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□錆びた牙
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錆びた牙
ダンッ――!
若い男の手が、屈強な男の腹に容赦無く打ち込まれる。
打ち込んだ瞬間相手の腹は低く鈍い音を立て、男の身体は後方に舞った。そして大木に背を打ち付け、地面に落ちるとぴくりとも動かなくなった。
私の数歩前に立つ若い男が、困ったような笑みを浮かべて振り向いた。
「雨、止みませんね」
雨はしとしとと、静かに降っていた。
二人共傘を持ってはいなかったので、二人して身体を濡らすはめになっていた。
「小雨でも風邪を引き兼ねないですから、少し急ぎましょうか」
「ああ」
男は今、私のすぐ横に立って歩いている。護衛も無しに一人で帰るのは危ないと、安全な所迄私を送って行くそうだ。
彼の名は郭舜というらしい。
郭舜は女物の上等な水色の着物を着ていた。口に紅をさし、薄らと化粧をしている。腰まである黒髪には、金の小さな髪飾りを付けていた。
一目で分かるだろう。
男娼だ。
だが彼はそこらの女よりずっと美しく、溜め息が出る程妖艶な姿だった。
とはいえ儒学を学んだ私にとって、やはり男色は歓迎出来る事ではない。男娼も好き好んでやっている訳ではない事は重々承知しているし、この男も例外ではないだろう事は理解しているが、横に居る事にどうにも違和感を感じずにはいられなかった。
ちらりと横目で顔を見ると、まるで何事も無かったかのように穏やかに微笑んでいる。
これが本当に、先程と同じ人間だろうか。
「お前は、護身術でも習っていたのか……?」
あの体術は見事なものだった。相手が一人だったとはいえ、体格の良い刺客をやすやすと飛ばしてしまう程の腕の持ち主。
男娼になる理由は様々だが、大抵は貧しさを理由に売られる。だがこの男は、一人で食べていける程の腕を持っている事は確実だ。なのに何故、わざわざ陰間になる必要があるのか。
本来ならば聞かずにそっとしておかなければならない事だが、どうしても気になって仕方が無かった。
郭舜は私の問いに嫌な顔一つせず、にっこりと微笑んだ。
「ええ。私の仕事は時に物騒ですから、護身術がかかせないと思いまして」
当たり障りの無い解答。躱された。やはり触れてはいけなかったかと、私は視線を逸す。私の様子に気付いたのか、郭舜がすまなさそうに小さく笑った。