よろず小説

□Route299
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それは少し前の、かなりインパクトある出来事だった。





てめえいい加減にしとけよ今度やったら殺すぞコラなんて怒号が寮内に響いて、無視できる奴はいるだろうか。



オレが部屋の扉を開けると同時にマサヤンの部屋が乱暴に閉じられ、そこに誰かうずくまっていた。


「何があった」和己の声がする。
オレは「監督のこと!」と言ってそれを担ぎ、とりあえず部屋に押し込んで改めて驚いた。


「あいたた‥慎吾、乱暴に運ばないでよ」

「なんであんたなんだよ‥」


しわだらけの上着、ボタンがちぎれた跡。土埃と、無数の擦り傷。


思い切り殴られたろう、腫れた右頬をさする山ノ井圭輔。

何度見ても向かいの部屋の「山ちゃん」だ。


「マサヤンと何があったんだよ。あの調子だとあんたが悪いっぽいけど」
「うん、ちょっとケンカした」
「マサヤンと?」
「ううん、マサヤンのダチ」

部活は同じ、寮の部屋も近い。だけど同じクラスになったことはない。狙うポジションも違うし、二年になったこの時点で奴の事はよく分からなかった。

ただ小柄だし、運動部のくせにハキハキしないというか、声も小さいし、喋りものろい。
だからケンカして帰ってくるなんて思ってもみなかった。


とりあえずタオルを投げ渡す。
「山ノ井さんさ、あんたバカですか?野球部員がケンカって」
「だって向こうも野球部だもん、所沢南」

秋大会ベスト16‥。
お互いに痛み分けということか。

つーか「もん」じゃないだろ。


「失礼しちゃうよねえ、全く失礼しちゃうんだよ。あのさー、所沢でね?」
タオルで顔を拭うと山ノ井は腕を組んだ。

「オレが愚痴を聞く展開ですか」
「違うの?」

なるほど、これが山ノ井か。さんざ本山から「あいつはテンポ狂う」と聞かされていた。

全国、とは言わないまでもオレたちは推薦で集められた野球バカだ。野球が人よりできるだけ、その他は普通以下。おかしな奴がいても全く不思議ではない。

オレも例外じゃないが。




山ノ井は了承もなしにオレのベッドであぐらをかいた。


「新所沢のトルファンで野球部同士集まろうって事になって、マサヤンが呼ばれたの。主催はマサヤンのダチ。所沢南のマネージャーなんだってさ」


中華ファミレス「トルファン」の顛末はこうである。

主催の所沢南マネージャーは選手としては全くの凡人だが、口が達者で行動力があり、同中だったマサヤンも一目置いている人物だそうだ。
実際所沢南の練習試合をセッティングしてるのは彼らしい。

「所沢南は今年強かったな」
「うん、あいつ言ってたよ『オレのせいと言っても過言ではないかな』って」
でもね、とオバサンがするような手の振りで続ける。


小学校からクラスに一人はいると山ノ井は形容した。
人気者ってヤツだ。頭がいいわけでも、運動ができるわけでもないなら何をして目立つか?突然席を立って教室でギャグを叫ぶ、昼飯で笑わす。クラスで愛されるならその方法しかない。

「でもねー、そいつちっとも面白いこと言わないんだよー。マサヤンとかは笑っていたんだけどさ、オレはちっともおもしろくなかったんだよ」
「あんたが笑いにマニアックだからとかじゃねぇの」

備え付けの冷蔵庫から水を出して飲むと、こちらをじっと見て来たのでもう一本出した。「わあい」とほっそい目で言っていたが、あまり表情が読めない。

「慎吾は物まねで『こんにちは、森進一です』って言ったら声似てなくても似てる気がするでしょ?」
あくまでオレは肯定が前提らしい。

「あいつね、なんか言った後『おもしれー』って自分で言うんだよー。うーん、それは後だしじゃんけんというか、友達なら笑わなきゃいけない空気になっちゃうじゃん。重いんだよねー」

「あんたは笑わずにいたわけか」

「笑えないよ。さびしくなっちゃったから。そのコは促さないと笑ってもらえなくて、れぞんでーとるだっけ?生きていけないのかなって。だけど野球理論についてはやたら自信あって、オレが意見言ってもすぐに自分の話を続けちゃう。マサヤンの話もスルーでね、美丞のヤツとかの意見も聞きたかったんだけどみんな遮られて」

「そんで、山ノ井がなんか言ったの」

「オレがしょんぼりしてたら、『なんだオマエ、ニヤニヤしてて気味悪いな』って言われた。オレさー‥笑ってないのに誤解されるからさー、ちょっとムカついて『あんた抜きで話したいから先に帰ってくれる』って言った」

