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□Noise
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Noise



錆びたブランコが、斜陽の中に揺れていた。







「最近本当に物騒よね。昨日もね、この公園の向かいの奥さんが、夜中に争うような声を聴いたらしいわよ。
その時は奥さん、犬の喧嘩か何かだと思ったらしいんだけど、
朝になってみたらご自宅の前の通りが血だらけだったんですって」

「まぁ!気味が悪いわね…」

子供連れのハハオヤ達が、しっかりと小さな手を繋ぎながら帰っていく。
長く伸びた複数の影法師が、蔓延する橙色の光景に揺れていた。





意識を戻せば、

キィ、キィと。



耳障りな音を立てて。
揺れる遊具が俺の視界の隅を行き交った。
髪の間から空を見上げれば、雲という雲が下品な濃い桃色に染まっていた。


だらしなく何処までも伸びていく影が子供の描いた地面の落書きへ染み、
やがて巨大な陰影の塊に呑まれ始めた頃には、一人、二人と居なくなって。



小さいのは大きいのに連れられて、

中くらいのは一人、時間が来たと言い、
大きいのは独り、また時間が去ると言い、
小さいのは更に小さいのと一緒に。
明日の為に死んでいく今日を、背中で弔い去っていく。

蝋燭が消えるように一人また一人と人間が減って、
そして今日もこうして馬鹿馬鹿しいほど規則的に、
同じ状況に嵌まっていく。


キィ、キィと。
気だるく行ったり来たりするだけのブランコと、
いつまで経っても其処にいる君と。





冷たくなってきた風に髪を浸しながら、


「帰んないの?」

俺は口を開いた。


「うん」

君が答える。


「もうじき空が暗くなるけど?」

「うん」

再び頷いて、名無しさんは夜の空も好きだから構わないと言った。
少し腫れた横顔が、残像の様に空中に流れる。
哀れな君が家に帰らない理由は知っている。

暫く俺も、空いている隣のブランコを揺らしてみた。
ふわりふわりと、茜空に名無しさんの髪が揺れて消える。
あんまり綺麗でむかつくから、君の心ごと揺さ振ってみたくなる。

「名無しさんを誰もが打つのは、名無しさんの事が嫌いだからだよ」

「違う」

「名無しさんを誰も迎えに来ないのは、要らないからだよ」

「違う」

今日も取り残される余り物。
無抵抗で不幸な子供。
だから俺が貰ってあげるって言ってるのに、
なんでこんな態度なのかな。


日常的だった名無しさんへの仕打ちはこの頃度を増していた。
だから簡単について来てくれると思っていた。

「肉親だから」という、
たったそれだけですべて我慢出来てしまう、
哀れで可愛い生き物の君。

だから自由にしてあげよう。
当然の発想に至り、今日の昼下がりに始末しに行ったのだが、
虫けらの勘でも働いたか、生憎標的達は留守だった。





キィ、キィ、と。

暗がりの中、揺れたままの君。


俺は自分のブランコを止めた。
金属が擦れ合って気味の悪い唸り声で鳴く。
ぐずる子供の様に。


「ねぇ。」



「誰も来ないんでしょ?もう諦めなよ」

この子は強情だから動かないだろう。
だから欲しいんだ。

「ねぇ、俺が貰ってあげるから。それでいいでしょ?」

何焦ってんだか。
思わず自嘲する。



名無しさんはだんまりだった。
簡素な遊具の、金属の擦れる雑音のみが、
揺れては俺の苛立ちに機械的呼応をする。




ずるり。

その時、名無しさんが地面に足を着いた。
小さな赤い靴が土を掻く。

両目が君の姿を捉える。


ガチャリ。

君を乗せている二本の鎖を俺は掴み取る。
君を見下ろす。

夕日の逆光の中、上から眺めた顔は酷く幼かった。


「何処行く気」

「おうちに帰るの」

「そんなの許さない」

「……。」

君という子供は、いつも「なんで」と訊かない。
だからやり難い。

「どいて、みんな待ってるの」

「嘘吐かないで。昨日までの事忘れたの?」

「どいて」

「駄目。連れて行く」

もう決めた。
絶対連れて行く。
俺がそう決めたんだから。

「どいて」


「殺してでも連れて行くよ」

「知らない。もう帰るの」

「いいよ。名無しさんがそう言うなら、大好きな家に着いてからでいい。
大好きな家の前でバラバラに切り刻んで、
犬小屋みたいなあの反吐の出る腐った家に撒いてやるから。
あいつらどんな顔するかな?」

