◆その他版権モノ◆

□性 sex
1ページ/6ページ

金曜日の放課後、図書室に行くと森野がいた。彼女は外国文学の本棚の前で立ち読みしている。
僕が近づくと、気配に気付いたのか彼女は本から顔を上げた。
「珍しいね。君がこんな所にいるなんて……」
「そうでもないわ」
森野がそう言った理由はすぐに理解できた。彼女が読んでいた本の題名は『グリム童話』。明るいおとぎ話の中に残酷さが潜む物語。僕も小学生の頃に読んだ記憶がある。
「このお話……」
森野は開いていたページを指さした。そこに書かれていたのは『赤ずきん』の一場面だった。
「オオカミが赤ずきんを食べてしまうシーン。ここではオオカミを誘惑者としての男性、赤ずきんを無垢な少女として描くことで性的危機を表現しているらしいの」
僕もそのシーンは以前から気になっていた。どうしてオオカミは赤ずきんを噛み砕かず、まる呑みにしてしまったのだろうか、と……。
「他にも性的な意味を含んだお話がいくつかあったわ。『グリム童話』って、なんて卑猥で残酷な物語なんでしょう」
森野は無表情のままそう言った。特に同意を求めている訳でもなさそうだったので、僕は何も言わなかった。
森野は本を閉じて目の前の本棚に戻した。その際、彼女の右手首に刻まれたリストカットの痕が一瞬だけ見えた。
本を戻した後も、森野はしばらくの間『グリム童話』と書かれた背表紙を凝視していた。その黒い瞳が何を捉えているのかはわからないが、少なくとも物語を反芻しているとは思えなかった。
「あなたにも、そういうものに対する関心があるの?」
唐突に森野が問い掛けてきた。しかし、彼女の質問の意味が少しわかりにくかったため、僕は何も答えなかった。
すると、森野はやや躊躇するような口調で改めて言った。
「……その……つまり……」
性的なものに対する関心よ。
森野の唇はそのように動いた。

過去の殺人事件が載っている記事を反芻している内に、図書室の閉館時間が訪れた。
僕が帰り支度をしていると、森野が鞄を持って図書室から退室した。
僕と森野はいつも一緒に帰るわけではない。たまたま帰る時間が同じだから一緒に帰っているように見える、というのが大半だった。彼女が別れの挨拶をせずに帰るのもいつものことだ。
森野の背中から目を離そうとした直前、同じ学年の男子生徒三人が彼女に何か話し掛けているのが見えたが、特に気にせず鞄に筆箱を入れた。
図書室から廊下に出ると、すでに森野の姿は無かった。僕はそのまま下駄箱まで通じる廊下を歩いた。
廊下の窓から外を見ると、墨を混ぜたように薄暗い青空の向こうで沈みかけた太陽が周囲の雲を赤く染めていた。校庭では、まだいくつかの運動部が活動をしている。
反対側の窓からは移動教室が密集した校舎が見えた。ほとんどの教室の窓は閉まっていて人気が感じられない。文化部の部室や準備室の灯が影を纏った校舎の中でひと際目立っていた。
その中のある教室に僕は目を向けた。そこは、かつて森野が痴漢教師を撃退したといういわく付きの教室だ。同時に、僕の計画が失敗に終わった因縁の場所でもある。
しかし、今思うと、あの時僕の計画が失敗したのは本当に幸いだった。森野があのまま痴漢教師に殺されていたなら、僕はその後の興味深い殺人事件や殺人者たちに出会えなかったのかもしれないのだから。
そんな因縁の場所、化学講義室の窓から森野と先程の三人の男子生徒の姿が見えた時、僕は下駄箱に向かっていた足を職員室へと向き直した。

  *

中学の頃、クラスメイトに誘われてアダルトビデオを見たことがある。
アダルトビデオが人間の三大欲求の一つである性欲を満たすための代物だということは知っていたが、実際に見たことはなかった。
僕は少し興味もあったため、クラスメイトの誘いに同意した。
しかし、映像を見ても僕は通常起こるはずの性的興奮がまったく起こらなかった。それどころか、画面に映し出された性行為の光景は、二つの肉塊がただ蠢いているだけにしか僕の目には映らなかった。
結局、僕は自分が普通とは違うということを改めて認識させられただけだった。

図書室で森野に質問されて「わからない」と答えた時、その補足説明として中学の頃経験したことを話した。彼女は僕の話を実に興味深そうに聞いていた。
「どうして突然そんな質問をしたの?」
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