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□Fetter
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新緑は昨日よりも一昨日よりも濃くなった。
それでも屋根の上は思うほど暑くなく。

金属を打ちつける音が小刻みに青空へ響く。
少しの風に撫でられると、薄手のスカートが僅かに揺れて触れた。





fetter






腰掛けた棟が、じんわりと熱を持つ。
名無しさんはシュークリームみたいな雲達を見渡し、次には軒でかなづちを振り下ろすエドの姿を見つめた。

のどかな休日は轟音モーニングコールで始まった。
家ごと揺さぶり起こされ、何事かとカーテンを開いたら窓枠が変形していた。
怖々罅入りの硝子窓を開くと、何故か逆さまのエドがぶら下がっている。
なんでも、人を追い掛けていて錬金術を使ったら名無しさんの家に穴が開いたのだと言う。

軽く眩暈がしたけど落ち込んでもいられない。
名無しさんは大まかな説明をするなり追い掛けっこを再開しようとするエドの足を掴み、元通りにするまで離さないと必死で訴えたのだった。

そういう訳で、エドは今名無しさんの家で日曜大工をしている。
午前中から始めた屋根の修理はもうじき終わりそうだ。

「あー…。修理にこんなに時間取られるとは…」

呟きながら足元の道具箱を漁るエド。
俯いた彼の頬に、眩しい色の髪の房が垂れる。
名無しさんは思わず背筋を伸ばして見入った。

日に透ける。
見え隠れしている瞳も睫毛も、全部金色なのだ。
名無しさんはいいものを見つけた子供の様に目を輝かせて、膝の上で頬杖をつく。
こんな風に時々、すぐ傍に太陽があるみたいだと思って彼女は嬉しくなる。


初夏を控えた上空からの光は力強く。
屋根瓦には二人の濃い影が落ちる。

あぁ、焼けそう。
名無しさんがそう思って見上げたら、太陽の端がなんだか、変に黒いような。

「ねぇエド。なんか太陽が黒く見えるんだけど」

「そういや金環日食だってラジオで言ってたな」

「金環日食?」

手元から目を離すことなく、エドは「ああ」と軽く返事する。

「日食の時に太陽より月の見かけがひと回り小さいと、丁度リングみたいに見えるんだ」

「へぇ〜」

「場所によって微妙に見え方が変わるんだけど、そうだなー…此処らへんだと太さの均等な輪っかっていうよりは、中心がずれて指輪みたいに見えるかもな」

「ほぉ〜!」

「よーし、こんなもんでいいだろ!」

エドは急勾配の屋根の上に立ち上がると、見てて気持ちが良くなるような背伸びをした。

「お疲れー!あ、雨樋も壊れちゃってるし庭にも穴開いてるから、よろしく」

名無しさんがにこやかに声を掛けると、エドは万歳のポーズのままで振り返る。

「あのさー…一瞬なんだけどな〜錬金術なら」

「駄目。エドが、えーと…錬成?した窓枠、棘だらけでカーテンが破れたから」

「今度は大丈夫だから!な?」

「信用できない!」

彼女がきっぱり言うと、エドは渋々工具箱を持って移動し始める。
よしよし、と名無しさんは内心で頷く。
庭の穴なんて撫でるだけでいいのに、エドが練成したら穴の数だけスカルのオブジェが埋まる。

…朝に作ってくれた植木鉢もグロテスクだったし。
雨樋だって、存在感皆無のシンプルな奴でいい。
でもエドが練成したら間違いなくガーゴイルになる。
それだけは阻止したかった。

何より、錬金術だと一瞬で終わってしまうではないか。


「これは材料買わないと厳しいな」

エドは軒先から下を覗き込むなりそう呟くと、いきなりひょいと飛び降りた。
「ぎゃー!」という名無しさんの情けない叫びがこだまする。
すぐに下から「平気平気」と軽い声が聞こえた。
どうやら庭に着地したようだ。
一般人の名無しさんにはエドは凄すぎて時々困惑する。
そのまま買出しに行くつもりらしく、屋根の向こうに再び姿が見えたかと思うと「ちょっと行ってくる」と笑って家の門を出て行く。
その明るい笑顔につられ、名無しさんはふわふわした気持ちで手を振る。はっとした。

…しまった。一緒に買い物に行くチャンスだったのに!
追い駆けようにも名無しさんが屋根に登れたのもエドが居たからで、自分一人ではどうにもならないのだった。

「私のバカぁ〜…!」

名無しさんは大げさに項垂れると、体勢を戻してその場に座り直した。
一人になると急に辺りが広く感じる。
屋根に置いた足の裏は灰色で、擦り合わせて落とそうとしたら取れるどころかあちこち余計に汚れて諦めた。

…暇だ。
頭の中で声に出したら特別な太陽を思い出して空を仰いだ。
先程よりも影の部分が多くなっている。

「日食かぁ」

名無しさんは大きく欠け始めたそれに手を伸ばして翳してみる。
白い円の淵に指が触れる。
もうじきこの指の先で指輪の様になるのだ。
ラジオでニュースになるくらいだから珍しい事なのだろう。
天文学に無関心な名無しさんも少し楽しくなる。



