Short

□てのひら
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事務所が変わっても、忠実な秘書のあかねは変わらず壁際で事務処理をこなしている。

世界的な探偵に成長した弥子のもとには
今日もひっきりなしに依頼が舞い込んでくるし、
今はそれにプラスしてネウロの仕事の依頼も片づけなくてはならないのだから、
むしろ以前よりも忙しいくらいだ。

魔人が返ってきてからあっさりとトロイを譲ってしまった弥子には、
今は顧客用のソファがもっぱらの座席だ。

今日もコーヒーを片手にノートパソコンをせっせと操作しては今後のスケジュールを詰めている。
ちなみに魔人は現在吾代の会社へ出向中で、よって室内は静かだ。

興が乗ってきたのか、ヤコが鼻歌を歌いはじめた。
お、これは聞いたことのない曲だ。

あかねは密かに弥子の鼻歌を楽しみにしている。
世界中を巡っている弥子は思いもかけないような珍しい曲を知っていたりするし、
彼女自身の声も高めでよく通るので、聞いていて心地がいいのだ。

今日は日本語の歌らしい。
なかなかいい曲だな、と思いつつ聞き入っていたあかねだが、
曲がサビに入ったところでぎょっとして手(・・・髪?)が止まった。


「抱いたはずが突き飛ばして/包むはずが切り刻んで
/撫でるつもりが引っ掻いて」


J-POPにしてはずいぶんと過激な歌詞ではないだろうか、これは。
若干焦りながら聞いていると、歌詞はこう続いた。


「解り合えたふりしたって/僕らは違った個体で
/だけど一つになりたくて/暗闇でもがいている」


息を呑んだ。
分かって歌っているのだろうか、と考える。




この事務所のトップ二人の関係が変わったことは、何となく気づいていた。

弥子もネウロも何も言わない。
だが、例えば少女が魔人を見つめる視線や、魔人が少女に触れる手の優しさが違う。
二人の間の気配が、以前と少し質を異にしている。
穏やかさとぬくもりがある。
歳月を超えた絆と、相手に対する誇りに、確かな愛情の絆が加わっていた。


あかねはずっと前から二人が互いを見つめる視線の意味に気付いていた。

ネウロが自分の凶暴な独占欲に戸惑っていたことも、
弥子が報われない片想いに苦しんでいたことも知っている。

それでも言えなかった。
命をかけて少女を守ろうとする魔人と、全力をかけて魔人の期待に応えようとする少女。
二人の間にあるものは決して一方通行ではない。
だから、自分が余計な口をはさむわけにはいかないと思ったのだ。

だが、互いが自分の感情に気づくまで待とうとしているうちに、
当の魔人は本来の世界に帰ってしまった。

正直、少し焦ったのだ。
弥子のことを思って。

だが、彼女が最後に魔人に告げた言葉を聞いて、何も言えなくなってしまった。

胸を打たれた。
この二人の間に割り込むことは誰にもできないのだと思った。

それでも、心配なこともある。

どうしても越えられない壁が二人の間にはある。
年月が過ぎて成長した弥子に対し、帰ってきたネウロの容貌は何も変わらないままだった。

人間と魔人の差だ。

二人は違う生き物で、それはもう変えられないことだ。
もし弥子が人間でなかったら、あるいはネウロが魔人でなかったら、
二人は出会っていないだろう。

仕方のないことなのだ。

それでも、弥子はどんどん老いていく。
変わらないネウロと違って。



歌声に耳を澄ませる。


「ひとつにならなくていいよ/認め合うことができればさ」


同じフレーズを繰り返しながら、歌詞が少しずつ変化していく。


「もちろん投げやりじゃなくて/認め合うことができるから」


完全に分かり合えることはない。同じ生き物ですらない。
一つになどなれるわけもない。

それでもいいのだと。
お互いを認め合えればそれでいいのだと、投げやりにではなく前向きに。


「キスしながら唾を吐いて/舐めるつもりが噛みついて
/着せたつもりが引き裂いて/また愛 求める」


愛することの意味も知らなかった魔人の、
ほとんど暴力に近いスキンシップも平然と受け入れて強く成長していった弥子。

私の心配なんかいらなかったのだとあかねは思った。


「ひとつにならなくていいよ/認め合えばそれでいいよ」



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