無双夢小説
□月の綺麗な夜は
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この日、遠呂智軍を見事に我々の軍(蜀軍)は宴を催していた。
勿論これは私の意志ではない。
第一、たかが遠呂智軍を追い払っただけでよく浮かれられるものだ。
…人の子は、本当に解せぬ。
人界の酒や食事は仙界のものには適わぬし、唄や舞なども天女達の足元にも及ばない。
このような状態で、一体どのように楽しめと言うのだろうか?
「太公望殿、今日の戦は真に見事だった。」
『…劉備将軍。』
私のことを気遣ったか、手には2人分の杯。その片方を私に差し出した。
「今日の勝利は、太公望殿のお陰だ。この宴はほんのお礼と思ってくだされば…。」
何を当たり前のことを。
此度の戦の勝利は私のお陰だろう、劉備将軍?
私の戦に、敗北などありえぬのだから。
杯は丁重にお断りして、私はその場を後にした。このような場所にいると、頭が痛くなるだけだ。
*
廊下に出て、空を見上げた。
静かな風景に月がよく映えている。
…人界に来たとき、初めて見たものは月だったな。
人界の月はあんなに小さく、遠くに見えるものだと知ったときは少しばかり驚いたものだ。
夜釣りでもするか、
そう考えた私は戻って竿を持ってこようと、自室に足を運ぼうとした。
─その時
〜♪
唄声が、聞こえた。
微かにだが、先程の宴とは違い水のように透き通った声。天女の唄う…いや、それ以上かもしれぬ。
耳を澄ましてみれば中庭のほうから聞こえてくるので、自室へと向けた足を中庭へと進める。
一体誰が?
その疑問はすぐに解決されることになる。
水場のほとり
月夜を背景に唄う少女。
少女の姿は月の光に照らされ、妖艶そのもの。まるで時が止まったようにも思えた。
「…貴公、随分愉しげに唄うのだな。」
言って、自身が驚いた。
気がつけば私は、この少女に話しかけていたのだ。
…そのつもりはなかったのだがな。
唄が止み、少女は私のほうを振り向いた。
月の光に照らされながら、風に靡く細い髪。私を捉えるくっきりとした瞳。
それに釘付けになる、私。
実におかしな話しだ。
『あ。噂の…仙人さん?』
「ほう、私の噂とは一体どのようなものなのだ?」
『突如現れた切れ目に毒舌の美男子な仙人さん。女官達の話題はそれで持ちきり。』
………。
…随分な噂が流れているようだな。
ちらりと見てやると、少女はこちらをじっと見つめては不思議そうな顔をした。
『ね。仙人さん、』
「仙人さん、か。私には太公望と言う名があるのだが。」
『…じゃあ太公望さん。宴あるんじゃないの?せっかく劉備様が開いてくれたのに。』
少女は足で水を蹴ると雫がぱしゃりと跳ねあがる。
人の子の宴は好かぬ、と話せば先程と変わらぬ口調で呟きだした。
『…私ね、見習いなの。いくら頑張っても宴に出せて貰えないし。』
「…ほう。」
『だから月が綺麗な夜はここで唄ってるの。1人で唄ったほうが、落ち着く。』
その様子だと、表情が少し暗くなったのは私の気のせいではないのだろう。
その実力で宴に出れぬわけがない。だとすれば、宴に出ていた気の強そうな女達が嫌がらせ類のことをしているのだろう。
「…私からの観点だと貴公は仙界の天女に劣らない。」
『え…?』
「今まで聞いてきた唄声の中で一番心が揺らいだよ。」
世辞などではないぞと付け加えると、少女は少し顔を赤らめながら嬉しい、と呟いた。
何故だろう、この少女が少しばかり愛おしく感じる。…今日は自身に驚かされるばかりだ。
…こんな感情、長年生きてきたが初めてだ。
「貴公、もう一度唄ってくれないか。…月夜を背景にここで酒が飲みたくなった。」
『え?…私の唄なんてなくったって、』
「何を言う。宴には、唄が必要だろう?」
少女は驚いた表情を見せた後、ふっと微笑んだ。
その夜、今までと比べものにならないくらいの豪華な宴が催された。
その宴は、唄姫と仙人以外は誰もしらない。
月の綺麗な夜は
酒と、綺麗な唄と。
それだけがあればいい。
太公望と唄姫
初期はこの設定で連載しようとか思ってたくらいです←
加筆:20091104