三ねね話(現代)

□夏色〈3〉
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ドアの外で、ちゃりちゃりと微かな音がした。

そして。



「ただいまー」

「お帰り…、てどうしたんだよ」



兄の早過ぎる帰宅に驚いて壁の時計を見上げた。
まだ18時をようやく過ぎた位だ、外はまだ明るいのにこの時間の帰宅はかなり珍しい。



「明日から1週間出張行って来る。朝早いから勝手に行くぞ」

「わかった。今度はどこだよ」



名古屋ー。

足早に引っ込んだ部屋の奥から返事が聞こえる。
明日とはまた急だな、ビジネスマンも大変だ…そう思いつつ夕食の支度に取り掛かる。
とは言っても昨日作ったシチューが鍋半分残っていたので、それは温めるだけでいい。
冷蔵庫のサラダ以外に何かあるかな、そう思っていたら。



「あ、昨日のシチューまだあっただろ?それに合いそうな奴買って来た」

「へーどんなの?」

「鮭のムニエル。焦げ目がめっちゃ美味そうでさー」



そう言いながらガサゴソと包みを取り出す。
テーブルに現れたその簡素な包装紙は、ものすごく見覚えがあった。


─もしかして。



「そ。俺も今日初めて行って来たけど色々あるのな」



もしかせずとも。
そこは俺が足繁く通う例の総菜屋に違いなかった。

包装を解いてる傍から、食欲をそそられる香りがふんわりと漂ってくる。
たしかにこれはシチューに合いそうだ。



「どれがいいか判らなくて迷ってたら女の子が勧めてくれてさ」



女の子…多分、あのおせっかいな人なんだろう。
無意識に例の小柄な店員を思い浮かべた。



「全部美味そうで選べないよな、金が続くなら毎日でも通いたい位だよ」



たしかに。

懐が許す限り買い占めたい衝動に駆られるがそんな訳にも行かず。
男二人分の食費をやりくりして適度に週2、3日通うのが関の山だ。
お陰で通う楽しみもあるという物だが。



「飯は上手いし女の子は可愛いし。最高だねありゃ」

「………あそう」



どんな売り文句だよ。

呆れながらも、あの人懐こい笑顔で色々兄貴に勧める姿が容易に想像出来た。
そして兄貴の方も目線を合わせてうんうんと頷く様がまた面白いように目に浮かぶ。
抜け目ない兄貴の事、きっとかわいいねの一言位さらっと口にしている事だろう。

見ろ、案の定俺も時々顔見に寄ってみるわとか言い出す始末だ。
総菜屋に行っといて商品じゃなく店員目当てかよ。

何とはなしに面白くない…と感じるこのもやもや感は一体。



…待てよ、女の若い店員て他にもたしか居たような?
例の店員のインパクトが強すぎて良く覚えていないが、長い髪の店員が居た気がする。
清潔そうにいつも髪を束ねてレジに立って居たっけか。

何とはなしに、聞いてみる。



「─その店員て髪結んでた?」

「はぁ?どうだっけな……あ、うんうん結んでた結んでた」



違ったか。

何故だか判らないが、その答えにどこかほっとしている自分がそこに居た。


ふと、我に返る。

俺は何を気にしてるんだ。
だいたい兄貴が可愛いと褒めてる店員が何故あの人だと思ってるんだ?

これではまるで。



………。



まぁ、何にしても。
理由は良く判らないが、兄貴が気に入っている店員が彼女でなければ…それで良かった。





***





「あれっ」



人影もまばらな交替間際の平日午後22時。

飲み物、雑誌、その他商品のバーコードだけを探して黙々とレジをこなしていたその時。
俯いた俺の耳にふいに飛び込んで来た覚えのある声…。



「あ、」

「やっぱり!ここでバイトしてたんだー」



そう親しくなった覚えもないが、レジの向こうから例の店員が俺を見上げてにこにこと話し掛けて来た。
そんな物好きはそう居ないので、全開の好意的オーラに慣れない身体が微かに強張る。

普段と逆で、俺の方が制服姿の店員で彼女はエプロンを外した初めて見る私服姿だった。
と言っても快活な彼女らしい黒系のTシャツに細身のジーンズ、所謂モテ系ななりではなかったが、
却ってそのシンプルさが彼女のスタイルの良さを際立たせているかに見える。


ような気がする。


しかしよく見ると、カジュアルな中にも高価そうな腕時計に華奢なブレスレットがどこか大人な雰囲気があり、耳元で揺れるピアスもよく似合っていた。
…思わぬ遭遇に割と動揺している筈なのに、しげしげとよく眺めているな俺も。



