捧げ物

□Agony
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帰ってきた弥子の体調がひどく悪そうなのを見て、ネウロはすっと眉をしかめた。
弥子自身は無理に明るく振舞っているようだが、げっそりとやつれた顔色は隠しようもない。

内心で舌打ちする。
ああ、人間はあまりに弱く脆い。
これでも定期的に弥子の体をスキャンして、異常があればさりげなく治すようにしていたのだが。

「―ヤコ。こちらへ来い」

手招きする。
少しの間躊躇い、しぶしぶといった様子で歩み寄ってきた弥子を思い切り引き寄せ、
頭、額、胸元、脇、腹部と体のパーツに一つずつ触れていく。

「ちょっ、何するの!?」

「何、とは…触診だが」

なぜか急に弥子の鼓動が早くなる。
人間は興奮したり驚いたりすると鼓動が早くなるのだそうだが、今の場合はどちらだろう。
…考えるよりも聞いたほうが早いか。
人間の感情はわからない。

「ヤコ、鼓動が早いぞ」

「…っ、当たり前でしょ!!触んないでよ、ちょっと、何してるの!?」

思ったとおりだ。腹部にわずかな異常を感じる。
少し触れただけでも怯むような動きをみせている。

少々777ツ道具を用い、弥子の体内をスキャンすると、通常よりもはるかに多い量の胃酸が分泌されていた。
これでは胃に穴が開く。体調がおかしくなるのも当然だろう。

腹部から手を離すと、弥子の鼓動が少し治まったようだった。
何か言いたげな視線を制し、断固とした声で「座っていろ」と命令した。
今の状態で動くのは弥子の体にかなりの苦痛を与える。

「いいか、少しでも動いてみろ。我が輩手ずから貴様に魔界的体験をさせてやろう」

「ちょっ、横暴!!」

「動くなと言っただろう」

ソファから立ち上がろうとした弥子の首筋に、刃物と貸した手を突きつける。
弥子は息を呑み、ようやく大人しく座り込んだ。

その間に素早くインターネットにアクセスし、入手した現在の弥子の身体データと似た症状がないか検索していく。
昨日までの弥子は全く普段どおりだった。つまり、この症状は突発性のものだ。
弥子自身の身体的特徴も脳裏に浮かべ、世界中の医療機関にハッキングをかけてデータを探していく。

結果は五分ほどで出た。

「…ストレス性胃炎、か」

恒常的に強いストレスを受け続けている人間に稀に現れる症状であるらしい。
身体がそれを外的攻撃と見なし、結果として胃酸が大量に分泌されるのだ。
通常は長期間にわたって少しずつ症状が進行するが、突発的に起こることも稀にあるらしい。
今の弥子は後者のケースだった。

つまり、弥子は現在、何らかの要因による強いストレスを恒常的に受け続けているということになる。
ひたすらじっと座り続ける弥子の顔を掴み、口の中に丸い錠剤を突っ込んだ。

「ちょっ、待っ、何これ!?」

「飲み込め。飲み込まんと殺す」

「!?!?わ、わかった、飲み込むから!!」

かなり嫌そうにしぶしぶと、弥子が錠剤を飲み込む。
その様子をしっかり観察して一息ついた。

飲ませたものはアルカリ性錠剤、魔界では他の生物の肌を溶かすために用いられるものだ。
とはいえ数千倍にまで希釈してあるため人体に害はない。
過多状態になっている胃酸をひとまず中和し、体に掛かる負担を減らそうという心積もりだった。

遅くとも30分後までには効きはじめるはずだ。
…それまでに、もう二度とこういうことが起きないよう手を打っておかねば。

何故、我が輩はこの小娘のためにこれほど必死になるのだろう。

考えたところでいつも答えは出ない。これは謎であって謎でない、ネウロにも解けない疑問だ。
あるいはこれこそが、求めてやまない「究極の謎」なのかもしれない。
だとしたら、ネウロ一人では解けない…弥子がいなくては喰えない「謎」なのだろう。

ひとしきり思考をめぐらせて弥子を見やると、少しずつ顔色がよくなってきている。
まだ薬を飲ませてから10分も経っていないというのに。
…流石、尋常ではない消化速度だ。とはいえ、安静にしておくことに越したことはないだろう。

「横になれ、ヤコ」

再び命令すると、今度は妙に素直に従う。
先程との差にいささか疑問を覚えながらも、戸棚から毛布を取ってきて掛けてやった。
こうすると人間は楽になるらしい。ヤコを見ていて覚えたことだ。

弥子の横たわるソファの前の机に腰掛け、そっと弥子の頬に触れ、聞いた。

「ヤコ。……今、貴様を苦しめているものは一体何だ?」


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