「…何してんだ?」

「うわああっ!?」

突然の背後からの声に悲鳴を上げる、と同時に名無しさんは意図せず跳び上がり、自分の身体が前傾するのが分かった。
反射的に目の前の瓦に手をつこうとする。
するとそのまま前転して屋根を転がっていくイメージが脳内で先行した。

落ちるのだと気づいた瞬間。
腰に装着した安全ベルトさながら、彼女は後ろからがっちり支えられた。
元居た場所に引き戻されて事なきを得たが口元は半開きだ。

…危なかった。ほんとに、危なかった。

「 大丈夫か?」

「あ、ありがと…」

エドの言葉になんとか笑顔を返すも、名無しさんはすぐに視線を逸らした。

……どっち。
どっちだ。

今の出来事だけで名無しさんの小さな脳みそはパンク寸前である。
衣服の裾を整えながら考える。
スカートのゴムの感触が指を伝う。
今日のボトムは楽々ウエストゴムスカートだ。
外に出ると言っても自宅の屋根だから、楽な格好でいいと思ったのだが。

…こんな事なら違う服にすれば良かった!
名無しさんは軽く頭を抱え込んだ。

助けてくれたのは事実。
だけど緊急事態だったとはいえ。

…よりによってウエスト部分を掴んで引き上げなくても…。
早い話、びよーんってなった。
うっかりエドの前でパンツ姿で転げ落ちていく自分を想像したじゃないか。


やっぱり見られたかなとか、今日どんなの穿いてたっけとか思いつつ、名無しさんは恥ずかしさ半分、無言で隣に座ろうとする少年を恨めしげに睨む。
それに気づくと、彼はにこりと笑って見せた。

「もう少し色気のある下着にしたら?」

その笑顔があんまり憎らしかったので、名無しさんは安心して遠慮の無いビンタをお見舞いした。
ぺちーんと思ったよりいい音がした。
そしてまた思ったよりも柔らかい頬の感触に、ちょっと複雑な気持ちになる。


「痛いー!何すんのー!」

「エンヴィーがいけないんでしょ!」

「うーん、ひょっとして最初からばれてた?」

彼はいつもの姿に戻り、「あんたに見破られるなんて傷つく」と全然ダメージが無さそうに言う。
普段名無しさんは、エンヴィーのこの謎の凄い特技に騙されてばかりいる。
だけどついさっき出掛けて行ったエドがすぐ後ろから現れれば、さすがの名無しさんだって不審に思う。

それでも確信はなかった。
なかったけど。

…信じてた。エドは女の子のスカートを躊躇無く掴んだりしないって…!
きっとあの局面でも、もう少しましな(素敵な)助け方をしてくれる筈。

「あ〜!良かった〜エドじゃなくて!」

「ほんと良かったね。あんなの見られなくて」

…もしかしたら今日、後ろにブタさん(豚肉の部位図)が描いてある奴だったのかもしれない。


「ところでさ、さっき何してたの」

「へ?」

「手を、こうしてたでしょ」

エンヴィーは軽く手を開いて、それを天に翳して見せる。
パンツ事件ですっかりそれまでの事が頭から飛んでいた名無しさんは、辺りが仄かに薄暗い事に気づく。

「 ああ、あれ!日食観てた。もうすぐ太陽が指輪みたいに見えるんだって」

「指輪?」

そう言ったエンヴィーが、目を細めながら太陽を見上げる。

「そうだ、一緒に観ようよ!」

「はぁ?」

彼は変な声を出したけど、名無しさんはすっかりその気だった。
この手のイベントを一人で楽しむほどつまらない事はない。

「やだ。面倒臭い」

「すぐ終わるからー!」

「興味ない」

「太陽が欠けようが焦げようがどうでもいい」と帰ろうとするエンヴィーのスカート(ではない)を今度は名無しさんが引っ張る。
だけど、さっきの自分の様になったら申し訳ないと無用な心配が生じて手を離した。
反動で前のめりに転けそうになった彼がニコニコスマイルで睨んでくる。

エンヴィーが屋根に手を突いて振り返った時点で、早々と彼女の中で引き止め成功の旗が挙がった。
名無しさんは上機嫌で太陽と月が重なり合うのを観察する。

月のシルエットは刻一刻と移動していく。
その影の周りから強烈な白い光が注ぐ。

「こ、これは辛い…かも」

「フツー肉眼で見ないよ。そんな事も知らないなんて、馬鹿なの?」

いつの間にかエンヴィーは如何にも楽そうな姿勢で隣に座っている。

「自分だって見てるじゃない」

「俺はいいの」

自分の眼球は特別製だとでも言いたいのか。
とにかく目が痛いので名無しさんは少し休む事にした。
額に両手を当てて影を作る。

一人で観たくないからと巻き込んだけど。
名無しさんはなんとなくエンヴィーと居る時は落ち着かなくなる。
得体の知れないものに触れているようで。
それほど親しくない人が相手でもこんな感覚にはならないのに。

