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□君とじゃなきゃ
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夏休みが近付く教室は、どことなく浮き足立っていた。
生徒たちは教科書や参考書ではなく観光地マップや夏休みイベント特集雑誌を開き、勉強を忘れてわいわいと騒いでいる。
ユーリは友人たちが雑誌を見ながら「今年こそ彼女を……」とただならぬ意気込みを持って計画している姿を興味なさそうに眺めながら、自分は短期バイトについてつらつらと考えていた。
(そろそろ布団買い換えたいな……扇風機も欲しいし、昼間のスタッフ増員系狙うかな)
早めに学校に許可貰いに行かなきゃ良いのがなくなるな、と今日にでも掛け合ってみようと思ったところで、自分の机の周りにいつもの面子だけではなく女子も集まっていることに気付き、一体何事かと顔を上げた。
「ね、みんなでお祭り行こうよ!」
「祭り? って、あの神社の?」
「そうそう! 今年から花火が倍豪華になるらしいよ! ね、浴衣着て遊ぼうよ」
「俺浴衣持ってないから普段着参加な」
「買えば?」
「浴衣買う金で扇風機買えるからパス」
「えー……」
ユーリがバイトで家計を支え、フレンと二人暮らしで学生らしい遊びを我慢しながら慎ましやかに生きていることを知っているから、クラスメイトたちは残念に思いながらも強くは言えなかった。
しかし、美男の浴衣姿に憧れている夢見る世代の彼女たちはクラスの男子の中でも特にユーリのものを見たくて仕方がない。
お祭りの話が出て、皆で行こうと盛り上がっている時だって彼女たちはユーリと、別クラスではあるがフレンの浴衣姿に思いを馳せていて、だから勇気と希望を胸に彼の周りを取り囲んだのだ。
肝心のユーリはその時、夏休みのバイト計画で頭がいっぱいだったという色気の無さだが。
「あ、なぁ、じゃあさ、うちで買わないか? うち着物屋やってんだけど、今年浴衣の売り上げ散々なんだよ」
「あー、だって今ネットで浴衣セット安いのいっぱいあるもんね。着物のお店って堅い印象あるし」
「そーそー、だから親がさ、浴衣が欲しいお友達がいたら友情価格で売るよって誘えってさー。浴衣、帯、下駄セットで二千円! どう?」
「それって安いのか?」
「安い。うちでは半額以下だぜ。な、な、良い柄回すからさ、フレンと一緒に来てくれよー」
「猫撫で声出すな気持ち悪ぃ。……だってさ、フレン、どうする?」
会話の最中、何か用事があったのかわざわざ自分を訪ねてきたらしいフレンに、ユーリは手招きしながら訊いてみた。
話の内容をほぼ聞いていなかったフレンは突然の質問に首を傾げ、そして女生徒たちの熱い視線には全く気付かずユーリの席の横に立つ。
何の話? と尋ねられたので、ユーリはかなり話を掻い摘み、浴衣で祭りに参加しようって計画が出てるんだけど二千円でセット買わないかって誘われた、と説明した。
「うーん……いいんじゃないかな。二千円なら安いしね。浴衣も一着くらい持ってて良いだろうし」
「だよな! さすがフレン、話が分かるぜ」
「えー……じゃあフレン、選ぶの面倒だから俺の分も見立てて買ってきて」
「へぇ、僕に選ばせるのか。なら、うっかり手を滑らせて黄色とか買ってきても文句はないんだろうね?」
「なっ……あのなー、黄色はねーだろ。分かった、じゃあ今日、気が変わる前にさっさと行くか」
「そうだね、バイトまで時間あるし」
散々渋っていたユーリが、フレンが賛同の意を示した瞬間コロッと態度を変えたのを見て、クラスメイトたちは面白そうでありながら少し複雑な感情も混ざった笑みを交わし合った。
まさに鶴の一声、理由の要らない説得力、仲が良くていいなぁと思う反面、少しだけ妬ましい。
「君の浴衣姿、見てみたいし。きっと似合うよ」
「お前の方が似合いそうだけどな。フレンはこう、濃い緑とか……」
「君は濃紺かな? 紫も良いかも。これ、と思えるのがあると良いね。……と、用件忘れてた。ごめん、君のノートを間違って持ってきてしまったんだ」
「あー、別に良いのに」
「良くないだろ、まったく……いいかい、授業中に居眠りなんてするなよ?」
「へぇーい。んじゃまた放課後」
ひらひらとユーリに手を振られ、フレンは少し不満そうにしながらも素直に引き下がった。次の授業の準備があるからだ。
そうしてフレンが立ち去った教室はほんの一瞬だけ静まり、そしてすぐにまた賑やかさを取り戻した。
「なぁ、お前ら服とか買うとき、いつもあんな会話してんのか?」
「あんなって?」
「だからー、何が似合いそうだとか、何色が合いそうだとか」
「いや、別に。でもあいつたまにすげー変なの選ぶから、むしろ「それはやめとか」とかの方が言うな」
