三ねね話(戦国)

□さくらの頃〈9.師走〉
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「見て見て三成、雪だよ!
うっすらだけど庭にも積もってるから見てごらん」



部屋の外から軽やかな足音が近づいて来たかと思ったら、
雪だの何だのと叫びながら襖を豪快に開け放たれた。


─ちょっと待て、俺は今絶賛着替え中なのだが。




「……おねね様、寒いです」


「ありゃごめん」




見事なまでに感情のこもっていない謝り方だった。

いやそれよりも。



こちらは見ないもののしぶとく部屋の端に居座り、
俺が着替えるのを今か今かと待ちわびている。
そんなに雪が嬉しいのか、鼻唄でも歌い出しそうな満面の笑み…


つまり、俺の生白い半裸など屁でもないことが良く判った。




「この寒さで池にも氷が張っててねぇ。庭木の雪化粧もきれいなんだから」




楽しくて仕方ないと言わんばかりの弾む声。
その言葉につられて庭先に目をやると、
たしかにいつもとは違う景色が広がっていた。


庭木の緑は夜半から降り始めたであろう真っ白な雪に覆われ、
薄化粧ではあるがたしかに本格的な冬の到来を物語っている。


思えば辺りもどことなく静かで、耳を打つ静寂が心地良い。

見慣れている筈の風景が、まるで別世界だった。




「きれいだねー」




一足先に庭に降り立ったおねね様が振り返って笑う。

その言葉も、冷え込んだ空気のせいで白い息に変わる。
あーさむいさむい、と言いながらも見事な満面の笑みだ。

冷え切っているであろう鼻先や頬はうっすらと色づき、
彼女の色白な肌を淡くささやかに彩る。


ただ顔色は良いにしても、




「こんな日でも相変わらず薄着ですか」




流石にこの寒さだ、正直目のやり場に困る普段の衣装ではなかったが、
それにしても冬の装いとは思えない薄着だった。

俺の呟きにああ、と胸元を見下ろし、




「あたし体温高いからね?これくらいで丁度いいんだよ」




…たしかにじっとしている人ではない。

むしろその辺の童子以上によく走り回ってよく笑って、
今も雪のちらつく庭先でせっせと雪を丸め始めている。

しかしいくら体温が高いとはいってもこの季節だ。
むしろ見ているこっちが寒くなる。

俺は溜息まじりに立ち上がり、おねね様の方へと踏み出した。




それにしても何をしているのか。
しゃがみこんだ彼女の手元を後ろから覗き込む。


いびつな形をした小さな雪の塊が二つ。


それを積み上げて、上の塊には枝やら小石やらで
顔のように見えないこともない。

…普通枝は銅の部分に挿すものではないのか?



