novel
□◇ハッピーエンドで終わりじゃない◇下
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美咲はレイアスの手を握った。
丘陵の向こうに太陽が西へ西へと沈み行く。
「レイアス…。私ね、もうこれ以上自分の気持ちに嘘をつきたくない。だから最後に言っておきたいことがあるの」
そう言った美咲をレイアスはゆっくり見つめ返した。
美咲の瞳は、今にも泣き出しそうな、色を宿していた。
舞踏会の後と、まるきり同じ状況だった。
「レイアス。…ごめんね」
まるで、少しでも触れれば消えて無くなりそうな儚さ。
「私レイアスが好きだよ。ずっと好き」
レイアスは自分の胸が何かにぐっと握り絞められたような感覚に襲われた。
そっと胸に手を当てる。
“クルシイ”
この感情を、どこかで知っている。
それは、遥か昔好きになったあの人が、笑顔を見せてくれた時と同じものだった。
それで、いつになくうろたえた自分自身がいた。
余計な感情を押さえて生きて来た自分にとって、それは全く久しぶりのものだから。
レイアスは、あの日、もう恋はしないと誓った。
あの人が逝ってから、この先もう二度と誰も好きにならないと決めた。
そう心に言い聞かせて、心はもうとっくに凍りついたはずなのに、伸ばした指先は彼女を求めていた。
「今までずっと独りでいた。姫君に言寄られた事もあった。けれど誰の事も特別に思わなかった。…いや、想ってはいけなかったんだ。だから、美咲といると余計な感情に流されそうになる」
レイアスは自分自身に言いかけるようにとつとつと呟く。
それでも指先は美咲の頬へ伸びていた。まるで躯だけが、ぬくもりを欲しているように。
美咲は、自分よりもずっと柔らかく、ずっと暖かだった。
そういえばあの人も美咲と同じように温かだった。
『あなたにはあなただけの幸せがある。きっと出逢うわ。私で無い他の大切な人と』
あの人が言った言葉が胸を過ったが、振り払うように首を振った。
「…美咲の側にはいられない」
自分が選んだ彼女への言葉。
「それがレイアスの答え?」
美咲の視線を感じたが、レイアスは今度こその目を見返さなかった。
これでいい。
レイアスはハッピーエンドで物語を完成させることによって世界を構築することが目的であって、自分が幸せになる必要はないだろうから。
美咲は少し泣き出しそうな顔をして、微笑んだ。
「うん…そうだよね。世界を壊さないため、だもんね。『シンデレラ』のためだものね。私、最後まで頑張るね」
彼女は自分に言い聞かせるように精いっぱい笑顔で言うと、草原から姿を消した。
美咲は眠りから目が覚めるように意識を戻した。
隣にはレイアスが眠っていた。
美咲は、そっと側を離れた。
書庫から出て、あの広いバルコニーまで来ると、石床に座った。
フラれちゃった。
私ってこんなに諦めが悪かった…?
試験でもなんでも、競い合うことで負けを認めるのは絶対に嫌だった。
(物語が終わってしまって、本当にお別れしてしまうまで、まだ諦めたくない)
私はまだ、きっとレイアスを望んでいる。拒まれても苦しいくらい、こんなにも。
(私はずるい。イリスと一緒にならなきゃいけない運命を拒んでる。レイアスを諦めるって覚悟を決めたのに…)
リサがいたらきっと言うだろう。
『そんな男こっちからフリなよ』と。
「あら。また一人で泣いていますの?」
顔を上げると勝気な笑顔に出会う。イリスの妹姫イサベルだった。
「イサベル」
「ご一緒してもよろしくて?」
彼女は小さく微笑んで美咲の横に座った。
「羨ましいわ。あなたは堂々と恋ができるんですもの」
「床に座っていいの?ドレス汚れるわ」
「あら、それならあなたは?」
「…そうね」
2人は顔を見合せてくすくすと笑った。
「あなたの想い人はお兄様じゃないのね」
「…」
「図星ね」
「ごめんなさい」
「謝ることは無いわ。お兄様を見てるあなたの目は、恋してる目じゃないもの」
イサベルはうんと背伸びをして空を仰いだ。
「でもお兄様は、あなたの事を真剣に愛していらっしゃるわ」
「…私と王子様は定められた、運命だから」
「どういうこと?」
イサベルは戸惑って美咲を見返す。
「あなたの言っている運命がよく分からないけれど、妹として、他に好きな人がいるならお兄様をこれ以上悲しませないで欲しいわ」
「え…」
「あなたは本気でお兄様を愛していない。他に想う方がいるのに、それを押さえつけてお兄様の気持ちに無理矢理答えようとしている。違って?」
美咲は全て言い当てられて何も言えなくなった。
「あなたを見ているお兄様の目はとても、苦しそうよ。日がな一日中ぼんやりなさって魂が抜けたみたいよ」
イサベルは立ち上がって美咲を見下ろす。
そこにはプライドの高い王女ではなく、心から兄を心配する妹の顔がいた。
「お兄様の気持ちを知っていて、それを無下にするのなら、あなたはここにいるべきじゃないわ。あれではお兄様があまりにも可哀想よ」
イサベルの言葉はもっともだった。でもそれでも美咲とて、この運命を自ら望んだわけではない。
ただ、夢の中のレイアスに逢えたらと、切に望んでいただけだった。
導かれた運命の箱を開くと、そこにいたのはレイアスではなく物語の王子様だっただけだ。
でもよく考えるとそれはイリスに対してとても失礼なことだと気づく。
けれど、その気持ちに応えることは自分に嘘をつくという最悪な選択だった。
「定められた運命から逃れたいだなんて思うのは、あなただけじゃないのよ。わたくしだって、何度そう思ったか」
「あなたも?」
「わたくしには両親が決めた許婚がいるのよ」