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□常夜の主。
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臨也が、【常夜の主】と呼ばれる彼が、赤子を拾った。
人からは恐れられ、【常春の主】には嫌悪され、あまり良い噂の無い彼が赤子を拾った事は、多分聞く者によっては大ニュースなのだろう。

だけど、僕達闇に属する者は知っている。

彼が人を愛しいと思っている事も。
彼が人を脅えさせたい訳ではない事も。

彼が、とても優しい事も。

僕達だけが知っている。

だから、こうなる事も、ある意味では予想していなかったと言えば、嘘になる。

◆ ◇ ◆


コン、コンコン、

ドアを叩く音に、僕は読んでいた本を閉じる。
ゆっくりと体を起こして、玄関へと向かった。

訪問者は、大凡見当がついている。

「やあ、新羅」
「いらっしゃい、臨也。それから…君も」

ニコリと軽い笑みを浮かべて立っていたのは、予想通りの人物。
つい先日拾った赤子を抱えた、臨也だ。

「【君】じゃなくて、【絵理華】よ、ってご挨拶しないとねー。エリカ」

クスクスと笑いながら、まるで人形遊びの様に赤子の腕を持ち上げて何やらジェスチャーをさせる臨也は、知らない人が見たらこの世界の主だなんて思いもしないだろう。

「あ、名前決めたんだ?」
「うん。狩沢 絵理華っていうんだ。可愛いだろ?」
「そうだね。何か由来でもあるのかい?」

ふと、思いついて、名前の由来を尋ねてみた。
彼の事だから、色々案を出して、その中からこれぞと云う物を付けたのだろう。
臨也は、柔らかい笑みを浮かべたままで、「うん、一応ね」と告げた。

「エリカって花があるだろう?」
「あぁ、あのツツジ科の?…確か、スズランみたいな小さくて丸っこい花の付く奴だよね?」
「そうそう。あれの花言葉がさ、【博愛】とか【幸せな愛を】って言うんだよ。…だから、皆に愛される子になってほしいな、と思ってね」

「俺とは違って」と小さく付け足した言葉は、多分臨也自身は聞こえてないと思ってるんだろう。
だから僕も聞こえないふりをする。

「それは気のせいだよ」なんて、僕が告げた所で、彼は信じようとはしないのだから。

エリカちゃんをあやす様に揺らしながら、「幸せになってね、エリカ」と微笑む臨也に答える様に、彼女は楽しげに笑い声を上げていた。

◆ ◇ ◆
◆ ◇ ◆


――そうやって、数週間前の二人は笑い合っていたと云うのに。

……運命は、斯くも残酷だ。


ドンドンドンッ

荒々しいノック音。

「新羅、新羅っ!」

常とは違う、慌ただしい臨也の声に、僕とセルティは顔を見合わせる。
急いでドアを開ければ、そこには。

「エリカが…!」

ぐったりとした様子のエリカちゃんと、泣き出しそうに表情を歪めた臨也の姿があった。

急いで奥にある処置室へと二人を通す。
セルティに指示をして、僕はすぐにエリカちゃんの様子を診る為の準備を始めた。

「………これは…」

診察の結果、僕は臨也に酷な結果を話さねばならない。

「臨也、落ち着いて良く聞いて。エリカちゃんはね……」

この世界に、体が対応できていないんだ。

◆ ◇ ◆


その言葉を告げた瞬間(とき)、臨也の表情は凍りついていた。
みている此方が可哀想になる位にうろたえて、泣き出しそうな声で新羅に問う。

「…助ける、助かる、方法は?」

神妙な顔付きで新羅が告げたのは、3つの方法。
一つは、人里へ返す事。
一つは、人の子の住みやすい、常春の世界へ託す事。
一つは、彼女に洗礼を与え、彼女を人ではなくしてしまう事。

それを聞いた臨也は、一目散にエリカちゃんを抱えて飛び出して行った。
行く場所は、私も新羅も予想がついている。

臨也にとっては最も相性の悪い場所。

――常春の世界。

「臨也が人里へエリカちゃんを下ろすわけがないからね」
『そうだな…臨也は人の子の事が好きだが、人里へ降ろすと云う事は、言ってしまえば、エリカちゃんを再び、今度は臨也が捨てる、と云う事だから』

新羅と顔を見合わせて、私達は頷き合う。

私達に出来る事は、今は無い。
せめて、臨也が戻って来た時に、恐らく出来ているだろう傷を、治してやる準備を整えるだけだ。

◆ ◇ ◆


「シズちゃん!」

俺の領域(テリトリー)に、一つの闇が飛び込んで来た。
「甘楽」認識するよりも先に、口を吐いて言葉が出る。

そして、「どうした」と問うよりも、思うよりも先に、俺の理性は焼き切れた。

「手前…何でこっちのテリトリーに居やがるんだ、あ゛あ゛?」

そこらに生えていた木を引き抜いて、思いきり振りまわす。

「ちょ、ちょっと待って、シズちゃん!」
「だから…その呼び方をするんじゃねぇぇぇえええ!!俺の名前は静雄だって言ってんだろうがこの野郎!」

奴の横腹をめがけて、木をフルスイングした。
身をかわして避けながら、甘楽はなおも俺を呼ぶ。「話を聞いてほしいんだ」

何時もなら、ここらでナイフが飛んでくるはずだ。
甘楽の武器は主にナイフで、それ一本で何時も俺と対峙している。

それが、今日は飛んでくる気配がない。

ただひたすらに俺の攻撃を避けて、話を聞けと告げてくる。

一瞬、その不自然さに気がそれた、その瞬間。
腕から今まで振り回していた木がすっぽ抜けた。

「あ、」

声が零れる。

予想外の出来事に、甘楽は一瞬反応が遅れたらしい。
慌てて避けようと体を翻していたが、一歩遅かった。

木は甘楽の足元を掠め、奴にしては珍しく、頭から地面に突っ込むと云う間抜けなこけ方をしている。
こけた際に、甘楽の持ち物が空を舞った。

「エリカッ!」

焦った様な声が、辺りに響く。

甘楽は慌てて体制を立て直すと、それを受け止める様に、今度は自分から何の受け身も取らずに地面へと飛んだ。

「な、」

まさか甘楽がそんな行動を起こすとは思わなかった俺は、思わず驚いて間抜けな声を上げてしまう。
しかし、そんな俺の様子など気にしていないのか、甘楽は腕の中に抱きとめた持ち物に、ホッとしたように息を吐いていた。

