よろず小説

□リセットの時期
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描いた夢はこんなにはかなく砂のように消えてしまうものだったのか。


病院にたどり着いた私は怖くて受け入れられなかった。

白い壁に仕切られた場所、たくさんの白い服。お母さんの背中から見えたのは操り人形みたいにパイプに繋がれたおばあちゃんだった。

慌ただしく白衣が動いていて、表情なんか見えなかった。
つい先週会いに来てくれたばかりだった。畑でとれた野菜を一緒に茹でて、一緒に食べた。



おばあちゃんはしばらくして意識を取り戻したけれど、もう一人では住めないと病院から言われた。おじいちゃんがいなくなって、お母さんには兄弟がいない。

お父さんが引っ越そう、と言った。

歩いてすぐだった中学は、電車でガタゴト揺れないと行けない場所になった。マンションとは違って広くて、庭があって犬もいるんだけど。

おばあちゃんは、大好きだけど。

私はキャプテンを辞退した。朝練にきちんと出られる自信がなかったのだ。


そして狙っていた春日部市立は遠すぎて通えなくなった。
ほっとしたような、ほっとしたことに苛立ちを感じるような、


そんな私がすごく嫌になった。




「篠岡?だめだよあいつ。肌黒いくせにお高く止まってて。真面目な奴はめんどくさい」

移動教室の途中で、小谷くんの声が風にながれて耳に入った。
私がそちらを向くと、小谷くんはばつが悪そうに笑っていたが、

私はそんなことで笑うような人は一生好きにならないと決めた。



やっぱりソフト部は二回戦で負けてしまった。代々弱小だから分かっていたことなんだけど、みんなその伝統を今年こそ打ち壊せると信じて練習していたはずだ。


負けた瞬間泣いて、反省会兼打ち上げではしゃいで、私だけ駅に向かった。


(あっやばい、名札外し忘れてた)
電車にゆられてしばらくして気づいた。緑のプレートに「篠岡 千代」。
周りを見回した。会社員や学生やいろんな人がいる。私はしのーかですって、この人達に言って回っているのと同じだ。
クリップ部分を掴んで外し、ポケットに入れる。

別にそこまで私に興味のある人はいない。
(また、自意識過剰だぁ‥)

いきなり車両が揺れた。もろもろ入れたスポーツバッグに引っ張られて一人で尻餅をついた。
遠くでひそかにクスクスきこえた。

バッグはあんなに重かったんだっけ。
ユニフォームとスパイクと、グラブとタオルと。
今日で使わなくなったものばかり。


「ちょっとお嬢ちゃん大丈夫?どこか痛いの?」

うちのお母さんくらい太ったおばさんが近づいてハンカチを差し出した。「ほら、拭いて」

何を?