そのいびつな雪だるまは、頭に角が生えていた。




………



「おねね様」


「あ、よく気付いたね。これ三成だよ」




吊り上った目元にどこか不満げなへの字の口。
成程、彼女には俺がこう見えているのだな。

しかし彼女的には悪意はないらしく、
ぽんぽんとやさしく撫でては形を整えている。




「…風邪引かれても迷惑ですから」




己の頭を撫でられてるかのような気恥ずかしさを拭うべく、
少々つっけんどんな口調になったが。
俺は手にしていた上着を広げて、その肩にかけた。

彼女は不意の温かさに驚いたか手を止めて、




「うん、ありがとね」




そのまま襟元を引き寄せ、笑顔を見せた。

三成はやっぱりいい子だね、しきりに頷いているが別に喜ぶ歳でもない。
むしろどこまでも我が子扱いなのが有り難くも正直忌々しくも、あった。




…その我が子と思う男が不義な感情を持て余しているのだと知ったら。

彼女はどう思うだろうか。



無心に雪と戯れる無邪気な背中を見るともなく見て思う。




…このまま傍に居ては、いつか要らぬ事を口走ってしまうかもしれない。

彼女の望まない想いを。
俺はぶつけてしまうかもしれない。





やはり、離れるしかないのだろうか。




彼女に哀しい顔をさせる位なら。





…それが出来たらこうも悩みはしないが。
だからと言って、この想いもそう簡単には消せそうにない。

いつまでこうして、一人この想いをやり過ごせばいいのだろう。


─いっそ、気付かなければ良かった。



笑える程に完全な八方塞がりで、思わず溜息を零しそうになる。


が。




「こら。そんなんじゃ幸せが逃げるよっ」




鉄拳の幻覚に襲われ姿勢を正し、思わず溜息を飲み込んだ。
幻でも効果覿面とは恐れ入る…

おねね様の威力はまったくもって凄まじい。






─やがて、見事出来上がった俺の白い分身は、
心なしか満足そうにふんぞり返っているようにも見えた。




「…随分と偉そうですね」


「ええ?良く出来てると思うんだけどなぁ」


「…………」




これ以上不毛な会話は御免こうむりたい。

まぁ、無事完成も迎えたことだ。
そろそろたまった仕事に手を付けねばと、身体を起こしかけた。
正直言うとしゃがんで眺めていた脚が痺れてきたのだが。

その旨を伝えると、そぉ?と少し残念そうな色を見せながら、




「あ。それならついでに池の氷も見てっ…て、え?!」




俺が立ち上がりかけたのと同時だった。

踏み出した足元の水たまりに薄い氷が張っていたことを知らずに、
おねね様は足を滑らせていた。




「!」




危ない、

そう思った時にはその細い腰に手を廻し引き寄せていた。


しかし、立って支えるには間に合わず、やむなく地面に尻もちをつく。

少々身体が痛むものの、俺が下敷きになれたのが幸いだった。
怪我などされてはこちらが困るというものだ。

…本当にこの人は手間のかかる。




「ったぁ……、て、ごめん三成!」




しかし俺の上にもたれているにも関わらず、この軽さは何なのだ。

身体越しに伝わる体温と、その思わぬ柔らかさに気恥しくなり、
抱き寄せていた身体から急いで手を離した。




「だったら早く退いてください」




そしていつものようなつっけんどんの台詞を吐く。
その態度とは裏腹に高鳴る鼓動が煩わしくて堪らない。

地面に後ろ手をつき、ついでに激しくそっぽも向いてみた。


でないと、この体勢は色々な意味で辛過ぎる。



頼むから早く退いてくれ。

半ば祈るような気持ちで身体を反らしている俺の気持ちなど
知る訳もないのだろうが。


それを嘲笑うかのように、
おねね様はじっと俺の必死に背ける顔を横から覗き込み、




「……ねぇ。三成」


「は」




口から飛び出るかと思う程に、心臓が跳ね上がる。

…気配が近すぎて堪らない。

顔は背けているものの、おねね様の視線が
間近から己へと注がれている事を嫌という程感じた。



何だ。


何なのだこの有り得ない状況は。



彼女から伝わる体温に、触れ合った身体に、言葉が出ない。
この非日常な距離の意味が、全く判らなかった。

うまく、息が出来ない……




「三成ってさ、よっく見ると……美男子なんだねぇー」


「………」




我が耳を疑った。

予想もしなかった言葉に思わず正面を向くと思わぬ近さに彼女の瞳があり。
今度こそ本気で飛び退いた。


だが彼女は、そんな俺の無様に焦る様さえ目に入っていないようで、

男にしては肌がきれい過ぎるだとか、睫毛が長いとか、鼻筋が見事だとか。
よくわからない褒め方をされるままにじり寄られ。

ひたすら目を白黒させていたのだが。


気がつけば、横顔にその柔らかな手で触れられていた。




「子供子供と思ってたのに…すっかり一人前の男の子なんだね」




…今、なのか。

今、ここで彼女の手を取って打ち明ける時ではないのだろうか。



だが、その後は…?




様々な感情や情景が、めまぐるしく脳内を駆け抜ける。


だが。
一瞬だけ躊躇したのち。


息を飲み。



ずっと逸らし続けていた視線を、初めて自ら合わせた。

正面から向き合い、彼女の眼差しを捉える。






だが。


─彼女の俺を見る眼差しは、どこまでも母親としてのものだった。





そこにある感情は、悲しい程の慈愛そのもので。

この頬に感じる指先の愛情は、俺の望むものではなかった…




「…三成?」




おねね様が、少しだけ驚いたような表情を見せる。
もしかすると、微かな動揺も混ざっていたかもしれないが。


無理もない。
普段の俺になら軽く振り払われる筈の、おねね様の白い掌に。

俺の掌が重なってきたからだ。



いつもの様に振り払うことなど、出来なかった。
ただ、その優しい温もりが離れて行くのが怖くて。


重ねた指先に、そっと力を込めてみる。



おねね様に触れられた頬が、更に痛い程の熱を持つ。

彼女の表情を見る勇気がなくて、目を伏せていた俺に。



彼女は、何も言わなかった。




…思えば、初めて自分の意思で彼女に触れた気がする。
それは母と慕ってではなく。

ただ想いを寄せる、たった一人の女性へと。



だから、離れるのも俺からがいい。


だから。




「…もう、行きます」




ゆるやかに、その掌の温もりを押しやった。





***









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