.

□未定
1ページ/1ページ


月が美しく輝き、そよ風がゆったりと草花を揺らしている、夏の夜。




「お前を側に飲む酒は、なんと旨いものか」


低くさざめく音――。

後何回、この声を聞けるだろうか。


気紛れな世情に合わせ、今日迄有力者の胸の中を転々として生きて来た。

皆、私を愛でて下さり、昼夜問わず肌を重ねた者もいれば、飾り物として眺めたり、下卑た事をさせる者もいた。

しかしそれは、愛でる価値であるあの眩しい若さが存在したからであり、愛玩物としてはもう――価値も意味も無くしかけている。

現に私が司馬懿様に拾って頂けたのは、乱世の中をこの身一つで渡り歩いて来た才覚を見込まれての事。

決して、彼から伽を求められた訳ではない。

だというのに、いつしか淡い文をやり取りする様になり、限られた時間を共に過ごし、夜に密会を重ねる。

私の手に余る程、こんなにも再び寵愛を受ける日々が訪れるとは、想像出来たろうか。


「お前さえいれば何も……いや、こう言っては嘘になるな」


だが寵愛を一身に受けていても、彼の心が私だけで満たされる事はない。

野望を成就する為、彼は多くの者に心を配らなければならないのだ。


「嘘?これは寂しいこと。私には貴方様しかおりませんが?」

「う、そう言ってくれるな。……だが、お前だけで良いと思うのも事実だ」


少し拗ねた様にからかう。こう言うと、彼はいつも照れくさそうに目を逸らして、ふっと、本音を口にしてしまうのだった。


「もういらぬ」

「司馬懿…様……?」

「今宵はもう、風情な銀の月も草の擦れる音もいらぬ」

「え?」

「今この時は、お前だけで満たされているのだ」


手を引かれ、腕の中へ閉じ込められる。

紡がれた甘美な言葉は、耳をくすぐり、唇を震わせ、全身を痺れさせ駆け巡る。


なんて――幸せでしょうか。

なんと、残酷な言葉でしょうか。


後、何回、貴方はこうして私を腕の中に抱き、柔らかな眼差しを向けてくれるだろう。

後、何日、私を愛してくれるだろう。


どんな形になるかは分からないが、いつか必ず別離が訪れる。

それまではこうして、貴方と温もりを重ねていたいと、私は願うのです。









[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