novel2

□キス
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キス…したいな

そんな風に思う時は妙にタイミングが合わなくて。

勿論兄さんに。

キス、したい。


しかし、現在は将軍クラスが集うパーティーの警護中だ。流石に佐官なので立ち番では無いが、楽しめるような立場ではない。

視界の隅に兄の姿を捉える。

今日はパーティーというだけあって軍服などという不粋なものではない。
細身ながら鍛えられた身体は仕立ての良いスーツに映え、珍しくネクタイをし、シルクの光沢にも似た美しい髪をいつものテールにはせず、固くミツアミに結った姿は、どこにいても埋没しない兄という存在を、その上にストイックな雰囲気へと仕上げていた。


ほら、また人が振り返る


この会場には将軍たちの娘など華やかに着飾った女性も沢山いるのだが、身内の……恋人としての欲目を差し引いたとしても、兄は別格だった。


あまりに見すぎた為に気づいた兄が、咎める視線を寄越す。
唇だけの、「集中しろ」というメッセージ。それだけならインカムを使ってくれれば、せめて声だけでも聴けるのに…と、アルフォンスは残念に思いながら姿勢を正す。

インカムは会場内で警護に当たっているものへ、すべて共通電波だから仕方ないか。


早く帰りたい。

キスしたい。




「少しは慣れて楽しみたまえよ。」

「中将こそ。」

会も半ばで、遊びに飽きたかのように、明らかに抜け出そうとしていたマスタングが、アルフォンスの姿を見つけて立ち止まる。
そして、意味ありげな笑みを噛みしめたかと思うと、中将の神経質にも見える指先が、アルフォンスのスーツの襟元を正した。肩を叩かれる。

「楽しませてもらうよ。」

なんだろうと思う間もなく、背後から声をかけられ振り返る。

「マスタング君、彼を紹介してくれるかね。」

でっぷりと突き出た腹にまず目がいくその男は、確か西方指令部のマムクヒ大将で、その背後に隠れるようにして立つ紫のドレス姿の女性は娘だろうか。

「彼はエルリック少佐です。国家錬金術師でもあり、とても優秀で、将来の明るい者です。」

嫌な予感。

予感はすぐさま実感になり、頬を染めうつむく娘を紹介された。いつかのどこかでみかけたアルフォンスを娘が気に入ったのだと、大きな腹を揺らして大将が笑う。
今日だけでも、そういった含みのある女性たちに飲み物を勧められたり、ダンスを誘われたりもしたが、なるほどこの方法はこの場所での正攻法といえる。

クソ中将…

心の中で毒づきながらアルフォンスは微笑んだ。

早く帰って、こんな堅苦しいスーツを脱ぎ捨てて、コットンのシャツに着替え、
兄さんにキスしたい



女性に恥をかかさないように、されど打ち解けない程度に会話を運ぶ。加減を間違えれば後を引く。難しいところだ。
幸い相手の女性は押しも弱く、受け身なタイプのようだったので、アルフォンスが完全に会話をコントロールできていた。
マスタング中将は、少し離れた場所で、他の女性と会話しながらも、こちらの様子を純粋に楽しんで見ている。

ああ、なんて不毛な。

アルフォンスはこっそりとため息を漏らす。
見渡せる範囲で、このような光景は当たり前で、華美なシャンデリアの下、鮮やかな紅い絨毯を踏み締めて、権力のある者から発する甘い香りに群がる者、或いは力の無い者を従える者が、肩を揺らせば触れるほどに集まっているのだから、なんと滑稽な空間だろうか。軍の重鎮が一度に集まるから、不穏な輩に狙われたりする訳で、危険を冒してまでのこんな集いに何の意味があるのか。

心で嘆くが顔は笑顔で、アルフォンスは目の前の娘に新しい飲み物を勧めたところで、不意にインカムから兄の声がした。

『入り口付近注意。中背、男、赤毛、黒のタキシード、足元軍靴』


アルフォンスは目の前の女性を引き寄せて、耳元に父親の元に戻るよう囁く。突然の接近に耳まで真っ赤にした彼女は、アルフォンスの意図に反して抱きついてきた。

その瞬間、会場の照明が暗転した。


まずい!



突然の闇に騒然となる会場内で、明らかな殺気が紛れ移動する。
アルフォンスは、しがみつく娘の腕を剥がして、マスタングがいる方向へと、乱暴ではあるが半ば突き飛ばすように身を離した。
短く悲鳴が上がるが転ぶことなく受け止められた気配を背に感じ、走り出した瞬間に照明が復活した。

闇に慣れ始めていた目が過ぎた光量で眩く捉えたのは、兄が、一人の男を床に引き倒し、その背に膝で乗り上げて腕を拘束している姿と、その傍らにもう一人別の男を後ろ手に拘束し、膝裏を蹴り上げてその場に屈させている、クルダ少佐だった。

兄に善からぬ感情を抱き、先日実力行使に出た男、クルダだ。
アルフォンスと目が合い、口角をつり上げる。

「あんまり役に立つ番犬じゃないな。」

捕らえた男を昏倒させてクルダが身を起こす。
会場の明かりも戻り、余興でも見終わったかのように、危機感の薄い高官たちは自分たちの命が狙われたことすら肴に杯を重ねるのを、呆れたような笑いを浮かべてアルフォンスに並んだ。
軍部内で比較的長身である自分に負けるとも劣らないクルダは、黒髪に瑠璃の瞳でどこか謎めいた雰囲気がある。実に軍人らしい堅い筋肉質な身体つきは、今回の作戦上身につけているダークな色合いのスーツの上からでもよくわかった。

「犬なりにスーツだけは、よく似合っている。」

挑発に乗るつもりはないが、アルフォンスは奥歯に力を込めた。

「貴方こそ、この程度を手柄に思うとは、意外に小さい。」

隣で、ハっと鼻で笑う気配。

お互いの視線は交わされることなく、ただ一人を追っていた。唯一にして最大の、お互いを位置づける存在。

更なる警備の強化を指示をしているその人、エドワードこそが、本来ならば取るに足らない相手へ、今胸に渦巻く思いを抱かせていた。
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