文
□-anecdote-
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桜舞い散る四月。
艶やかな吹雪の中でゆっくりと、誰にも気付かれずに夢は続きを紡ぐ。
悪夢の続きが、そう、静かにだが確実に…
第一章『少年、覚醒(めざめ)る』
「上総ー!」
木に寄り掛かりながら目を伏せていた岩代 上総(いわしろ かずさ)は、自分を呼ぶ声にそっと瞼を開き世界を見る。
桜色の世界。
賑わう人々は皆一様に楽しそうな顔をしている。
「上総、まだ不機嫌なの?」
双子の兄の眉間のしわを見て、呆れた様に岩代 上城(いわしろ かずき)は呟いた。
「仕方ねぇだろ。人込みは嫌いなんだよ」
「もぉーそんなんだと引きこもりになっちゃうよ?はい、タコ焼き」
上城は笑いながら買ってきたばかりのタコ焼きを上総に渡す。
それをしっかり受け取りながらも上総は溜息を吐いた。
「たく、なんだって人間ってーのはお祭り好きなんだろうな」
「そりゃあやっぱり楽しいからじゃない?」
「うーん」
首を捻る上総ににこりと上城は笑う。
桜が風に舞い、上総の髪が靡き、ただ単純に綺麗だと思った。
男の兄弟に使う形容詞としては正しく無いのだろうが、美人だと言う含みでは無く、兄には桜が似合うと思うのだ。
儚い様で強い輝きを持つ、上城にとっての兄はそんなイメージである。
「上総、」
「ん?」
上城の手が顔の横に伸び、髪を梳くように流れた。
上総は微動だにせず弟を見遣る。
「―花びらついてるよ」
「おう」
上城が払った桜の花びらがふわり宙を舞う。
その時丁度吹いた風に桜は流された。
二人はそれを視線で追う。
花びらが小さくなるのに反比例して、大きくなる人影が一つあるのに二人は同時に気がついた。
それが二人の名を呼んだからである。
「上総!上城!来てたんだー!」
両手に綿飴やら林檎飴やらタコ焼き焼きそばトロピカルジュース等等、お祭り気分満載でやってきたのは陸前 相模(りくぜん さがみ)である。
相模は双子と中学からの知り合いで現在も同じ高校であった。
そんな顔なじみに上城が手を振る。
「相模!凄い大量だね〜」
「えへへ、まあね〜」
「食い過ぎて腹壊すなよ」
「大丈夫ですよーだ」
上総の呆れ顔に相模は舌を出してから、にこっと笑った。
「上総が出てくるとは思わなかったよ」
「…どうせ引きこもりだよ」
「あはは」
拗ねた様にそっぽを向く上総。
しかし反らした視線の向こうに、人。
否、お祭りのせいでごった返したこの界隈に人がいない筈が無い。
だが上総の視界にはその人物だけが映った。
それは場違いな黒のスーツのせいかも知れないが、目が、話せない。
「上総?」
突然固まった様に動かなくなった上総を上城は不審げに呼ぶ。
しかし上総は聞こえなかった様に横を向いたまま動かないので、上城はもう一度名を呼ぼうとした。
が、不意に上総は手に持っていたタコ焼きを上城に押し付け、走り出してしまう。
後ろで上城が何かを叫んだが、しかし上総は振り返らない。
黒スーツの男は踵を反して歩いて行く。
人込みをものともしない足取りに上総は眉をしかめた。
走ってるのに、追いつけない。
(捕まえなきゃ)
そんな義務感に上総はひた走る。
何故かその背を捕まえなきゃいけないと言う衝動が沸き上がり、足を突き動かした。