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□灰色の恋文
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灰いろの恋文


司馬懿の元に、一通の手紙が届いた。


曹丕様だろうか。この戦は何事も無く順調に進んでいるのだから、特に用は無い筈。もしや何か、不測の事態でも起きたか。


不審に思いながらも、司馬懿は伝令兵から手紙を受け取り、巻かれていた紐を解いてはらと紙を広げた。


「ばっ……」


司馬懿は我が目を疑った。

何か重大な事でも書いてあるのかと思っていた手紙には、文字通り隙間無く、びっしりと愛の言葉が書き込まれていたのだ。

愛していますという言葉が至る所に登場し、他にも、貴方様が居ないと寂しくて眠れない、常に仲達様を想い浮かべている等、歯の浮くような台詞が並べられていた。


文面、筆跡。そして私の呼び方。

信じられないがあの男しかいない。


差出人を見ると、そこには予想通りの名が記されていた。


「己、春邑……っ。よくもこんな恥ずかしい手紙を私に寄越せるものだ」


春邑とは、曹丕お気に入りの易師で、男性だが司馬懿のかけがえのない恋人だった。春のような穏やかさを持つ好青年で、老若男女問わず誰からも好かれていた。

手紙を書く事があまり好きではない春邑。

それが俗に言う恋文を送って来た事に、司馬懿は内心酷く狼狽していた。


一体何を考えておるのだあの馬鹿めが。


再び手紙に目を通してみるが、やはり恥ずかしい事この上ない。しかし嬉しく思うのは確かで。

上がりそうな口角を必死に押さえ、司馬懿は咳払いをした。それを見た伝令兵と部下は、頭を下げて天幕から出て行く。


ふと、手紙がもう一枚ある事に気が付いた。貼り付けるように重ねられていた上の紙を親指で横へとずらし、めくる。


するとはらりと何かが落ち、司馬懿はそれを拾った。

一枚の桃の花弁。
そしてもう一枚の手紙には何も書かれていなかった。



「……なるほど。私の世が近いと言うか。フン、春邑らしいわ」


白は全て無に帰す意味を持つ。花弁は桃の実を指しているのだろう。桃の実は再生の象徴。この二つが意味する事。それはつまり、曹魏の、曹丕の終わりを意味していた。


人の先を知ってしまう恋人。正直その才に恐ろしく思う事もあるが、司馬懿は誰よりも大切な春邑を決して手放す事はなかった。


「さて、返事を書かねばなるまいな。全く、手間をかけさせおって」


悪態をつきながらも、その顔は穏やかに優しく綻びていて。

司馬懿は一緒に送られてきた白紙を机に置き、春邑を想い浮かべつつ、先ずは愛の字から綴る事にした。





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