拍手御礼SS-log

□equal
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とまれ。



とまれとまれ。
とまれとまれとまれ。






頭が割れそうになるほど、
唱え続けていた。









equal






単純作業に従事する脳が焼ける様に熱い。

赤黒く毟られた場所を布切れで押さえ込む、その行為だけが全て。



「…!」

遍く塞いでいるつもりなのに。
また滲む。

その際限の無さに舌打ちをして。
ずぶずぶに液を溜め込んだ布切れの、比較的乾いた面を押し当てた。


「……っ、…」

「…お前死にたいの?喋ろうとすんな」

すぐさま散らばっている硝子片の一つを手に取り、無造作に腕に滑らせた。
有り余るそれを口に含んで、無駄話に興じようとする丹唇を塞ぐ。

「…っ」

細い首が仰け反って、名無しさんの喉が上下する。


「……」


あまり動くな。
奥底で願う。


喋るな。
苦悶の息をするな。
忌々しいあの液体が流れ出てしまう。



お前を枯らしてしまう。







先程から、一滴の水で干乾びた喉を濡らそうとでもしている気分だった。
微量与える間にも一分一秒を待たず大量に流れ失われていく。

憎すぎて狂いそうだ。

お前という生き物に呼吸を許し、
お前という無数の細胞を生かす為に満ちていたこの赤い液体が。
ひとつ穴が開いた途端役目を忘れ、唯、唯、流れ出るだけのこの堕落した液体が。



「!」

ごぽ、と。

また、不自然なタイミングで、横たわる身体の奥から惜しげなく湧いて溢れた。


一瞬、目が合った気がした。


「……はぁ…はぁ…、」

痺れた指先を、僅かにずらした。
力を入れっぱなしだった両腕。
俺は思い出した様に息をして、刹那呆然と水溜りを作るそれを見送った。
平面に広がるあかがね色。

嘘の様な、赤。



耳のすぐ上辺りがぞわりとする。
脳の極一部が極端に冷える。






これはまずい。





そう認めたのとほぼ同時だった。
膨大な音と衝撃に上体がぶれた。

突如立ち込めた煙の中で顔を上げると、建物内の景色が一変していた。

近くで何かが爆発した様だった。
脆く崩れる支柱と階段。
巻き起こった風に無数の火の粉が舞い吹き荒れる。


「…ははっ、なんなのこれ…」

何処かで幾度かくらいは、聞き覚えも見覚えも、心当たりもある展開だった。

笑える程粗末で豪華な大団円。


切れ切れに届く不穏な音に見上げると、上階まで開けた吹き抜けの天井が静かに軋んでいた。
支える柱は炎に巻かれ、容赦なく焼かれ、影の様に其処彼処で揺れている。

その時、充満する炎と佇む影の中に、ひとつ人影の様なものを見た気がした。




「…、…」

名無しさんの細い息に気づく。
汚れた唇は身を焦がす様な熱を浴びて乾燥していた。
干乾びた血は罅割れ、ぱらぱらと落ちていく。
それがまるで、赤い灰の様で。

気が狂いそうだった。
堪らなくなって、余白の無い布切れに埋もれた身体を抱き締めた。

伏せかけた虚ろな瞳が仰ぎ見る天は、どれくらい遠い場所なのか。
                                                                                                                                                                                                            



「…今日で、終わりだって言うの?」

もう少し、ほんのもう少しだけ、先の話だと思っていた。

お前だって、そう言っていたじゃないか。
自分は短命かもしれないけど、「それ」は今ではないと。


なんで今日なのだろう。

延命の手段くらい、提示出来る自信ならあったのに。
今この時には、血を止めるという唯の一つも満足にはいかず。
失われたらもうそれきりで、この地の何処を辿る事も探す事も叶わないのだろう。

先程からまるで動かない名無しさんの、何度抱き締めたか分からない頭を抱える腕を強めた。

此処はこんなにも熱いのに、酷く寒くて。
置いて行かれる為だけの耐性が整っていく。
焼け付く目蓋を伏せると、隙間を埋める様に湧いて溢れて滲んだ。








とまれ。

とまれとまれ。



血が尽きてもう流れないというなら、
時間でもいい。




このままお前だけが永遠に止まってしまうのなら。



とまれ。
とまれとまれとまれ。




この手の中に。


何もかもが間に合わないならせめて、






お前の灰の、
ひとひらだけでも。

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