家宝

□時、既に遅し。
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時、既に遅し。(教育実習生黒子と黄瀬)





その先生は黒子、といった。大学から教育実習に来ている若い先生(見習い)の話だ。なんでもこの中学校が母校であるらしく、わざわざ遠い所から実習に来ているらしかった。教室にいても廊下を歩いていても、ふと懐かしそうな、感慨深げな目をするのはそういった理由もあってなのかもしれない。そんな黒子先生は、びっくりするほど影が薄い。授業が始まっているのに来てない、と生徒が騒げば「来てますけど?」といつの間にか教壇の所にいたりする。授業中にまだ教壇の前にいるだろう、と思ってノートに落書きをしていれば「こら」と言われて隣に立っていたりする。つまりは神出鬼没なのであった。そんな先生でも、生徒からは何故か人気があった。若さと物腰の柔らかさと綺麗な容姿、それに、本人は否定するけど少し天然が入っているようである。先生先生と懐かれるのも悪い気はしていないようで、彼の周りをいつも何人の生徒が取り囲んでいた。

「黄瀬、くん?」
「……え?あ、はい」

何スか?と背中から掛かった声に振り返れば、あの黒子先生が立っていた。今まで接触は殆ど無かったため、こうして話すのは珍しいように思う。

「宿題のプリント、出していないのは君だけですよ?」
「すんませんっ、明日には必ず……!」
「あ、いえ。明日出すなら本来の古典の先生の方に出してください」
「……え、」
「明日には、大学に帰ってしまいますから」
「そう、なんスか」

それでは、と柔らかい笑みを浮かべて踵を返した黒子先生を追い掛けるようなことはしなかった。純粋に、どうすればいいのか、分からなかったのだ。胸の中のモヤモヤした気持ちと向き合って、初めて分かったのは、それが恋だったということだった。



時、既に遅し。
(初めからちゃんと向き合っていればよかったんだ。今更気付いたってもう、遅い初恋)





End.
 

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