「相変わらずの夫婦っぷりだな……。まだまだ暑いんだから、あんまりお熱い空気撒き散らさないでくれよな」
「はぁ?」
何言ってんだお前、とユーリは思いっきり呆れたという顔で返したが、クラスメイトたちからすれば「お前が何を言ってるんだ」という気持ちだった。
ユーリとフレンと言えば、人目も憚らずにボディタッチするし、会話の内容は恋人のそれのように気安くて甘い。
それをおかしいと思ってないんだから、習慣って怖いなと彼らは思う。しかし、夫婦扱いしながらも「付き合ってんの?」と訊かないのはただ怖いから。
うん、と何でもないことのように答えられてしまったら、もう恥ずかしくて恥ずかしくて、直視できなくなってしまいそうだからだった。
「ユーリ、フレン! こっちだ!」
「わー、二人とも浴衣似合うー!」
「そりゃどうも。あれ、もう全員集まってんのか」
夏休みに入り、数日ほど会わなかった友人たちは、見事に特に変わりはないようだった。女子も男子も全員浴衣で、色々な部分に気合いが入っているところは除いて。
女子たちは、学校では禁止されている化粧をばっちりと決め、中にはよく見ないと誰だか分からないくらいに変わった子もいる。
そして、そんな気合いの入った女子たちが自分たちの心をゲットしようとしていることなど知らないまま、ユーリとフレンは友人たちの輪の中へ入った。
「よー、ちゃんと浴衣着てきたな! 決まってんじゃん。つかユーリ、女みてぇ」
「ああ? こんな色男つかまえて何抜かしやがる」
「いやー、ははは。だって何か、なぁ」
「いやいや、何ちょっとマジで赤くなってんだよ、潰すぞ」
「ははははは、すみません! 勘弁!」
ユーリがちょっと本気で殺意を感じさせるジト目になったことで、友人たちは慌てて話題を切り上げた。これから祭りの屋台に突撃して遊ぶ予定なのに、足の指やら股間やらを踏まれてはかなわない。
男子たちはユーリの攻撃範囲から逃れ、風船釣りや射的の屋台に駆け込んだ。目当ての女子がいる男子は、さりげなく話しかけて食べ物の屋台に誘ってみたりしている。
そうして奥へ進みながら、ユーリはこっそりフレンの腹を肘で小突いた。お前のせいだぞ、と睨む視線で責められ、フレンは困ったように笑う。
「悪かったって。つい……君が綺麗だったから」
「ばっ……ばか、変なこと言うなよ」
「誰も聞いてないよ、こんなに騒がしいんだから」
「ったく……」
祭りに来る前、二人は自宅で浴衣を着た。店で教えてもらったとおりの手順でお互いの着付けをしたのだが、ユーリの帯を締め終わった後にフレンが発情してしまったのだ。
ユーリの腰が細くて色っぽいだの、髪を結い上げて露わになっている項が艶があるだのと興奮し、ユーリを抱き締めてキスをして胸やら尻やらを撫で回した。
最初は、まぁ触られてキスされるだけならと許していたユーリだが、押し付けられたフレンの股間が微妙に盛り上がっていることに気付き、慌てて引き剥がした。
出かける前なのに何考えてんだ、待ち合わせまで時間あるわけでもないし、少しは我慢しろと叱りつけて大人しくさせて家を出て、今に至る。
しかしその時のキスの余韻がまだユーリの中に残っているらしく、彼は分かる人には分かる色気を放っていた。彼女が欲しいと盛っている男子たちの何人かはそれに引っかかってしまったらしい。
「ね、シーフォ君、あっちで金魚掬いしない?」
「ん? いや、掬っても育てられないしな……」
「ね、ね、ローウェル! 射的やってよ!」
「お前らでやればいいじゃん。俺あっちでチョコバナナ買う」
「え、ユーリ、リンゴ飴じゃないのか?」
「リンゴ飴はお前が買って俺に半分分けてくれんの」
「……はいはい、仕方ないな」
せっかく女の子たちが勇気を出し、好意も露わに頬を染めて誘ってきたというのにフレンは現実的な面ばかり気にし、ユーリは色気より食い気。
なんて無駄なイケメンどもなんだ、と友人たちが嫉妬を通り越して愕然としている視線の先で、二人は仲良く食べ物の屋台を物色していた。
買ったら買ったで半分こして食べさせ合ったりしているし、自分たちとは明らかに違う、濃厚かつ触れたくない類の空気を撒き散らしている。
「お前ら何しに来たの……」
「ん? 皆で祭りを楽しむためだろ? あと花火かな」
「祭りの屋台の甘いモンって、高いくせに安っぽいんだけど、年に一回だと思うと食いたくなるんだよな」
「ユーリ、チョコついてる。まったく、祭りだからってはしゃぎすぎだよ」
「ん?」
友人が、自分も余裕無いくせに女子らが可哀想だとフォローを入れようとしたのに、間髪入れずにいちゃいちゃとしだす始末。
もう駄目だ、こいつら手の施しようがないくらいの鈍感野郎だ、面倒見切れん。そんな不名誉な称号を得てしまったことなど知らない幸せな二人は、今も友人たちの輪から付かず離れずの場所でリンゴ飴の最後の一口を譲り合っていた。