オレは手を額に当てた。

「そりゃねーわ」
「ね!ないでしょ?!あいつおかしいよ」
「いや、おかしいのはあんた」

マサヤンもずいぶんとイタイ目にあったものだ。トルファンでどうやって二人をいさめ、ここまで山ノ井を引っ張って帰って来たのだろう。
オレがこいつを部屋にかくまう必要もなかったわけだ。


「顔は拭いたか。じゃあ部屋に戻れや。マサヤンには謝れよ」

「やっ‥!」
ベッドから引き上げると、わざと肩の力をぬいた。

「てめ、赤ん坊じゃねぇだろ」
「やだー。さみしかった上にケンカして帰ってきたのに一人はやだー」
意外な力で振り払い、布団を被って篭城。

しばらくしたら寝息に変わった。


なんだこいつ。

力が抜けてへたりこんだ。

いないだろ、有り得ない。
女だっていきなり部屋入って来てベッド取ったりしない。

「っざけんな!」
ベッドごと奴を蹴飛ばし、勢いで外に出たが自分がどこで安息すればいいのかわからず、しばらく呆けてしまった。

「なんなんだよ‥」








☆☆☆





「あれからマサヤンには謝ったか?謝ってないよなー、マサヤン超キゲン悪いし」


練習後の国道299号。グラウンドと学生寮はチャリンコでないと移動できない。狭い路側帯、闇のすれすれをトラックが暴走する。
私立のくせにサイタマの田舎すら買収できない怒りは、だらだらとチャリを押すけだるさに変わる。

いつもは群れてる山ノ井がぽつりと先行していたので呼び止めたのだが、

「昨日はありがとね」

さらっと言われたので死ね、と吐き捨てた。


昨夜寝床を奪われたので、奴の荷物から鍵を拝借しそちらで寝ることにした。本が横に積んである雑然とした部屋で、床を踏み締めるたびに難しそうな字面が目に入る。
布団をかぶったら哲学者みたいな気持ちになった。


「よくあんな部屋で眠れるな」
「眠れないから慎吾のとこにいたんじゃん」

ため息がでる。

来年クラスが一緒になったら面倒臭いな。


けれど、オレは頭に手をやる。
「一本貰ったから」
「慎吾もアカマルなの」
「オレはメンソールだよ」

布団をかぶったらいやに懐かしい匂いがして、枕の下を探ったら赤い箱が出て来た。

やる奴はやる。もちろん厳禁だが、先輩さえ取り込んでしまえばいい。

窓を開けてタバコをいただき、哲学の部屋でじっとしていたらいろいろ考えてしまった。


「あのさー‥お前疲れるよな」

あの闇に似た場所を歩いている。

「うん、疲れるってよく言われる」
「ちがくて。お前が疲れないのかって」

違法マフラーの音が追い掛け追い越していった。


山ノ井が足をとめた。自然と並ぶ形になる。
「余計な事考えんな。マサヤンのダチなんだし適当にあしらえ。人間はごまんといるのに、つっかかってたらしんどいだろ」

「うーん」
再び足を進める。「慎吾みたいな事はよく言われるよ。親にも人間の器が小さいって」
「野球部だしな」
「だけど、ダメなモノはダメ」
ふりだしだ。オレは肩を落とす。


山ノ井はこちらを向いて首を傾げる。
「慎吾はさ、どーしても食べられないものある?」
「ねえよ」
「納豆とか梅干しとか、トマトとかきゅうりとかトマトとか」
トマトかよ。
「ないならいいんだけど、オレはトマトを食べると全身がチキンになるから死んだほうがマシなんだよね」
「我慢しろよ」

細い目がまたたいたような気がした。

そして、
「慎吾、それは疲れないの?」

後ろからパッシングされたので慌ててチャリを寄せる。

山ノ井は道の先を指さした。
「そこ曲がろ。マサヤンとはいつもそこを使うの」


某鉄道会社が無理矢理作ったニュータウン。綺麗な家は立ち並んでいるが、不景気だから半分も住んでいないそうだ。

チャリを脇に停めて、自販機の前で座る。
向こうの299号ではトラックばかりが走っている。


「慎吾は我慢が平気なんだろうけど、オレは嫌いなものを我慢すると疲れるよ。疲れたら、練習ができなくなる」
水を渡された。お返しのつもりだろうか。

「トマトとダチのダチは違うだろ」
「うん、マサヤンとマサヤンの友達は違うよね」
ぱきり、と蓋をねじる。そしてひといきに蓋を回して開けた。
やたらに綺麗な開け方だ。

