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□第二章  帝【ばけもの】
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第二章  帝【ばけもの】
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして(在原業平)

 やたらと体にまとわりつくこの重い束帯には未だ慣れない。頭の皮をがちがち引っ張る重い冠にも。ついでに言うなら足元も落ちつかない。右大臣になるまで履くこともなかったこの革製の浅履(あさぐつ)は、木の廊下の上を歩くたびにごつごつと音を立てる。望月のような上流階級の連中は、まるで履いたまま生まれてきたかのように音も立てずに歩いてみせるのだが、吾代にその真似は無理だ。何しろ右大臣どころか貴族をはじめてまだ1年しか経っていないのだ。
「・・・はぁ」
 漏れる溜め息まで重たい。
 後ろに控えていた従者(そう、従者なんてものが存在するのだ!)を下がらせて、長い廊下を目的の場所まで辿る。重たい足取りがなおさら重くなる。行きたくねぇ・・・またあの化け物男に会うのかと思うと、それだけで気が重い。・・・重いづくしじゃねーかよ俺。
「来たか」
 げぇ・・・考え事をしている間に着いてしまっていたらしい。全身が拒否反応を起こすのを無理やり引き止めて、かつ回れ右をしようとする右足を地面に固定する。
「・・・おう、来たとも」
「貴様それが帝に対する言葉遣いか」
「コノヤロいっぺんシメてやる、はいはいわかりましたよっ!!」
「何か小声で入った気がしたが・・・?」
「気のせいだろすべて気のせいだ」
「ふむ・・・」
 御簾ごしにわざとらしく考える気配が伝わってきた。まったくこの食えない野郎め。内心の呟きはもちろん口に出すことはない。出したら最後だ。
「下がれ、我が輩はこ奴と話がある」
 帝が御付の女官たちを下がらせた。さらさらという衣擦れの音とともに、無数の女官が去っていく。・・・どーでもいいが、どいつもこいつも美人だよなぁ・・・。しかも無意味かつ無闇にごてごて着飾ってやがる。あの上衣はどう見ても金糸織りだよな?おかしいだろ通常業務に。しかも皆去り際にちらりと流し目を御簾の向こうにくれていく。わざとしなをつくってみせる奴も。まあ確かにこいつが美男子なのは認めるが、止めといたほうがいい気がするんだがな・・・。
「さてと、これで邪魔な者どもも消えた」
 ほらな、邪魔者扱いだろ?
 御簾がするすると上がってゆく。恐れ多くも帝自ら直接のご対面をお望みくださるらしい。―いつものことだが。本来なら伏礼しなければならないところだが、こいつに対していまさら礼儀もクソもあるもんか。
 完全に御簾を上げきって、奴がその姿を現した。
 脇息に片ひじをもたれさせて、ゆったりとくつろいだ体勢である。先ほどまで御簾の紐を引いていたと思しき右腕は、ほっそりとしていて白い。相変わらず髪を結っておらず、その白い整った頬に肩までしかない、しかも黒と金の2色の髪がひらりとかかっている。
 しかし、奴の顔の中で最初に目に入るのは、その緑の渦巻く瞳だ。綺麗だ、としか言いようがない。悔しいことだが、見た目だけならそこらの男はこの今上帝に遠く及ばない。その理由の大部分を占めるのが、この瞳だ。翡翠よりも深く、澄んだ緑色の。
この国の人間は皆、黒い髪に黒の瞳をしているものだが、コイツに限っては違う。さらに言うならコイツのすっと通った鼻筋や薄く整った唇の形も、この国のものではない。・・・コイツの母は、この国の者ではなかったのだと言う。コイツの父、先帝がまだ皇太子だった折に見初めた・・・そう、妖だったという話も、ある。
「何を呆けているのだ雑用め。さっさと話すべきことを話せ」
 ・・・相変わらずの暴君っぷりに、最早溜め息すら出ねぇよ。肩をすくめて、
「人を勝手に右大臣にしといて雑用扱いかよ」
「当然だ。手近に雑用を置くためにこそ貴様を右大臣にしたのだからな」
 ・・・この・・・!
「まあ、そんなささいなことはどうでもいい。言うべきことを言えと言っている」
「あーもうはいはいわかったよ!」
 これだからコイツは嫌なんだ・・・。
「まず、だな」
 ドサリ、と持ってきた巻紙を奴の前に投げおとす。・・・と、奴のしなやかな腕がそれをふわり、と受け止めた。さりげないしぐさがいちいち優雅で、いっそ腹が立ってくる。
「ふむ。笛吹からの報告書か」
「ああ。反乱貴族どもは鎮圧できたらしい。幸いにして相手もへっぴり腰だったから、近衛府(このえふ)と衛士府(えじふ)だけで済んだとよ」
「兵衛府(ひょうえふ)が出るまでもなかったか」
「らしいぜ。兵部卿(ひょうぶのかみ)さんも胸を撫でおろしてたからな。衛府(えふ)全出動なんてことになっちまったらてめぇを護衛する兵がなくなっちまう、だとよ」
「―-我が輩に護衛など必要無いのだがな。―笛吹にそれを言っても無駄か」
 帝が凄惨な笑みを浮かべた。
