短編

□残り香を嗅ぐ
1ページ/1ページ



ヒラヒラ。

ヒラヒラ。



蝶が空を飛ぶ。

華麗な模様をつけて舞う蝶は美しいが、儚い色を漂わす。

しかしこの人は蝶などと言うか弱いものではない。

例えるならば、竜だ。

竜の様に荒々しくて雄々しく空を飛ぶ。

だから私の手が届かぬ程、高みにいる。

雲ならばつかめるのに。

鳥ならばつかめるのに。

竜はつかめない。

触れる事すら出来ない。




「Hey,何を考えている?」

「何も…」

政宗様は私の顔を覗き込みながらおっしゃった。

隻眼で見つめられると、私はその視線から逃れられない。



きっとこれは夢に違いない。

今、私の目には政宗様しか移っていない。



廓の窓から町を見下ろし、たまたま目があった政宗様だった。

今思えば、私はその時から政宗様に惹かれていたのかもしれない。

凛々しいお顔つきに、意志の強い隻眼。

全てに魅せられ、息をする事さえ忘れていたあの時。












「アンタ…名は…」

「…たった一夜…体を重ねるだけの女に…名前は要りますまい…」

粗々しい息の中、発せられた言葉は、ひどく悲しかった。

あなたは私を抱いているのに、ここに愛はない。

あなたには愛すべき奥方様がいらっしゃるのだから。

たった一夜限りの夢恋。

それはひどく甘い蜜の味。

今のあなたは私だけのもの。

私だけを見つめて、

私だけを愛して、

せめて、この夢の中だけでも。












その女はひどく美しかった。

煙管を片手にして、町を見下ろす女は憂いを纏った花のようだった。

触れれば枯れてしまいそうな儚さ。

俺は瞬きするのも忘れ、その女に見とれていた。

すると、女も俺に気付いたのか俺に視線を移した。

俺は視線から目を離せなくなっていた。












あなたにとっては一夜限りの睦事。

されど私にとっては永遠の夢。

日が昇るとあなたは竜になって、私から逃げて行く。

せっかくつかまえたのに。

きっとまた高みへと昇る。

それが竜。



夢よ、どうか、覚めないで。

ずっと私に夢を見させていて。












目を覚ますと政宗様はいらっしゃらなかった。

竜は下界にいてはならない。

空の高い所に帰ってしまった。



ポツリ。



こんな残酷で哀しい夢ならば見たくなかった。

こんな悲しい結末はほしくなかった。

涙が頬を流れおちる。

布団に顔を埋めると愛しい人の香。

ここにいたのだと思うと、政宗様の体温が思い出される。

「政宗様…」

名前を呼んでももう帰ってこない。

竜は想像上の動物、

否、夢の中の人なのだから。













(甘い蜜の香に誘われて下界に下りれば、愛しい女の香)

(布団に残るは、愛しい人の残り香だけ)















.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