三ねね話(戦国)

□さくらの頃〈3.水無月〉
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最近、おねね様の様子が少々気にかかる。




そう四六時中見張っている訳ではなし、
普段と変わらないと言われればそうかもしれないが、
どことなく覇気がない。

いつものお説教でさえどこか上滑りな気さえしてくる。

別に俺の知ったことではないが、
些かこちらの調子が狂ってしまうのも事実である。




…何か、あったのだろうか。




そう一瞬頭をかすめはするものの、
年中天真爛漫なあの方にも時折影が差すこともあるのだな。

その程度でしかない。



だから彼女が一人で抱えている悩みにも、
俺は長い間気付くことが出来なかったのだ。









その日は朝からどんよりとした厚みのある雲が空を覆い、
今にも一雨来そうな蒸し暑さだった。

そういえばもう梅雨の時期なのだな、
遠くで蛙がうるさく鳴き出す訳だ。



城内の紫陽花もこの雨を吸って鮮やかに色付いていくことだろう。

今はまだ色もなく硬さをもって天を仰いでいるが、
美しく咲き誇る日を待つのも悪くない。


そう思い庭先をぼんやり眺めていると、
やがてぽつぽつと細かい雨がやって来た。




その雨は止む気配もなく降り続け、
予定してあった演習は結局中止となった。

おのおの引き上げ、自己鍛錬に勤しむ者、
得物や鎧の手入れに精を出す者もいる。



そんな中、俺は自室の机の前で筆をとることになるのだが。
この目の前に積んである山のような仕事の量は何事だ。


普段から処理が滞ることのないよう、
こまめに眼を通せと言っているのにこの様だ。

頭の悪い部下を持つとこれだから困る。




しかし終わってみると、
思ったよりも仕事がはかどったことに少々戸惑う。

何故だ、そしてすぐに思い当たった。

いつもはもう二、三回ちょっかいを出しているおねね様が、
一向に姿を見せなかったせいだろう。




ふと外に眼をやってみるが未だ雨は止みそうにない。
たださぁさぁと降り続け、
地面には吸い込みきれない水たまりがいくつも出来ていた。


…まさか、この雨の中を出歩く訳もあるまい。



姿を見かけなかったというだけで別に俺が気に病む義理などない。
だから俺がここから動く必要は何一つないのだが、
身体が勝手に動いてしまうのは何故だろう。


俺は一つため息をついて立ち上がった。







「あれ、三成。どうしたの」



「……………」



こうも普通に言われると、
不本意にも探しにきた己がますます滑稽に思えてきて仕方ない。

だが、その思いもすぐに吹き飛んだ。



いつもは風を含んで揺れる栗色の髪も、
雨ですっかり濡れそぼり、
長い前髪も頬に張り付いてしまっている。

長い時間雨にうたれたのだろうか、
顔色も白いを通り越してもはや青白かった。



訳もなく冷たい雨にうたれる者などいるはずがない。
やはり最近様子が変だったのは…。


かすかに怪訝な表情を浮かべたのだが。





「濡れたら駄目じゃない。風邪ひいちゃうよ」



「…おねね様がそれを言いますか」




こんな時まで他人のことを気にかけている場合ではないだろう。
いや、ちょっと待て、
それよりも何故俺がたしなめられねばならんのだ。


そのお言葉そっくりお返ししますよ、
そう淡々と言いながらとりあえず着ていた上着から袖を抜き、
おねね様の肩にそっけなく掛けやる。


その細い肩はすっかり冷えきって、
そしてかすかに震えていた。


それは長い間雨の中にいたせいで体温を奪われたからなのか、



それとも、……。



しかしそんな彼女の姿を眼にしても、
俺はその訳を問うことをしなかった。
しても無駄だということがわかっていたからだ。

先程のやりとりからもその位わかる。




大丈夫、何でもないよ。


そう言って笑顔で突き放されてしまうのだろう。






…いつか、その心のうちを話してくれる時は来るのだろうか。




その人は今、俺の上着にくるまってありがとう三成、と
はにかんだ笑顔を見せる。

しかし白い頬を滑り落ちる無数の粒は
雨粒だけとはどうしても思えず、
ましてお気楽と気丈さが売りの彼女の見知らぬ一面を
垣間見た気がしてならない。




二人で屋敷を目指して歩く。





今思えば、おそらくこの日から俺の中でおねね様の存在が、

わずかに色付き始めたのだ…と思う。














***





【三成、父性本能?をくすぐられる、の巻】

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