 いつも以上に凄みのある表情に、思わず足がすくむ。−コイツの言うことが真実だと知っているから、なおさらだ。
「―臆したか、雑用」
「このクソ野郎だぁれがてめぇ相手にビビるかってんだ!!」
「フン、負け犬が」
 ちくしょー見透かしてやがる!虫けらでも見るようなまなざしを俺に向けて、唇の端を皮肉に吊り上げる奴。奥歯をぎりぎり噛みしめながら、俺は何とか言葉を搾り出す。話題を変えるんだ俺。まともにつきあってたらこっちの品性もプライドも粉々にされる。
「・・・捕らえた反乱貴族どもは、笹塚・・・だっけか?とかいう兵衛府督(ひょうえふのかみ)が拘留している。処分はてめえが決めるんだろう?」
「そうだな・・・」
 くくく、と帝が喉の奥で笑う。処分を決めるのが楽しくてたまらないと顔に書いてある。・・・知らんぞ反乱貴族ども。歯向かった相手が悪すぎだ。・・・この笑みを見た瞬間、それだけで反乱する気なんか消えうせちまうと思うんだがな・・・。
と、奴が笑みを止めてこちらを見た。むしろいつになく真剣な表情だ。緑の瞳がわずかに陰りを帯びている、ように見える。
「吾代」
「な、何だ」
 声の調子をだいぶ低くして、独り言のように奴は言う。
「――今回の件、石作と車持が関わっているぞ」
「それは―」
 絶句する。
「反乱貴族どもの動きを見ていて気づいたことだが」
 指を1本立てて、奴はニヤリ、と笑む。
「どう見ても寄せ集めの連中のくせに、妙に統率がよかっただろう。頭争いをするでもなく、な」
「あ、ああ・・・」
 自分で報告した情報だ、よく覚えている。
「これが何を意味するか。―背後に頭となりうる何らかの権力が存在するということだ」
「待てよ!それがどうして石作と車持になる?」
 悲鳴のように上げた声は、軽蔑のまなざしに封じられた。
「少しは頭を使え雑用。我が輩に現在進行形で強い恨みを持っていて、さらにそれを実行できるだけの権力を持つもの、それもおそらく複数だな、こういうことを1人で実行できるほど骨のある奴なら初めからほかの貴族どもの背後に隠れたりなどせんからな。さあ、該当者は誰になる?」
「・・・あんたとの東宮の座争いに負けた、石作と車持」
「その通り」
 思わず戦慄が背筋を駆け抜けた。―俺と兵部省の情報だけで、ここまで裏を読む男。
「貴様には今後、それを調べてもらうぞ。―まずは笛吹と笹塚に話してこい」
「―わ、わかった」
「結果は順次報告しろ。我が輩とて情報がなければ何もできん」
 緑の目が渦を巻いて、きらきらと輝いている。にんまりと意味深に笑む奴の横顔がいかにも余裕たっぷりで苛々する。―この、化け物め。
 ・・・ん?そういえば今日「化け物」という単語を他でも利いたような気がする。
 ああ、そうか。望月が言っていた「かぐや姫」。石作・車持の話題がまた出たせいか、妙に克明にその話が思い出された。「妖」と名を関された少女。思わず小さく呟きをもらす。
「竹から生まれた化け物姫ねぇ・・・それこそてめぇにお似合いだ」
「何だ?」
 しかし奴はしっかりと聞いていたらしい。怪訝な表情を見せた。俺は内心冷や汗を書きながら(脳内で暴言を吐いていたことがわかれば人生終わりだ!)例の姫君について奴に話して聞かせた。こいつが最も興味なさそうな話だよなぁ、とか思いつつ。
「ふむ・・・『竹から生まれた妖』か。あの色狂いどもが全員迷うとは・・・よほど難攻不落な娘なのか?」
「聞いた話に過ぎねぇがな」
 俺は警戒しつつ答える。・・・ん?妙に目が輝いてねぇか?
「吾代」
「な、何だ」
「貴様のその話、興味が湧いた。我が輩近いうちにその娘に会ってみたい。手配しておけ」
「あーわかったよ・・・って、はぁ!?」
 待て、待て待て待て。一体どうしたんだコイツ!?
「てめぇ色事には一切興味なかったんじゃねぇのか!?」
 高位の貴族たちからの数々の縁談をことごとく蹴ってきやがったくせして!
「それに第一そういうことは望月に言えよ望月に!これ以上俺の仕事を増やすな!仮にも左大臣なんだから何かさせろ何か!!」
「我が輩望月には血筋と人を育てる能力以外は何も期待しておらん。貴様を平民から取り立てた以上、釣り合いの問題として奴を左大臣に据えただけだ」
「は?血筋はわかるが・・・望月のヤロウのどこに『人を育てる能力』なんてもんがあるってんだ?」
「あれは見込みのある部下に自分の仕事を丸投げするのでな。目をつけられた部下は与えられた仕事をこなしていくうちに勝手に育っていくという寸法だ。厳密に言い直せば、『才能を見出す能力』という奴か」
「・・・・・・」
 コイツ・・・自分の部下の長所・短所まで全部把握してやがる・・・下手すると、その部下自身よりも・・・改めて思うが、なんて奴だ。清廉潔白でなけりゃならねぇはずの帝のくせして・・・
「まあそんなことはどうでもいい。なるべく早く手はずを整えておけ、先ほどの件も忘れるなよ」
「だから俺はやらねえって・・・ん・・・?」
 いきなりヤツが人差し指をヤツの唇に当てて、さらに目を大きく見開いた。小首を傾げて、小さく悲しそうな声音を出す。嫌な予感。マジで嫌な予感。