今だって名無しさんの視界の隅が夜の草木より深い色をしていて、彼に晒している左半身を幾分警戒させている自分が居る。
これがエドなら安心して信頼して、楽しく笑っていられるのに。
なんだかうまくいかない。
同じ男の子でもエドとは全然違う。

…いや、「正反対」かな。髪の色も、瞳の色だって…。

名無しさんは思わずエンヴィーの方を向きそうになる。
この青年の瞳は何色だっただろうか。


「指輪というより、腕輪なんじゃないの?」

ふいに彼がそんな事を言った。
見れば相変わらず寛いだ座り方で太陽を見上げている。
興味もなさそうだったのに真面目にコメントするのが意外だった。

「腕輪?そう?」

エドが言っていたからか、名無しさんの目には指輪にしか見えなかった。
理由を訊くと彼は「うーん」と呻る。

「どうせ昔から人間が言ってた事なんでしょ?だったら指輪より腕輪の方がしっくりくるんだよね」

「そうなの?」

「さぁ、知らないけど」

「……」

…古代とか…昔の人にとっては指輪より腕輪の方が身近だった、とかそういう事?
名無しさんが考えてみたところで正否を問える相手も居ない。

「腕輪かぁ」

確かにこういう形のバングルもあるし、と今度は白く光る腕輪を想像してみる。
いよいよ太陽はリング状だ。
名無しさんは手首にそれと同じ輪が嵌まる想像をした。

すると、不意に何か別の物を嵌められたような気持ちになった。
光の環は変わらず頭上に輝いている。
天空と地上の、二つの腕輪が見えない何かで繋がる。

少し遠くで、聞き覚えのある笑い声がした。
エドが帰ってきたのだ。
何処で合流したのか隣にはアルも居て、遥か上空を見上げた二人が何か話している。
これでみんなで一緒に日食を観られる。
名無しさんは顔を明るくして立ち上がった。


その時、名無しさんの足首を何かが包み込む感触がした。
驚いて彼を見下ろす。

「落ちるよ?」

「だ、大丈夫だよ」

エンヴィーの指が触れている。
力を込められている訳でも、重い訳でもないのに名無しさんは動けなくなる。




それはまるで。




「最近おチビさんとはどうなの」


…何、その質問。

彼の口角が僅かに上がっているのが、名無しさんはなんだか気に入らない。


「好きなんでしょ?」

答える必要はなかった。
名無しさんは分かり易く嫌そうな顔をしている筈なのに、エンヴィーは彼女の顔を覗き込んで楽しそうに笑った。
太陽が隠されているからか、彼の瞳は何色ともつかない。
見つめていると何故だか無性に落ち着かなくなる。
この斜面で、名無しさんは安定を失う。


「朝、エドが追いかけてたのってエンヴィー?」

エンヴィーは顔色ひとつ変えず笑みを浮かべている。
名無しさんはどうする事も出来ず目を逸らした。
道の途中でエドが空を指差している。
きっと今がこの現象のピークなのだ。ゆらゆらと、黒い太陽が滲む。


次の瞬間には足首に絡む感覚が消え、エンヴィーも居なくなっていた。





「ごめんね、アル。手伝って貰っちゃって」

「ううん。家がめちゃくちゃのままじゃ困るだろうし」

「で、お前は高みの見物か」

「当たり前でしょー。あ、アルは錬金術使っていいけどエドは手作業で修理続けてよね」

「おいー!何の為にアル連れて来たと思ってんだ!」

「つべこべ言わない」

「アル一人に作業させられないでしょ」と強調すると、諦めたエドはまた金槌で硬い音を響かせ始めた。


頬杖をつき、名無しさんは二人の姿を見下ろす。
やっぱり自分も手伝おうともぞもぞしていたら「危なっかしい」と止められて大人しく座り込んだ。
修理に伴う音達が、まだ十分に高い日の光の中で積み上げられる。
アルは聞き慣れない音と共にみるみる物体を構築していく。
やがてそれは、ぼんやりとしていた名無しさんの意識を遠い時代へ運んでいく。


照りつける日の下。
古代、あるいは旧式の暦の時代から、人はあらゆる建造物をその手で作ってきた。
長い年月を掛け、資材を投じ。
その地を治める支配者や権力者達は数多の労働者を動員し、天に迫る様な物だって築いてきた。


もう一度、名無しさんは空を見上げる。
頭上に冠していたのはいつもの太陽だった。
だけどその色は、名無しさんには黄金にも純白にも見えなかった。








…ずっと、
エドだけのイメージだったんだ。





太陽は。






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ヒロインがエドスキーすぎて驚いた(笑)
太陽に食傷気味です;
良い子は暗所で目を休めて太陽を見てはいけないよ☆(^ω^)←

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