曹丕は横目で司馬懿を見ると、立ったままの香陽を自分の元に引き寄せた。
「今のお前を父に見せて、私の妃にしたいと言っても文句など言うまいな」
「おや。子桓様はこの香陽を妃にと望んで下さるのですか?」
「ああ、お前は姿だけではなく、心も美しい。男でも不都合あるまい」
曹丕は己の額を香陽の額に軽く当て、怪しく笑った。
「曹丕様、香陽殿」
司馬懿は咳払いをして二人の悪ふざけを中断させ、不機嫌な声音で曹丕をたしなめた。
満足したのか曹丕は含み笑いをしながら香陽から離れ、愉快そうに言った。
「仲達の焼餅妬きには、流石の私も対処出来ぬ」
「この私が妬く?お言葉ですが曹丕様。私は貴方様に妬いた覚えはありません」
「そうか。私に妬いたか、仲達。香陽を取られたと」
「え、私で御座いますか?」
てっきり焼餅相手として名が出て来ると思っていた香陽は、大層驚いた顔で司馬懿を見た。
「しまった……って、ち、違うぞっ!曹丕様、いい加減に」
必死に否定をし、香陽に確信を持たれる前になんとか曹丕に言葉を撤回させようと、司馬懿は説得を試みた。
「違うので御座いますか……」
だが、それは逆に悪い方へと事が運んだ。
嘘ではなく、本当に残念そうにぽつりと零された香陽の一言。顔は笑んでいるが、少々無理しているのが分かる。
もしや私達は、両思いなのではないだろうか――。
「お前……」
司馬懿は嬉しそうに笑みを浮かべながら、香陽の側へ歩み寄ろうとした。が、司馬懿をからかいの対象として見ている曹丕が、それを許す筈が無い。
「残念だったな、香陽。だが気にする事はない。私がお前の為に詩を詠んでやろう」
「私に詩を…幸せに御座います、子桓様」
「では参るぞ」
「はい、子桓様」
さっと部屋を後にする二人。香陽は先程の事など忘れたように、嬉しそうな笑顔で曹丕に寄り添っていた。
一人残された司馬懿。二人の後ろ姿を、涙目で見送るしかなかった。