◆その他版権モノ◆

□続・羅生門 〜京の夜明け〜
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闇に染まった道を、野獣のごとくかけ抜けてゆく一つの影があった。下人である。
下人は片方の手に、初めて暗黒の世界に足を踏み入れた「記念」の品をたずさえて、闇夜の道を走っていた。しかしもう片方の手には、何かやりきれない思いをかかえている。
彼はふと足を止め、暗い空を見上げた。小雨が静かに彼の顔をぬらしてゆく。なんて静かなのだろう。下人はそう思わずにはいられなかった。ただ時々、下人のそばを冷たい風が通りぬけるだけで、あとは何も聞こえない。
その時だ。
『本当にこれでいいのか』
声がした。たしかに、声がしたのだ。何も聞こえないはずの夜道で、声が聞こえた。その声は少し低めで、若い男の様な、しかしそれでいて威厳のある声だった。その声が、下人に囁く様に語りかけてくる。
「誰だ」
下人の声が、夜の闇にむなしく呑み込まれていった。
下人は身がまえて、辺りを見回した。どこを見ても一寸先は闇で、人の気配もまったくない。
(気のせいだったか・・・)
下人は着物の袖を直して、再び走り始めた。しかし5mほど進んだ所で、また立ち止まってしまったのだ。下人の脳裏には先程の男の声が、幾度となく響きわたっていた。
『本当にこれでいいのか』
下人は首を大きく振って気をとり直そうと努めたが、声はなかなか頭から離れない。
『本当にこれでいいのか』
「うるさい。だまれ」
下人の声が辺りにむなしく響いた。
(そうだ、俺は正しい。あの老婆の言ってたことは事実だ。俺とてこうでもしないと生きられない身なのだ。盗みをしなければ飢え死にする。俺は他人の命を犠牲にしてでも生き延びてやるんだ)
その時だ。下人の頬を一筋の光がつたわっていった。どうやら雨粒ではなさそうだ。
「俺は・・・どうして――」
下人はしばらくその場で立ちつくした。冷たい雨だけが、無情にも彼を責め立てていた。
下人の脳裏に、かつての主人の元で働いていた己の姿が蘇ってきた。毎日せっせと汗水ながして働き、他の貴族の者達からも信頼されていた頃の自分。それは間違いなく、生きていた時の自分の姿に他ならなかった。
「本当に、これでいいのか」
下人はあの言葉を思い出した。今の自分はただの盗人。しかし一生懸命働いていた時もあった。一生懸命生きていた時もあったのだ。
(もう一度、やりなおせないだろうか)
下人の心が少しだけ動いた。盗人である自分がみじめに思えてきたのだ。そしてその代わりに、昔の自分に戻りたいという願念がこみ上げてきた。下人は目をつむり、静かに息を吸い込んだ。
「もう一度、やりなおしてみよう」
下人の心に朝が訪れた。
ふと気付けば、いつの間にか雨は止み、空からは闇がどんどん逃げていく。下人はぐっと背伸びをして、それからあることに気が付いた。
「これはもう、必要ないな」
それは老婆から盗んだ着物だった。
下人は盗人から足を洗うという意味も込めて、その着物をあの羅生門へ持って行こうと決意したのだ。もう老婆はいないだろうが、代わりに裸になっている死骸にでもこの着物を着せてやろうと。それが罪滅ぼしになるとは思えないが、それでも今の自分にできることだけは精一杯してやろうと。彼はそう考えたのだった。
ほのかに明るくなっていく道を、風の様に走り抜けてゆく一つの影があった。下人である。
下人は片方の手に、これから始まる新しい未来(あす)への希望を抱き、もう片方の手に高まる期待をかかえていた。
羅生門が目前へとせまってきた。あそこからもう一度やりなおすんだ。下人はそう思わずにはいられなかった。今まで気味悪がられていた羅生門が、今では輝いて見える。
下人は羅生門に着くと、すぐ様二階へと続くはしごをかけ登っていった。相変わらず死骸の散乱している二階は、空が明るくなってきても、薄暗く不気味である。
下人がさっさと終わらそうと思って前進した瞬間、
「キエエエエエー」
と、まるでタカかワシが雄叫びを上げた様なするどい奇声が聞こえた。下人が気付いた時にはすでに遅く、彼は後ろから何者かに首を締められていた。それも縄ではなく、死骸の髪を何重にも束ねた物で。まもなく下人は息絶え果てた。
下人を殺した「何者か」は、彼のすべてを奪い取った後京の都へと姿を消した。
京の都に、朝が訪れた。
-END-
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