「よかった…怪我はないかい?エリカ」

今までに見た事のない様な、柔らかい笑みで甘楽は問う。
それに答える様に、奴の腕の中からは、はしゃぐような笑い声が上がっていた。

◆ ◇ ◆


「……笑い声?」

ぼんやりと臨也の様子を見ていた静雄だったが、その不自然さに気付いたらしい。
きょとん、とした様子で不思議そうな声を上げている。

しかし臨也はそんな静雄の様子など気に留める事もなく、ただ腕の中で笑う絵理華の事だけを考えていた。

「良かった…ちょっと元気になったんだね、エリカ。…でも、今のは遊びじゃないから、笑う所じゃないよ?」

クスクスと小さく笑みを零しながら、あやす様にその髪を撫でる。
そして、臨也は思う。

(やっぱり、ここに置かせてもらった方が…エリカにとっては良いんだよね)

納得し、決心する。
不思議そうな面持ちで此方を見ている静雄の傍へ寄り、再度、彼は口を開く。

「…常春の主の、君にお願いがあるんだ、シズちゃん」

何時になく真剣味を帯びたその表情に、静雄は若干気圧されながらも先を促した。「なんだ?」

「……この子を…君の世界で預かってほしいんだ…」

いくら決心したとは言っても、臨也にとって絵理華は愛しい存在。
どうしても言葉が苦し気になる事だけは避けられなかった。

無言で先を促し、詳しい事情を聴き終えた静雄は、困った様に頭を振る。「すまねえが、」

「それは…出来ない」
「どうして!」

噛みつく様に言葉を返す臨也に、静雄は常になく冷静に言葉を述べた。「俺自身は構わない」

「だが、どうしても反感を持つ奴だって出てくる。いくらここが常春だとは言っても、皆が皆良い奴ってわけじゃない。妙な勘繰りをして、この子供を打ち払おうと考える奴だって出てくるかもしれねぇ。そんな奴らから、俺は一々この子供を守ってやる事は出来ない」

彼の言葉は正論で、臨也は口を噤む。
その言葉は、静雄個人としての感情論ではなく、紛れもない、【常春の主】としての言葉だった。

「……分かった。確かにその通りだ。…変なこと言ってごめん」

頭(こうべ)を垂れた臨也の表情は、窺い知る事が出来ない。

「お、おい。甘楽?」

思わず手を伸ばした静雄に足を止めることなく、「…帰るよ」とだけ告げて、臨也は帰って行った。

◆ ◇ ◆


「おかえり」

新羅の家へと戻って来た臨也に、新羅とセルティは掛け寄って行く。
彼らには予想が出来ていた。

彼が怪我をして帰ってくる事も、絵理華を連れて帰ってくる事も。

殊更優しく言葉をかけて、彼の怪我を治すために処置室へと連れ込んだ。
傷口を手当てしながら、新羅は思う。

(エリカちゃんには悪いけど、彼女と臨也が出会わなければ、臨也はこんなに心を痛めたりしなかったのに)

絵理華に罪がないのは分かっている。
それでも、思ってしまうのだ。

彼の事が大切であるが故に。


処置を終え、臨也は絵理華を抱き上げる。
先程常春に行った為か、先程までよりも幾分か顔色の良くなった絵理華は、臨也に抱きあげられると、楽しげに笑った。

そんな彼女に複雑そうな表情を見せながら、臨也はその額に己の血液を一滴落とすと、口の中で小さく何かしらの呪文の様な物を呟き、そっと。

その額へと口付けた。

その途端、絵理華の体は一瞬だけ淡く光を放ち、次の瞬間には何事もなかったかのようにいつも通りの彼女に戻っていた。

先程の儀式の様な物は、洗礼と呼ばれる、彼女を救う為の唯一残された方法だ。
この儀式を行ってしまえば、彼女はもう、人ではない。

ただし、此方の住民になったのかと云えば、そうではないのだ。

元は人である彼女が、完全にこちらの民になることは不可能である。

故に、儀式を終えた今、絵理華は人でも精霊でもない、酷く曖昧な存在へと成り果てたのだ。

儀式を終えた影響か、すやすやと寝息を立てる絵理華に、臨也は頬を寄せ、苦しげに呟いた。

「…ごめんね…エリカ」


―――これが、彼が彼女の名前を呼んだ、最後の時となった。

常夜の主
(ヤサシイヒト)


(臨也、そんなに気を病む事はないんじゃないかな)
(新羅…それでも、俺は…きっと彼女を人里に帰すべきだったのに…自分のエゴで洗礼なんて受けさせて……彼女の未来を奪ってしまったんだよ)
《それでも、だ。…これは、私の勝手な予想だが…多分、エリカちゃんは将来思春期なんかを迎えても臨也を嫌いになったりはしないと思うぞ》
(うん…僕もそう思うな。だってエリカちゃん、臨也にだけなんだよ?抱きあげられてあんな風に笑うの)
(………え?)


End.
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