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□A foul (side Yako)
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「・・・ネウロ」

返事はない。

「・・・ネウロ、寝てるの?」

やはり、返事はない。
帰ってきたのは静かな寝息だった。






A foul (side Yako)

むごく見えようが、彼は穏やかで力強く
使命を果たすものはみなそうだが、その苦しみは報われる。
(P.B.Sherry 『戒めを解かれたプロメテウス』より)






弥子は荷物をトロイの上に放り出して、ソファに横たわる魔人の隣に歩み寄った。
壁を見やるも、事務所の秘書が姿を現す様子はない。
どうやら彼女も昼寝の時間のようだ。

最近、増えてきた。こんな風景が。

ソファの横に膝を突いて、弥子はそんなことを思う。


以前の彼は、こんな必要以上の接近を許すようなことは決してしなかった。


けれど、今は。
人間と同じ睡眠時間を必要とし、人間の重火器にすらも防御が必要な体になってしまった今は。


生気のないその冷たく整った顔を見て、弥子は自分のスカートを握りしめた。

あまりにも自分は無力だ。
これからの『血族』との戦いにおいて、自分は単なる荷物にしかならない。
彼のような超人的な力も『魔界777ツ能力』も弥子は持っていない。
アヤ・エイジアの、あるいはHALの事件の中で見出した自分の力は、しかし血族の―
あの圧倒的な「悪意」の前においては何の役にも立たない。


―自分には彼を守れない。
―彼のために何もできない。


それを痛いほど思い知らされる―この無防備な寝顔に。


そうっと彼の漆黒の前髪を掻きあげて、冷たい額に手を触れる。
自分よりも若干低い体温に不安になって、そのまま彼の顔のパーツをゆっくりと撫でていく。


秀麗な眉。
人形のように整ったまぶた。
長い睫毛。
大理石のように滑らかな頬。
すうっと通った鼻筋。
薄く整った唇。
綺麗なカーブを描く顎。


輪郭をすうっとなぞるようにすれば、わずかに顔が顰められる。
その様子がおかしくて、ちょっと笑ってしまう。

もう片方の手で彼の黄金色の髪に触れる。
柔らかい絹のような手触り。
思わず両方の手で包み込むように彼の頭を撫でる。
暖かい。
その暖かさが彼の生きている証拠のような気がして。


彼は気づいているのだろうか。
今なら、取るに足らない存在であったはずの人間さえもが彼を殺しうるのだということを。
今の彼なら、なまくらな刃物がその身に突き立っただけでも傷つく。
銃弾を身に受ければ、血だって流す。

―あるいは彼にとって「ワラジムシ」にしか過ぎない弥子でさえ、彼を殺せる可能性があるのだ。
万に一つの可能性であるにせよ。


彼の手を見る。
普段は弥子の頭をつかんでは振り回す手。
今は生気なくだらりとソファの上に投げ出されている。


サイとの戦いを思い出す。
悠然と事務所に帰ってきて、思わず安心してしまった私の前に、彼はいきなりこの手を投げてきた。

「疲れたので我が輩は寝るぞ。ヤコ、つないでおけ」

思えばそのときも私は、こうして彼の寝顔を見つめていた。


思わず手をとって、引き寄せた。
常に着けているその黒皮の手袋を外してみる。
今は刃物の形はしておらず、やや筋張った大きな、男の人の手の形だ。

手首にうっすらと透けて見える静脈。
ああ、こんなところも人間と変わんないんだ・・・。


ふと、彼の手首に自分の人差し指を当ててみた。
ゆっくりと、人間の何十分の一も緩やかな速度で打つ、彼の脈を感じる。
反対側の手を自分の左胸に当てて、二つの鼓動の調和を待つ。


―あ、今、重なった・・・


「ネウロ」


どうやら、私は私自身が思っていたよりもずっと、あんたのことが大切みたいだ。
失いたくないと、思っているらしい。

あんたの鼓動を聴くために、こうして全神経を集中させて。

ほんの幽かなその音を感じ取るたびに、あんたが生きていることを感じとれた気がして、
こんなにも心が温まる。





「ねえ、ネウロ」






 あんたにとって、私って、なんなのかな・・・?















「大切な、奴隷、だ」






え・・・・・・・・・?


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