「吾代・・・」

「ぁあん?」

「イヤか・・・?」

 イヤだっつったら殺す気だ!!

「わ、わかったよこのヤロウ!やればいいんだろやれば!!」
 そうとしか答えようがないじゃねぇかよ!拒否権なんて与える気ねぇだろうがこの化け物!!
「ふむ、いい返事ではないか。なあ雑用?」
「しかもさらなる雑用呼ばわりかよ!」
「雑用を雑用と呼ぶのは当然のことだろう?つくづく日本語の使えん奴だな」
明らかに見下した視線で嗤いやがる奴。あーもうてめぇいっぺん死ね!相も変わらず冷たく整ったその顔を思いっきり踏みつけたい衝動に駆られつつ、俺は憤然と廊下をあとにした。


「・・・ふん、面白くもない」
 騒々しく足音を立てて雑用が去ったあと、この国の支配者たる男は再び物憂げに脇息にもたれかかった。
 くだらない、くだらない。もともと特別帝になりたかったわけでもないのに、いざなってみるとこんなくだらない争いに巻き込まれる。自分を失脚させれば帝の地位が手に入る?あまりにも露骨過ぎて笑えてくる。手に入れてそれでどうするつもりだ?帝になって何がしたい?どうせ皇家の人間に逆らうものなどいない。帝になろうがなるまいが、周りにへつらわれる立場であることに変わりはないというのに。
およそこの世のあらゆる物事を見通す男にとって、帝の座は退屈な荷物にしか過ぎなかった。幼稚で見えすいた陰謀を仕掛けてくるさまざまな貴族たちにもうんざりする。刺客を放たれたことすらあるのだ、もちろんみすみす殺されるような自分ではないが。どうせ仕掛けてくるのなら、精一杯知恵を振り絞って我が輩を罠にかけてみろ。この程度では暇つぶしにもならん。
飽いていた、と言ってもいいかもしれない。彼が興味を引かれるほどのことが、全力を尽くさねばならないほどのことが、ここには何もない。戯れに帝になろうとそれは同じ。
―化け物、か。
貴様の言うことは正しいぞ、吾代よ。我が輩ほどに人間からかけ離れたものもいないだろう。この体に半分流れるという妖の血が、あるいは我が輩を純粋な妖よりもさらに人から遠いものとして生きるよう運命づけてしまったのか。
吾代に聞いた少女の話が脳裏に蘇る。我が輩と同じく、人ならざるさだめを負った少女。
『竹から生まれた妖』とやら。貴様の瞳にこの世はどう映る?猥雑で仕方ない狭い世界を、貴様はどう見て、どう生きている?
会ってみたい。興味を惹かれた。ずいぶん久しぶりに抱く、感情。
さらさら。衣擦れの音とともに女官たちが戻ってきた。吾代がいなくなったのを察したらしい。
ふと、あることを思いついて、帝はその中の一人を呼んだ。
「―アカネ」




To be continued



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