捧物

□「にゃ」も「にゃあ」も好きのうち
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『か…片倉さん、大変だ!』

「どうした…?」

それは、初めて聞く声だった。
いつも飄々として滅多な事では取り乱さない佐助の、携帯から伝わる切羽詰まった様子に小十郎は固唾を飲んで、次の言葉に集中する。

『凄く苦しそうだ…息も、絶え絶えで…身体も…』

そこでガザザザ…とノイズが入った。佐助が携帯を耳に当てたまま肩に挟んだのだろう。
ノイズの奥で何やら佐助の声が聞こえたが、小十郎には聞き取れない。

「おい!どうした!?何があった?佐助――、」

――プツリ。

通話は、そこで途切れた。




携帯片手に部屋の中を右往左往する小十郎の頭には、不吉な事が浮かんで消える。
『凄く苦しそうだ…息も、絶え絶えで…身体も…』
そこで切れた電話。
スクーターで出掛けた佐助が、人身事故でも起こしたのか。

まさか相手を――。

小十郎自身、何十回目かわからない発信ボタンを押した時、玄関のドアが荒く開けられた。

「さ――」
「片倉さん、ベランダ菜園で肥料あげるのにスポイト使ってたよね?あれの使ってないの持ってきて!」

小十郎の声を遮り、ドアを開けるなりそう言うと、佐助は寝室へ直行する。
毛布を抱えて出てきたかと思うと、今度は冷蔵庫から牛乳を取り出し手近な器に白い液体を注いだ。
その間、大事そうに抱える毛布に「今ごはんをあげるから…」と声をかける佐助に、小十郎は眉をしかめた。

「おい、佐助。何があったか説――」
「いいからスポイトは?早く!」

有無を言わさぬ佐助の迫力に、小十郎は口を噤み、ただ従うしかなかった。



「お、いいぞ、その調子。ミルクはおいしいでちゅか〜」

こたつに足を入れ、毛布にくるんだ黒い塊に牛乳を吸い上げたスポイトを近付け、赤ちゃん言葉で接する佐助を小十郎は寝室のドアに寄りかかって眺めていた。
黒い塊の正体は、まだ目も開いていない子猫だ。

「で、そろそろ事情を聞きたいんだが?」

小十郎はドアから離れ、佐助の座る横側の辺に足を入れた。
つまらなそうに右肘をつき佐助を見る。

「それがさぁ…」

と佐助は子猫を見下ろしたままで話し始めた。
佐助の話はこうだ。
バイトの帰り道、いつものようにスクーターを走らせていたら、道端で小学生の女の子がひとり、キョロキョロと人を探している風なのが見えた。迷子かと思い声をかけると、下にあったダンボール箱を指差して、「捨てられてる子猫が死にそうだ」と泣きそうな声で訴えてくる。
あとは大丈夫だから、と引き受けたものの、佐助もどうしていいか分からず小十郎に電話をかけた。
それが冒頭のやり取りだ。
その電話中、子猫が鼻を詰まらせて苦しんでいるのに気づいた佐助は、小十郎との会話もそこそこに電話を切り、昔祖母から聞いた話を思い出し、口で子猫の鼻を吸い出してやったのである。

「いやぁ、ばあちゃんの話し覚えててよかったよ。聞いてなかったら今頃、この子どうなってたか分かんないもん」

いたって呑気な口調だが、佐助が子猫に注ぐ眼差しは切ないもので。

「テメエはコイツの命の恩人だな」

言って、小十郎はそっと佐助の肩を抱いた。


その夜から佐助は子猫につきっきりだった。
夜は小十郎と佐助の間に寝かせ、翌日はバイトを休んで世話をした。
家の火事全般は佐助の仕事だったが、エプロンの腹のあたりに大きなポケットを縫い付け、カルガルーよろしく、そこに子猫を入れて炊事に洗濯、トイレまで一緒だった。
流石にその翌日はバイトに出たが、勤め先のガソリンスタンドに子猫を連れて行く始末である。

