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□未定
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月が美しく輝き、そよ風がゆったりと草花を揺らしている、夏の夜。
「お前を側に飲む酒は、なんと旨いものか」
低くさざめく音――。
後何回、この声を聞けるだろうか。
気紛れな世情に合わせ、今日迄有力者の胸の中を転々として生きて来た。
皆、私を愛でて下さり、昼夜問わず肌を重ねた者もいれば、飾り物として眺めたり、下卑た事をさせる者もいた。
しかしそれは、愛でる価値であるあの眩しい若さが存在したからであり、愛玩物としてはもう――価値も意味も無くしかけている。
現に私が司馬懿様に拾って頂けたのは、乱世の中をこの身一つで渡り歩いて来た才覚を見込まれての事。
決して、彼から伽を求められた訳ではない。
だというのに、いつしか淡い文をやり取りする様になり、限られた時間を共に過ごし、夜に密会を重ねる。
私の手に余る程、こんなにも再び寵愛を受ける日々が訪れるとは、想像出来たろうか。
「お前さえいれば何も……いや、こう言っては嘘になるな」
だが寵愛を一身に受けていても、彼の心が私だけで満たされる事はない。
野望を成就する為、彼は多くの者に心を配らなければならないのだ。
「嘘?これは寂しいこと。私には貴方様しかおりませんが?」
「う、そう言ってくれるな。……だが、お前だけで良いと思うのも事実だ」
少し拗ねた様にからかう。こう言うと、彼はいつも照れくさそうに目を逸らして、ふっと、本音を口にしてしまうのだった。
「もういらぬ」
「司馬懿…様……?」
「今宵はもう、風情な銀の月も草の擦れる音もいらぬ」
「え?」
「今この時は、お前だけで満たされているのだ」
手を引かれ、腕の中へ閉じ込められる。
紡がれた甘美な言葉は、耳をくすぐり、唇を震わせ、全身を痺れさせ駆け巡る。
なんて――幸せでしょうか。
なんと、残酷な言葉でしょうか。
後、何回、貴方はこうして私を腕の中に抱き、柔らかな眼差しを向けてくれるだろう。
後、何日、私を愛してくれるだろう。
どんな形になるかは分からないが、いつか必ず別離が訪れる。
それまではこうして、貴方と温もりを重ねていたいと、私は願うのです。