「オレ、マサヤンは好きだよ。大好き。真面目で無口で女の子にもてないけどオレの話を無視しないよ。だけどなんで話を無視するような奴と仲良くすんのかな」
同じように蓋を回したらすっ飛んだ。

「そんな奴ばっかだよ。話を無視するかどうかがマイナスじゃないと思うからだろ」
「それでいいなら構わないけど、オレはもう直接関わりたくないなあ」

蓋を拾ったがもう閉じられない。

「それなら言うしかないけど、マサヤンがそれで許すと思うか」
「そこは、彼を信じるしかないねぇ」

山ノ井がくすくす笑った。やっぱり普通じゃない。ダチといえど「大好き」って男が言うか。話し方もタルいし。

「ふふ、慎吾ってさあ、自覚あんの?」
「何が」
「嫌ってるよね高瀬準太」

喉を通るはずの水が、体内のどこかにそれた。
顔が赤くなるまで咳込む。

「慎吾は外部だから知らないと思うけど、和己と準太は中学からめちゃめちゃ仲いいよ」
「あの一年がガンつけるから近寄らないだけだ」

山ノ井だって目指していたのではないか?投手は「変な生き物」だ。親戚のオッサンが「慎吾は将来東京ドームで投げたいのか」とかほざいていたが、冗談ではない。あんなに面倒なポジションは変人でないとつとまらない。

真っ黒な髪、真っ黒な目。和己にしか表情を見せない、非常に気難しいタイプの投手。中学にもいたが、周囲にボコられて野球やめたよな。

オレと和己が同クラでよくバカ話しているとすぐ和己に用件を持ち込む。
アイサツしないしな。


「あいつ和己がいなきゃ今頃3年にやられてただろ」
「準太は来年確実にエースだよ。ウデ折ったら監督に殺されちゃうって」
いいねぇ天才は。
「慎吾は和己が好きだよね」
「男に好きとか言うなよ気持ち悪い」
「でも、だから準太が面倒でしょ」
面倒、というか‥

和己とはこれからも楽しくやっていきたいし、あいつから得るものは大きい。
そして、高瀬。なんだろなあいつは。生意気だけどたしかにウデは折られないだろう。ぞっとする視線、しかし変人の恐ろしさか。オレは無視できないしつい背中を追ってしまう。


メットで潰れた髪を掻き回す。
「だって人の話に割り込んで謝りもしないし。気分悪いだろ」
「あれははっきり言ったほうがいいよ。和己は物分かりいいし、準太にはハッキリ言えるから。だから和己は好き」
口の端をつりあげる。

オレはまじまじと山ノ井を見つめた。よくもまあ、自分を棚に上げて。

「マサヤンは違うってか」
「違うね。イイヤツすぎるからダチにあまり言えないんだよ。でも慎吾といろいろ話したらスッキリしたー」

立ち上がり500ミリペットを一気に飲み干した。
「ありがとー慎吾。二日間お付き合いしてくれて」
「は?」

思いきり伸びをする。
「マサヤンにケリつけるつもりだったんだけどすぐってのもしゃくだし、オレももやもやしてたからねー。慎吾に聞きたいこともきけたわけで」


「ちょっ、待て!」
答えは決まっていて、しかもオレを試していた‥?

奴はさっさとチャリにまたがりペダルを踏んでいた。
「勘違いしないでよ?オレはどうでもいい奴に相談はしないよ。和己とのやり取り見てたら慎吾は大丈夫だと思っただけ。慎吾も好きだよ」

明日から山ちゃんって呼んでね。
漕ぎ出すと信じられないくらい遠くに行ってしまった。

「おいこら待て、待てよ山ノ井‥」
開けたままのペットが邪魔で体制が立て直せない。

「山ノ井‥やまっ!」
テメエ、クソ。
持て余すペットの水で顔を洗う。そして追い掛ける。


顔が熱い。ここまで恥ずかしい思いをしたのは初めてだ。

和己のこと、高瀬のこと。
全て洗いざらいぶちまけた。それはあいつの前でパンツ一丁を見せたようなものなのだ。

どうすればいい?
どうしたらあいつに仕返しができるんだ?


そして残った「パンツ一丁」まで実は分かっているかと思うと。


遠くに揺らぐ小柄の背中。まだ細く、高瀬にも似ている。
怖い奴はいるものだ。そう思った二年の春。


長い春の始まりだった。


★終★
 
 
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