「今までも会った事あったりしてね、全然知らなかったー」

「そうですね、週3回の夜しか入ってないし」



だとしたら、これからも偶然この店で鉢合わせる時があるのだろうか。
まぁ、…別にいいけど。

というよりまだ知り合って間もないのでお互い気付くも何も無いんだが。


それにしても、と彼女は一人でぶつぶつ続けている。



「学校もあるのに随分働き者なのねぇ、身体壊さない?」

「や…時間短いんで平気です」

「そう、なら良かった。ていうか相変わらず細いけどちゃんと食べてる?好き嫌いは駄目だよ?」



母親か。


また名前も良く知らない相手にお説教とは何と言うか、すごい人だな…
それが妙に可笑しくて、口の端が自然と歪んでしまう。

しかしこう間近で手元を見られていると思うとどうにも落ち着かない。
妙にそわそわする感覚を悟られぬ様、平静を装って仕事を続けた。



「お会計1590円になります」

「はい、」

「─410円のお返しです」



彼女の小さな掌にレシートと一緒に手渡した。
水仕事をしているはずなのに、俺の武骨な指とは違う白くて柔らかそうで華奢な指。

ありがとう、見慣れた笑顔でそう言って受け取りながら。



「いつも何曜日にバイト入ってるの?」



不意の何気ない問いに、心拍数が跳ね上がる。

多分彼女的には何の意図もなく、ただ聞いている筈だった。
なのに俺は妙に一人どぎまぎして答えてしまう。



「あ…えっと、…火・木・土です…」

「そうなんだ。覚えとくねー」



やはりというか。

あっさりとそう言って、じゃあねと笑顔で帰って行った。



─ああ、びっくりした。


思いがけない遭遇と会話に一人うろたえてしまったが。
何を期待していたというのか、彼女の淡泊な去り際に胸の鼓動も面白いように収まった。
ささいな遣り取りで一喜一憂している自分が何とも滑稽でたまらない。

相手は別にこちらの事など気にしてなどいないのに。


でも何故俺のシフトをわざわざ聞いたりするのだろう。
…別にわざわざではないか。どうみても会話のついでだ。


いや、別に何がどうという事はないけれど。


それにしても不思議な人だった。
これからのバイト生活がほんの少しだけ楽しみになった気も…また少しだけ億劫に感じてしまうのは何故だろう。





***





俺のバイト先で偶然出会ってから数日後。

兄貴はまだ出張から戻っては居なかったが、久しぶりに総菜屋に寄る事にした。
たまには自分のバイト代で食べたい物を好きなだけ買っても良いだろう。
今日は家庭教師があるから急ぎ足で寄らなくてはならないが。

穏やかな昼下がりの授業中、隣の席の清正は教科書を楯にすやすやと寝息を立てている。
先生に気付かれない様何度か小突いてみたが、一向に起きる気配がない。


…勝手にしろ。


俺の方はといえば、真剣な様子でノートを取ってはいたものの。
まぁ、頭の中は帰り道何を買うかで一杯だった。



「いらっしゃいませ」



レジの奥から聞き慣れない声がする。

ふと目をやると、そこには小綺麗に黒髪をまとめた若い店員が居た。
この店のカラーはオレンジ系なので、皆揃いのエプロンに、同色のチェックの三角巾スタイルだ。


…そういえば兄貴が色々言っていたような。

今まで気にした事はなかったが、言われてみれば控えめな和風美人といった所か。
何となく軽く会釈を返し、店内を物色して回る。


一周してひととおり目を通し、トレーには大方食べたい物が載っている。
が、今日はメニューになって居ないのだろうか。
ししゃものマリネが食べたかったのだが、どうにも見当たらない。

一番のお目当てが無かったのが何気にショックで、別の惣菜を代わりにしようかとも思ったが。
どうも他の物へは目移り出来そうにもなく渋々とレジへと足を向ける。


そこへ、



「あー。いらっしゃい!」



俺の背後から、今度は聞き慣れた声がした。

振り向かずとも判る、その無駄に元気な明るい声は。
きっと今日も短い茶色の髪を弾ませて…



「…え」

「え? …ああ、この髪?おかしいかな」



伸びて来たし暑くなってきたしで最近結んでるんだー。


彼女を振り向いて動きが止まった俺を不思議に思ったらしい。
そうご丁寧に説明してくれるのだが半分程しか耳に入って来なかった。

いつもなら頭に巻いた三角巾からのぞく柔らかそうな髪が、すずめの尻尾のようにこじんまりと纏まっている。
意地でも顔には出さないが、自分でも驚く程の落胆ぶりだった。


違ったら良い、そう思っていたのに。

…この前兄貴が言っていたのは、やはり…。


自分でもよく判らないが。
何とも言い様のない感情が、もやもやと湧き上がっては胸の中で燻り出す。


つまり、今までの兄の派手な恋愛遍歴を見るに嫌な予感しかしなかった。

持ち前の愛嬌とマメさ、話術も巧みな無類の女好き。
その癖仕事は出来るという無欠ぶりの所謂モテ男。

欠点を強いて挙げるならば、その情熱が一人に長続きしない所位か…



その兄貴が本気で彼女を気に入ったのだとしたら。


別に、だからと言って兄貴とこの人で恋愛が始まると決まった訳ではない。
なのにどうして俺はこんなに不安を感じるんだろう。

むしろ、俺は何でこの人の事をいつも気にして…?



目の前の、やけににこやかな彼女を見るともなく見つめる。


ただ親しみのある笑顔を向けられるのが面倒臭くも照れ臭く。
ぶっきらぼうな態度しか取れない俺をめげずに構ってくれるのが嬉しくて。

気が付けば、少しずつ彼女との距離が縮まっていくのを心地良く感じていた…らしい。


それなのに。



どうしたって兄貴に比べて勝ち目の無い俺は、一人妙な焦りと戸惑いに襲われ。

今日は急ぐので、と俯いたまま彼女と別れ、まるで逃げる様に店を飛び出した。






*****









【1590円にピンと来たら。お主こそ真の戦国無双よ!(黙んなさい)というかどうにも後ろ向きなみっちゃんですみません…(笑)】

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