拍手御礼SS-log

□Yes
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一言でいい。

「うん。」と言って、君が頷いてくれたなら。










YES








君が自由な日はいつも雨だから、
もしも明日晴れたら何処に行こうかと尋ねてみる。


「たまには遠出するのもいいよね」

「うん、いいかも…」

「何、寝不足?」

隣で、不意にふぁと欠伸をした、名無しさんを見て少し笑った。


「仕事がね、ちょっと忙しくて」

「うん」

俺は軽く頷く。

名無しさんの帰りが毎日遅い事はよく知っている。
それから焔の大佐の元部下である事。
あの手この手で、遠隔地の不穏分子と書簡をやり取りしている事も。

ふと見れば、向かいの花屋の店先を彩る、黄色や赤、薄桃や淡青の花々が目に入った。

朝早くから今日は雨が降っていて。
それでも昼以降は青い晴れ間が覗いていたというのに、落ち合った途端の大雨。
俺達は会ってまもなく、「本日閉店」の張り紙の貼られた店の軒下に立ち往生する事となった。

こんな天気だから街は出歩いている人間が極端に少なく、
花屋の店員も、退屈そうに茎の部分の余計な葉を切り落としている。


「ところでさ。それ、どうしたの」

目線で促した先を、名無しさんがゆっくりと追う。
淡い色彩のカットソーの、短めの袖の下からほんの少し包帯が覗いていた。

「あー…ちょっと仕事でヘマしちゃって」

その時の事を思い出してか、思案顔になりながら肩と腕とを撫でる仕草。
怪我の範囲は外から見るよりも広いのかもしれない。

「…あんまり、無茶しないでよ?」

分かった?と言い聞かせるように湿り気を帯びた髪を梳けば、途端に頬を赤らめて。
この指から逃れるように首を振って名無しさんは顔を上げた。

「そ、そういうエンヴィーは仕事見つかったの?いつまで無職でいる気なのよ!」

名無しさんの急な問い掛けに、そういえばそういう事にしていたのだと思い出す。
俺は少しの間、うーん、と考える振りをした。

「もう。その様子じゃ全然何もしてないのね?」

「だって、そんなもの無くても生きていけるもの。あ、ほら。マシになってきたみたいだよ、雨。」

呆れ顔の名無しさんをよそに、泣き止みつつある空を指差す。

「ちょっと、エンヴィー」

「心配しなくても仕事ならしてるよ。明日なんて一日中清掃員だ」

「えぇ?だってさっきは…、ていうかいつからそん――」

無事な方の腕を引っ張って引き寄せて、聞き分けの無いその口を塞いだ。
もう雨の音は聴こえなかったけど、其処彼処の屋根やテントの端、
道端に咲いた紫陽花の大きな葉から、溜まった雫が零れ落ちてくる気配がした。


依然として、空に掛かる雲は西も東も無く厚く。
今日は夜になっても、きっと空の色は明るいままだろう。


「ねぇ。明日、晴れたら何処か行こうか」

「?でも明日仕事なんでしょ?」

「うん。」

「清掃の?」

「うん。」

「…エンヴィーが?」

其処まで言って、名無しさんは「似合わない」と可笑しそうに笑った。
俺も目を細めて少し笑う。

分かっている。
矛盾した台詞を口にしている事も、
名無しさんが明日に、大それた良からぬ約束を取り付けている事も。
明日俺の取るだろう行動が、
この空の模様に左右される訳のない事も。


分かってはいるけれど。



「…ねぇ。聴いてくれる?…明日、もしも晴れたら」


願掛けに似た、
無意味な約束をしよう。

変わらぬ明日の為ではなくて、

今日、俺が君を放す事が出来るように。













だけど一言でいい。









もしも一言「うん。」と言って、
君さえ、頷いてくれたなら。

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