短編2
□きみ以外の誰かなんていない
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『結婚するの、私』
そう言って彼女はふわりと幸せそうに笑った。オレは耳を疑った。今、彼女は何て言った?だって彼女の恋人はオレのはずだ。なのに、何で。
『お父さんの会社の社長さんの息子なの』
…あぁ、そういうことか。オレはただのサラリーマンで、入社したてで貯金もないし将来の望みもまだない。あと10年後くらいには何か変わってるかもしれないけど、でも彼女は“今”を追い求めたんだろう。オレに付き合ってコツコツ金を貯めるなんてバカらしいってことか。彼女の左手の薬指に輝く大きなダイヤを見てオレは心の中で嘲笑った。
『今まで、楽しかったよ。ありがとう』
それが彼女の本心なのか、それは彼女しかしらないけど彼女はそう言って柔らかく微笑んだ。金に負けたショックでオレはあんなに好きだった彼女なのに手放したくないとかそんな感情も生まれなかった。こんな女だったなんて、知らなかった。結婚する前に知れてよかったのかもな。結局オレはずっと彼女の上辺しか見てなかったってことか。
『…ねぇ、孝介』
「おめでとう」
『…!』
「よかったな、幸せになれよ」
社会人になって社交辞令と愛想笑いを覚えたオレは彼女にそう言って微笑みかけた。勝手に幸せになればいい。その金持ちの男と二人で。そんな思いを込めて。
『……ん、で』
「は?」
『何で、そんなこと、言えるのっ?』
てっきり彼女は喜ぶと思ったのに、なのに、突然そう言って涙を零した。ワケがわからない。結婚するって言い出したのはそっちだろ?何で泣くんだ。泣きたいのはこっちの方だ。
『ひきとめてよ…!孝介の気持ちは、そんなものだったのっ?』
「何言って、」
『本当は私っ、結婚なんてしたくないっ』
「…!」
『こ、すけのっそばに…ずっといたい…っ』
展開に、頭がついていかない。でも無意識にオレは目の前で泣きじゃくる彼女に手を伸ばしてそして強く抱きしめた。あぁ、オレは彼女の何を見てたんだ。彼女は家族思いですげー優しくて、お人よしで…だからきっと親に頼まれた政略結婚を断れずにいたんだ。一人で悩んでいた彼女に気付けなかったオレは最低だ。彼女のそばにいる資格なんてないのかもしれない。
『…孝、介っ、お願い…私、孝介じゃなきゃ…』
「…あぁ、」
『他の人は嫌だよ…!』
オレも、オレもだよ。彼女じゃなきゃダメなんだ。他の女なんか嫌だ。彼女と一緒にいるためなら、他の男に渡すくらいなら、他の何を捨てたって構わない。何もいらないんだ。彼女がいてくれるなら。
「今は金とかあんまねーけど、絶対幸せにすっから」
『こ、すけ…』
「二人で一緒に逃げよーぜ」
『…っ、うんっ!』
彼女を護るためにオレは、仕事も何もかも捨てる。金もなくて、仕事も失くして、知らない土地へ行くなんてこの先の人生どうなるかわからないのに、彼女がいてくれるから不思議と不安はなかった。二人ならきっと大丈夫だ。何もなくたって彼女がいるだけで俺は幸せなんだ。オレ達は幸せになる。二人でいられればそれで幸せなんだから。
きみ以外の誰かなんていない
(乙女は奪われることを待ち望んでいました)