◆必殺仕事人シリーズ◆

□雨
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勇次はいつものように、店で三味線の皮の張替え作業を行っていた。表では、赤い前掛をした三毛猫のミーコが熱心に顔を洗っている。
「こいつは雨でも降るのか?」
勇次は俗信などあまり信じないが、何となく気になったのでミーコを店の中に入れた。

程無くして、通り雨が降り始めた。表を行き交う人々の足取りが慌ただしくなる。
勇次は店の中に雨粒が入らないよう、窓と戸を閉めた。
「ミーコ。お前ぇ、危うく濡れちまうところだったな」
抱き上げて頭を撫でてやると、ミーコは嬉しそうに声を上げる。
その時、突然店の戸が開いて一人の男が駆け込んできた。勇次は男の姿に目をまるくする。
「秀…?どうしたんでぇ?そんなズブ濡れで…」
「悪ぃ。しばらく雨宿りさせてくれ」
駆け込んできたのは飾り職人の秀だった。かなり雨に打たれたのか、髪も服もひどく濡れている。
勇次はミーコを降ろして棚から手拭いを取り出した。
「随分派手に濡れたな。水も滴るいい男ってヤツか?」
「うるせえな…。簪(かんざし)届けた帰りに通り雨に遭っちまったんだよ」
ふてくされながらも、秀は差し出された手拭いを素直に受け取った。
「そいつは災難だったな。まぁ…体冷やして風邪ひかねぇようにな」
勇次の一言に、秀は髪を拭きながら苦笑した。
「お前ぇに心配されなくとも、こちとら水ん中から『仕事』することだってあるんだ。こんな雨に打たれた程度で風邪引く程、やわな体じゃ……っくし!」
秀のくしゃみで店の中がしばしの沈黙に包まれる。それをミーコの鳴き声がかき消すと、勇次は途端に笑いが込み上げてきた。
「なるほど。確かに、その調子じゃあ風邪ひくこたあねぇよな?」
「ちっ…。つくづく厭味(いやみ)な野郎だぜ……」
秀は決まり悪そうに顔を背ける。
「…まぁ、冗談はこの辺にして……中へ入ぇれよ」
「は?」
唐突に勇次に招かれ、秀は思わず声が裏返ってしまった。
「中で火ぃ焚いてやるって言ってんだよ」
「一体ぇどういう風の吹き回しだ?三味線屋…」
疑り深い秀に、勇次は軽く溜め息をつく。
「お前ぇが風邪でもひいて、裏の仕事の足手まといになってもらっちゃあ困るんだよ」
「へっ、余計なお世話だ」
そう言いつつ、秀は履物を脱いで店に上がり込んだ。
「お前ぇ、言ってることとやってることが違うじゃねぇか!」
「俺は優しいからな。厭味な三味線屋の好意を素直に受けてやってんだよ。急いで火ぃ焚いてくれ」
秀はそのまま店の奥へ入っていった。まるで遠慮する素振りを見せない彼に、勇次は軽く舌打ちする。
「厭味なのはどっちだよ……」
腑に落ちない気持ちを抑えつつ、勇次も秀の後について奥へと消えた。

部屋の真ん中にある火鉢の灰に炭火を置くと、独特の香りが部屋の中にゆったりと漂う。少しだけ窓を開けて、秀は火に手をかざした。
「もうじき春が来るとはいっても、まだ冷えるな…」
外の雨を眺めながら勇次が呟く。
「お前ぇの家はまだマシな方だろ?俺んとこの長屋なんて、年がら年中隙間風が入るから、春も冬もあったもんじゃねぇ」
「ははっ。そいつは大変だな」
振り向くと、不意に秀の無防備な背中が目に入った。彼の髪も服もまだ微かに湿っている。
勇次はしばらくその後ろ姿を眺めていたかと思うと、おもむろに秀の隣へ近付いた。
「ところで、俺はお前ぇの為にわざわざ火ぃ焚いてやったんだ。礼の一つも貰えねぇのか?」
「ん?ああ、そうだな。ありがとよ」
秀があっさり答えると、勇次は気が抜けたように項垂れた。
「そうじゃねぇって……」
秀にそっと手の平を差し出す勇次。その行動を訝しむように、秀は眉間に皺を寄せた。
「お前ぇ、なに加代みてぇなことしてんだよ?」
何でも屋の加代が相手に手の平を差し出す場合、大抵は御足の催促を意味する。それと同じようなことを勇次がしたものだから、秀は呆れて困惑の色を隠し切れなかった。
しかし、勇次は誤解だと言わんばかりに苦笑する。
「別に銭が欲しい訳じゃねぇよ。俺は――」
その時、彼の目つきが一瞬で変わった。普段の穏やかな三味線屋から、獲物を虎視眈々と狙う闇の仕事人へ――。
その変化に気付いた時、既に秀の体は勇次の腕の中に抱き寄せられ、そのふくよかな唇を奪われていた。
一瞬、二人を取り巻く大気や時間全てが凍りつく。三味線屋の屋根瓦を打つ雨音に隠れて、勇次の舌がそっと秀の口内を這い回った。
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