捧物

□この男、甘党につき
1ページ/3ページ

片倉小十郎には仕事帰りに必ず立ち寄る場所がある。
それは、小十郎が勤務する通販会社のコールセンターの裏にある路地に立ち並ぶ雑居ビルの一軒だ。
古びたレンガの壁のビルで、年代を感じる木製のドアと、ブラインドが降りた窓がひとつ。
小十郎はcloseの札の掛かるドアを構わず開けると、中に入った。
店内は、カウンターに5席と二人掛けの小さなテーブルが2卓。カウンターの向かって右側にエスプレッソマシン。

「お仕事お疲れさん。遅かったけど、またクレーム?」

カウンターの向こう、白いYシャツの袖を捲り上げ前腕を露わにし、黒ベストに黒のロングエプロン。いかにもバリスタといった装いの店員が親しげに声をかけた。
この店員、猿飛佐助は小十郎の恋人であり、このカフェの店長であり、バリスタである。

「いや、ちょっと訛りのきつい客に手こずっただけだ」

カウンターの真ん中のスツールに腰をおろし、鞄からノートパソコンを取り出し電源を入れる。

「食べ終わってからにしたら?」

言いながら、佐助は小十郎に水のグラスとパニーノを差し出した。
カリッと焼かれたフォカッチャに挟まれているのは、ハムとモッツァレラチーズとトマト。
小十郎は「いただきます」と呟いて右手でパニーノを取り上げた。左手でキーボードを叩き、視線はディスプレイ。
そんな小十郎に嘆息しながらも、佐助はやめさせようとはしなかった。

一層強いコーヒーの香りに、小十郎は作業をやめ佐助を見上げた。
視線の先の佐助は、真顔でポットを傾けている。
いつもの人のよい笑みが、この時ばかりは顔から消えた。
キュッと唇を引き結び、伏し目がちにドリッパーを見下ろして、慎重に湯を注ぐ。
捲られた袖から出る、うっすらと血管の浮いた前腕のポットを持つ指の先まで集中している様子が窺える。
が、かといって力んだ様子はなく、あくまで自然体。
この、コーヒーを淹れる時の佐助の、少しばかり憂いを秘めた真剣な表情が小十郎は気に入っていた。

小十郎が佐助に見入っていると、豊かな芳香を放つカップと、ぽったりとティラミスの乗った皿が出され、かわりに空の皿が引っ込められる。

「はい、どうぞ。デザート食べる時くらい、パソコンから目を離しなよ」

「そうだな…」

小十郎はキーボードから左手を離しカップを持ち上げる。鼻先で香りを楽しんでから一口。しっかりとした苦味とコク、それと柑橘系の爽やかな酸味。

「グァテマラか?」

「ご名答。さすが片倉さん」

小十郎は自慢じゃないが、己の舌と味覚のセンスには自信があった。
今の会社に入社したのも、この舌を活かし、バイヤーとして新たな味の発見、発信をしたいと熱望しての事だったが、コールセンターにおさまっているのが現状だ。

続いてティラミスを一口。
(うまい…)
思わず目尻が下がる。
と、佐助から忍び笑いが漏れた。
なんだ?と睨めば、佐助が腕を伸ばして小十郎の頬の傷をつついて「こんな顔の人が甘党なんて…」と笑う。

「甘党じゃねえ、甘いものが好物なんだ」

「それ、どこが違うの?」

と首を傾げ、佐助は小十郎が初めて店に来た日を思い浮かべた。

佐助は趣味半分で店をやっているので、ドアにopenもしくはcloseの札をかけているだけで、表に看板は出していない。
営業時間も開店は午後2時からと決めているが、閉店時刻はまちまちだ。
そんなものだから、訪れる客も興味本位で入ってくるのがほとんどで、中には常連になる客もいる。
小十郎も例に漏れず、興味本位で入ってきた口である。

小十郎が店内に入ると、OL客でテーブル席は埋まっていた。小十郎はテーブルに乗るティラミスとフルーツタルトらしきものを横目に、カウンターの一番左側に腰をおろした。
「いらっしゃいませ」と佐助がメニューと水のグラスを差し出す。
そこで佐助は、メニューを見て小十郎が眉間の皺を深くするのを見た。
メニューはいたってシンプルだ。本日のコーヒー、カプチーノ、エスプレッソ、本日のドルチェ&ジェラードの以上である。
そう悩むものでもない。
が、そこで佐助はピンときた。

「お客様、もしかしてお食事ですか?」

佐助は昼食時をはずして営業していたので、あえて食事メニューは扱っていないが、簡単な物なら作れなくない。
え?まあ…、と気まずそうな小十郎に

「でしたらパニーノはいかがです?イタリア式のサンドイッチですけど」

とすすめると

「あ…ああ、頼む…。それと本日のコーヒー…あと」

そこで小十郎は言葉を切りメニューに目を落とした。
少し迷って、「食後にエスプレッソを」と締めくくる。
実はこの時、小十郎はただドルチェを頼もうか躊躇していただけだった。
この片倉小十郎という男、左頬に傷を持ち、オールバックに鋭い眼光ではあるが、実は無類の甘いもの好きである。
しかし、己の外見のせいで誰も思いもしないのだ。
小十郎自身、恥ずかしさが先に立ち、表立って口外した事もないし、店先で買うこともない。
ではスイーツが食べたくなったらどうするかというと、他社の通販で購入し、冷凍保存のきくものはストックしていた。
自社で購入すれば社員割引もきくのだが、社内の人間に検索されて、己の買い物履歴を見られたらと思うと、やはり恥ずかしくて利用できないでいた。
そんな事だから、気になるスイーツがあっても人目を気にしてオーダーできず、毎度後悔するのである。
そんな事などつゆ知らず、佐助は気を利かせたつもりで調理にかかった。

.

次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