一日二日は子猫と戯れる佐助が微笑ましいと、少しばかり瞳を緩めて見守っていた小十郎だったが、三日目ともなるとそうはいかない。

「味噌汁おかわり」

朝食中、空の椀を差し出す小十郎に「お鍋ならそこ」と素っ気ない返事をして、佐助はこたつ布団の上で子猫にミルクを飲ませている。

「くろすけ、まだ欲しいのか?」

ちょっと待ってな、とスポイトで牛乳を吸い取る佐助を向かいに座る小十郎が睨む。
「くろすけ」とは佐助が子猫につけた名前だ。

「おい、聞いてるのか?」

一段低い小十郎の声に、「だからお鍋はそこにあるでしょ?片倉さんこそ、俺様の話し聞いてる?」と佐助。
ミルクを飲み終え、満足そうにするくろすけを胸に抱き、いい子だなぁ、と頬を寄せる。
佐助の献身的な世話もあり、くろすけはこの数日ですっかり元気になった。
寝ていた耳もピンと立ち、毛もふわふわとして、閉じていた目も開いた。
まさにかわいい盛りである。
佐助はくろすけを顔の前に持ち上げると、そのつぶらな瞳を見つめて言った。

「俺様、気がついちゃったんだけどさ、猫って子猫のうちは目がグレーなんだよねぇ。それにさ、明るさで瞳が丸くなったり細くなったりするけどさ、あれもないんだよ」

知ってた?と佐助がくろすけの顔を小十郎に向ける。
が小十郎は、ンなの知るかと味噌汁を自分の椀に注ぎ口を開いた。

「テメエ、そいつを飼うつもりじゃねえだろうな。ここはペット禁止だぞ。大体、誰が家賃払ってると思ってんだ」

何を言い出すんだ?という顔の佐助に小十郎は追い討ちをかける。

「いいか、ソイツをいつまでもウチに置いとく訳にはいかねえ。俺が里親探してくる」

「え…じゃあさ、ペットOKな所に引っ越そう?」

「引っ越し代はテメエ持ちだ。家賃も折半な」

言われた途端、う…と佐助の顔が引きつった。
ぶっちゃけ、佐助に貯金はない。今ここに住んでるのも、家事全般を引き受ける条件で住まわせてもらっているし(恋人から金は取れねぇという小十郎に、それじゃ悪いからと佐助が言い出した事だが)、子猫を拾ってから、それもないがしろだ。
佐助はくろすけを胸に抱き、仕方なく頷いた。


小十郎の行動は早かった。
その日早速、子猫が欲しいという会社の後輩を連れて帰宅した。用意のいいことに、手には運送用のケージまである。
用意したケージにタオルを敷いて子猫を入れる。
最初、怯えてミーミー鳴いていた くろすけも、観念したのか直に丸くなって静かになった。
くろすけを連れた後輩を最寄り駅まで見送り、「くろすけをお願いします…」と頭を下げた佐助の寂しそうな顔に、小十郎の良心がチクリと痛む。
別に、くろすけを飼ってやってもよかった。ペット禁止だろうと、しらばっくれて犬なり猫なりを飼っている住人はいなくない。
もし見つかって追い出されたなら、その時はペット可のマンションに越せばいいだけだ。
今回の措置は、佐助が子猫に構いっきりなのが許せなかっただけ。
ようは小十郎の嫉妬と独占欲。
それで、佐助から子猫を引き離したのだ。

部屋に戻り、こたつに突っ伏す佐助を見て、小十郎は己の偏狭さに嫌気がさした。
佐助の事となると、見境がなくなるというか、他に譲れなくなる己がいる。
それも、ひとえに小十郎が佐助を愛しているが為なのだが…。
そうだ、悲しむ恋人を放っておいていい筈がない。

小十郎は佐助の後ろに回ると、項垂れる背中に背中を合わせて凭れかかった。
そして「にゃー」と一口。
なに?と上体を起こした佐助に小十郎はぶっきらぼうに続ける。

「テメエの気の済むまで俺が猫になってやるから、好きなだけ構っていい、にゃ…」

「何それ?」

くすくすと笑う佐助の背中を抱き締めて、小十郎は「にゃあ」と鳴いた。


end

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