◆必殺仕事人シリーズ◆

□曇
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心に掛った霞が晴れぬ夜は、ついつい遊郭に足を運んでしまう。
幾度となく遊女と戯れる夜を過ごしても、この胸の奥に開いた小さな隙間を埋めることは出来ない。投げ掛けられる誘惑の眼差しも、熱の込もった甘美な吐息も、所詮は一夜の夢物語。
紡がれる言葉は偽りとなって溢れ落ちる。しかし一言、低い声色で愛の言葉を囁けば、女はたちまちその身を委ねる。
紅の血で染まった両の手に優しさという衣を着せて、女の雪のように白い素肌を愛撫する。刹那の夢を謳歌しながら眠りにつく夜。

ムナシイ……。

欲望の傀儡へと身を堕とさざるをえなかった女に同情するつもりはない。ただ、そんな女を相手にすることでしか、己の気を紛らわすことの出来ない自分自身に嫌気がさす。
不満と不安の闇に押し潰されそうになる心を隠して、黄泉比良坂(よもつひらさか)を彷徨い続ける日々。この牢獄のような日常に安らぎなど存在しない……そう信じていたはずだった――。

  *

今朝から江戸の町は曇り空で覆われている。まるで自分の心を映したような空模様に、勇次は軽く溜め息をついた。
「なんだい勇さん?朝っぱらからシケた面して…。いい男が台無しじゃないかい?」
三味線屋の前を通り掛った加代にちょっかいを出されても、勇次は言い返すことなく黙々と仕事を続ける。相手をする気がさらさら無いことを悟ると、加代は鼻を鳴らしてさっさとその場を後にした。
「…………」
仕事に集中すればモヤモヤした気分も忘れられると思っていたが、ふと気が付くと、勇次はある男のことを考えている自分を認識した。
(秀……)
彼の優しさと力強さ、そして裏稼業の最中に見せる殺意に満ちた眼差しが、闇の世界に降りた一筋の月光のように勇次を惹きつけて止まない。
なぜ、これ程まで秀に固執しているのか――?
幾度も自問自答を繰り返したが、未だ明確な答えは得られていない。そのもどかしさと秀に対する想いだけが日に日に募り、満たされない欲求となって勇次を悩ませる。
その時、張り替えていた三味線の糸が突然切れた。力を入れ過ぎたのか、あるいは古くなって自然と切れたのかは定かではないが、勇次は力無く横たわる糸の先を黙って見つめている。
彼の中で何かが蠢(うごめ)いた。

彫り終えた簪(かんざし)を井戸の水で洗うと、屑汚れが落ちてまばゆい輝きを放ち出す。出来立ての作品を眺めて、秀は満足そうな笑みを浮かべた。
誰の手に渡るとも知れない簪。しかし、心を込めて作った自分の業物に秀は誇りを持っている。誰かの為に物づくりが出来る飾り職は、彼にとって正に天職だ。
その時、簪が放つまばゆい光に秀はある男の鋭い眼光を重ねて見た。吸い込まれそうなほど黒く、艶やかな輝きと死の香りを放つ瞳。
(三味線屋……?)
その名を思い浮かべて、秀はとっさに簪から目を逸らした。今もなお、体に刻まれた彼の手の熱と口付けの感触が秀の心を惑わせる。
否……真に惑わすモノは己の内にある事を秀は知っていた。知っていながら目を逸らすのは、ソレを認めてしまえば自分という存在をも否定しかねないからだ。
「――っ!」
やり場の無い想いをどうすることも出来ない苛立ちが、手にしていた彼の簪(こころ)をへし折った。
「……また……やり直しだ……」
次こそは、惑うことなき純粋な輝きを放つ簪を――。秀は心に堅く誓った。

昼下がり。「飾り職」と書かれた看板が下がった部屋の前に立つ。長屋の住人はほとんど仕事に出ていて、向こう三軒両隣の部屋は物音一つ聞こえてこない。
辺りを注意深く見回し、人が居ないことを確認すると勇次は部屋の戸を叩いた。しばしの間が、気が遠くなるほど長く感じられる。
やがて、部屋の住人が気だるそうに戸を開けた。
「三味線屋…!?」
予想外の来客に秀は目をまるくした。また簪を彫っていたのか、彼の半纏は削り屑で少し汚れている。
勇次は無言のまま部屋へ押し入り、後ろ手で戸を閉めた。明らかにいつもと雰囲気が異なる。じわじわと獲物を追い詰めるような眼差しから、秀は思わず一歩退いた。
その途端、勇次はいきなり秀を冷たい板の間に押し倒した。
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