わらうかもね、そう思った。
君は頭上の画用紙にどんな顔を描いているのだろう。

キッ、と小さくブランコが鳴く。

でたらめの呪いを掛けても、
君が離れていく事実は曲げられない様で。

名無しさんは一切揺らぐ事なく、
無関心に俺から目を離すと、黙ってすり抜けて歩き出した。


空っぽになったブランコが、
俺の手によって激しくぶれて揺れた。
キィキィキィキィと喧しい。


殺す事の出来ない背中が恨めしい。
なんてざまだ。
地上で足掻くのは君だけで十分なのに。



鳴り止まない雑音が、振り子となって響いている。
小さな、小さな君。
やるか、やめるか。


気がふれそうな程、
この子が欲しい。








「ただいま。」


海鳴りの様なノイズの中、その声は妙な音を紡いだ。


離れた所の小さな後ろ頭が振り返る。


「貴方も来ていいよ。此処、私のおうちだから」

名無しさんは言った。

ブランコと、闇に落ちたジャングルジムの間に描かれた大きな落書き。
深く土が抉られ、歪な正方形のラインが引かれていた。
四角形の中にも何やらごちゃごちゃ描いてあり、
よく見ればスコップやバケツ、
砂を被った玩具の包丁や魚がゴロゴロ落ちている。

「こっちがお庭」

指差し、名無しさんは歩き出す。
俺も遊具から離れ、その後ろを歩く。

手描きのラインを踏み越える。

ままごと、隠れ家、秘密基地。
陣地取りと呼ぶに相応しい遊び方が、
なんとも人間らしく無様で醜悪でいい。




「此処にみんなを埋めたの」







キィ、キィ、と。

押し退けたブランコが、
まだしつこく揺れている。


「…なんだって?」

「みんな此処から離れられないから。だから迎えに来れなかったの」

公園の隅の暗がりの、土が不自然に混ぜ返してあった。
少し盛り上がっている様にも見える。
それが幾つか横一列に並んでいる。
左から右へ、名無しさんはゆっくりと首を動かし、
そのひとつひとつを眺める様にした。
一番端の、「穴」は、他より一回り小さかった。


まだ俺の後ろでは、錆びたブランコが振れている。

錆びた振り子の針が。


「…あそこに犬を埋めた訳だ?」

「いい子だったわ。仲良しだったし、ずっと手伝ってくれたの。でも」

掘り返そうとするんだもの。

そう言った君は困った様な顔をして、
ままごとごっこの母親の様な溜め息を吐いた。



今や夕日は完全に落ちた。

誰も居なくなって。
麗しい君と二人。

夜気が、遊具を冷やし固める。


「私は要らない子じゃない」

痣だらけの小さな腕と脚を夕闇に晒し、強い瞳で君は言う。
小さな掌を蕾の様に握り込んで。


「要らなくなったのは、みんなの方だから。だから…っ」


己の身を守る為。

そのシンプルで切実な理由が、
その身勝手さと浅ましさが、

なんとも人間らしく無様で醜悪でいい。

こんな小さな君にも見事に宿っている、
まるで強力な呪いの様な遺伝子。





わたしが要らない子なんじゃない。


もう一度そう言って、名無しさんは泣いた。



今やあの振り子は静かになっていた。






一つまた一つ、
揺れて蝋燭の火の如く消えたその後に、



もうこれ以上哀しい夢を見ないでいいように、
もうこれ以上泣かないでいいように、


その小さな火を、
吹き消す様な目隠しをした。

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