おばさんはハンカチを頬にあてた。そして涙を拭いた。

「随分痛かったみたいだけどもういいお姉さんだから我慢しようね」


私は泣いていた。さっき涙は出尽くしたんだと思っていたのに。

まだ泣き虫は治ってなかったんだ。おばさんに撫でられてさらに泣いてしまった。ばつが悪くなって次の駅で降りた。


結構な田舎駅で、電車が過ぎ去ると何も見えなくなってしまった。闇の中、私はしゃがみ込んだ。

「ふっ‥あああ、うわぁぁぁん‥」

家で引きずりたくなかった。この際だから全部吐き出そうと思ってわざと声を出して泣いた。


山ほどの野菜を持ってもしゃっきり歩いていたおばあちゃんは左側が動かなくなってしまった。

東京へ仕事に行くお父さんはさらに早起きするようになった。

お母さんは時々食卓で頭をかかえている。私に気がつくとすぐ立ち上がる。


高校のことや小谷くんのこと、ソフトのこと、こんな駅に私がいることそのほかもろもろ。


違うよ、私が世界で一番不幸なわけじゃない。
こんなのちっぽけでクズみたいな悲しさなんだよ。

だけど今の私もちっぽけだから、支えきれないんだよ。


今だけ、今だけ。







顔がふにゃふにゃになって、でも近くの犬が遠吠えを始めたから電車に乗るしかなかった。


やがて最寄り駅が近づいてきて、それなりに大きい街だから明かりが段々広がって電車を包み込んだ。

『こちらの電車は折り返し○○線直通○○行きでございます』

いつも降りる人に比べ乗る人は格段に少ない。けれど私と同じようなかばんを下げた集団がいた。

私がぎょっとしなかったのは、彼らがみんな泣いていたからだ。

青い縦縞のユニフォーム。かばんには「戸田北」と書いてある。この人たちも今日負けて、これから戸田まで帰らなきゃいけないんだ。あのかばんの中身が、みんな押し入れにしまわれてしまうんだ。

彼らはやってきた車両にゆっくりと乗り込んだ。

(うそ)


知っている顔がその中にあった。一際大きな荷物を持っていても動きはしっかりとしていて。

彼だけは泣いてなかった。泣き崩れる他の子には目もくれず、それを担ぎあげる子も気にしないそぶりだった。担いだ子は彼をちょっとなじったようだったけど、全く聞いてない感じで違う車両に動いてしまう。


ミャンミャラとベルが鳴って、電車が動いた。いつまでも見ていたらキモチワルイから歩きだすと、加速していく窓から彼が泣き崩れるのを見てしまった。

小さく身体を折り曲げて、他の子に見えないように。



彼は中学でいつも一人だった。誰ともつるまず、どこで見かけても一人だった。だけど不自然なところはなかった。休み時間どうしようとか、昼に誰と食べようとか、くだらないことは考えなかったんだろう。そして学校が終わったら喜々として走り去っていった。

私のぜんぜん知らないところで、野球を頑張っていたんだと思う。あれは相当、野球が好きなんだ。


私ももっと欲張ればよかったな。
あんなふうに混ぜ物なしで泣いてみたかった。




「ちー、おかえり」
どっこいしょといいながら身体を揺らして玄関に現れたお母さん。「あら、負けちゃったね」

「お母さん、ちょっと‥ぎゅっとしていい?」
「あらあら」
太ってるから授業参観のとき恥ずかしかったお母さん。だけど今は、その柔らかさが心地好かった。
たぶんさっきまでおばあちゃんを抱き上げたりしてたんだろう。
おばあちゃんの匂いもした。


阿部くんにはこれからがまだまだある。
私はここで一旦リセットだ。




西浦に硬式ができるらしい。二学期始めの委員会で栄口くんが悩んでいた。
「オレ、シニアのみんなと同じで狭山高校に行こうと思ったんだけど‥西浦ってすごく行きたかったんだよねえ‥私服だし‥」
「それ、本当なの?」
「もう登録したらしいよ。あそこグラウンドがいくつもあるし、気になるから阿部と一回見に行こうって言ってるんだ」




畑のど真ん中にグラウンドがあった。

校舎から公道と川を挟んで、元気よく揺れるすすきに囲まれている。
ランニングしている高校生が横切り、どきっとした。

(ちょっと狭いな‥それに西浦ってソフトもラグビーもあるから割り当てとかどうするんだろ)

そしてふと、高台に建つ校舎を見上げる。けやきがざわざわ音を立てた。一体どれだけの時間を見てきたのだろう、太い太いけやきだった。

(本当に、ここで始まるのかな)


「そこ邪魔なんすけど」
学ランの男の子がそう言って、ケイタイでグラウンドを写メった。
「ホントにこんなんで野球できんのかよ‥先輩ホラ吹きだしな‥」
坊主頭であばただらけの男の子だった。さっさとすすきをかき分けてグラウンドに近づいていく。

私は声を張り上げた。「あのー!本当ですよー!!野球、始まるんですよー!!」
「はあー?!」


私はその人に手を振って帰り道を急いだ。


これはもう、賭けだ。
外れても、いや、外れの確率の方が大きいかもしれないけど。


だとしても賭けようと思う人がいるなら、


私はここから、頑張れる。
 
 
〜END〜
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