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□うたかたびと
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愛し合いながら殺し合うというのは、一体どんな感じなんだろうね。
独り言のように呟きながら、読み終えた薄い文庫本を傍らに置く。

見た目に比例して内容も薄っぺらな本だったようだな、それは。
大方世間で流行りのありきたりな恋愛ものだろう?
男の冷静な声が返ってくる。

確かにそのとおり。弥子は溜め息をついてソファの上に座りなおした。
それでも思考を止めることはしない。
心から愛した相手を、その手で殺さなければならないとしたら、一体自分はどのような選択をするのだろう。

そもそもそのような相手などいないのだから想像しようもないのだと自分に言い聞かせ、
浮かびかけた目の前の魔人の顔を脳裏から消去する。

第一弥子がこの魔人を殺せる状況が存在し得ない。
弥子は人間であり、16歳の少女にすぎない。
超人的な知能と膂力を持った存在と相対して勝利しうる可能性など、万に一つ、奥に一つもありえない。


しばらく思考の中に潜っていると、魔人が小さく、試してみるか、と呟いた。
意図を測りかねて顔を上げると、トロイに座っている魔人と目が合う。
彼はどこか億劫そうにも見える優雅な動作で立ち上がり、ソファの横まで歩いてきた。
変わらず無表情な瞳からはどんな意図も汲み取れない。

どういうこと、と問い返すより先に魔人が圧し掛かってきた。

仰向けに押し倒されながら、相変わらず唐突だね、と非難を込めて呟く。
そうか?そうでもないと思うが。よく言うよ。溜め息をついて手を伸ばした。

せめてもの仕返しに整った輪郭を指の腹でなぞってやる。
この男は弥子に触れてはくるが、自分が触れられることを好まない。
案の定不快そうにしかめられた眉間にも触れて柔く笑ってみせる。
拒絶するつもりではないのだと示してみせたつもりだった。
男もその意図は汲み取ったらしく、憮然としながらも唇を落としてくる。

それで、試してみるっていうのは?
本題から気がそれてしまっていたことに気づいて問うと、男はふむそうだなと呟いた。

そして徐に革手袋をはめたままの大きな手のひらを弥子の首に回してくる。
こういうことだ。

力は加えられていないものの、首筋を押さえる革の感触にはやはり圧迫感があって不快だ。
弥子はまた溜め息をついた。
こんなのいつものことじゃない、と言い返す。
にやりと笑う顔が憎らしい。

そのとおりだな、いつものことだ。だがいつもと違うのは我が輩が貴様を殺すということだ。
・・・できればいつものままがいいかな。
貴様が望んだのだろうが。
楽しげな顔のままで物騒なことを言ってのけるこの男には本当に苦労させられる。
下手に理詰めの言葉であるだけに反論もできないので尚のこと質が悪い。
だが今回ばかりは弥子にも言い分があった。

違うよこんなのじゃ試したことにはならないよ。
どうしてだ。
だってあんたは私を愛していないじゃない。

何の感情も込めずに淡々と言い切ると、男が珍しいものでも見るかのような目で弥子を見下ろしてきた。
緑の瞳に興味と関心がちらつく。

そうだな確かに我が輩は貴様を愛していない。だがそれが問題になるのか。
大問題だよ。前提がひっくり返るでしょう。
前提とは何だ。愛する者を殺すというそもそもの話。ああそれか。

こともなげに忘れていたと言ってのける。

あんた絶対遊んでいるでしょう。その通りだがそれがどうかしたのか。
嘯く声は相変わらず傲慢だ。弥子は匙を投げた。
人間の感情の機微を理解することなどこの男には土台無理な話だった。

もういいでしょ、退いてよ重いよ。疲れた声で言う。
男は楽しげにどうしてだ、と言ってきた。
私だってそう簡単に殺されたくはないの。どうしてだ。それ言うの三回目だよ。わかっている蛆虫め。
唐突な罵り言葉も耳慣れてしまった。

ふと、男の表情が急に真面目になった。
貴様はどう思う。声音にも真剣なものが混じる。
弥子は訝しく思いながらも、どういうこと、と訪ねた。
愛する者と生死の駆け引きをしなければならないとしたら、殺すか?それとも殺されるか?
弥子は小さく笑った。そんなの分かり切ってるじゃない。殺されるよ。
それはまたどうしてだ。四回目だよ。うるさい襤褸雑巾め。はいはい。

だって、殺されるとしたら相手に自分を残すことができるじゃない。
苦痛かもしれない後悔でもいい。自分の命を相手に背負わせることができる。
人を殺すということは、相手の命を背負うということだ。
相手が自分に近しい存在であればあるほど命は重い。押しつぶされてしまいそうなくらいには。
そんな重荷を背負って生きるくらいなら、相手に背負わせてしまいたい。
生きていたことを私がいたことを決して忘れられない人間が、この世界に一人はいるというのも悪くないじゃないの。


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