心空もよう
□いのこり
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バスケ部にマネージャーとして入部してから、結構な日が経った。
放課後に家ではなく体育館に行くという新鮮な感じもあり、部活はそこそこ楽しい。
先輩マネージャーさんがいなくなり、全ての仕事の質問をバスケ部員の人にしてもらう申し訳なさが無ければより楽しくなるのに、と考えてしまうのは贅沢かな。
ああそれと、この部活にある台風の目と言えば……
「緑間ー!レギュラーが個人練習ばっかしてたら話になんねーだろうが!!」
「まあまあ宮地先輩!抑えて抑えて!」
「宮地。一応部長の俺から緑間の我が儘は一日三回まで許可している」
「ちっ……木村、ちょっとデカめの南瓜持ってきてくんね?」
「軽トラに積んで持ってくるか」
今黙々とボールにシュートを決めている緑間君、かな。
台風の目だけは被害を受けずに、周囲が荒れている。今日の曇り空が、ここだけに台風をプレゼントしてくれたようだ。
それも、一日も欠かさず毎日。
緑間君は秀徳バスケ部のレギュラーに選ばれた。練習試合でもその圧倒的な差を見せつけたから、それは当然の結果に思える。
まさかハーフラインからスリーポイントを確実に入れる人間がいるとは思わなかった。
今でも彼のシュートがゴールネットをくぐる度に、自分の視力を疑っている。
キセキの世代は、本当に並外れていた。
……そして変人具合も、また並外れていたのだった
何と言っていいのか分からないまま、微妙な気持ちになり緑間君の手首を見る。
そこにはファンシーな兎が飛び跳ねるリストバンドがあった。
もちろん緑間君の私物であるが、緑間君の趣味ではない。例の如く、おは朝占いのラッキーアイテムだ。
いや、まさかここまで信仰しているとは……
消しゴムだったらまだ分かる。しかし、彼のラッキーアイテムに対する情熱はそんなものでは無かった。
ある日は緑間君の机の上にテディベアが置いてあり、ある日は何故か教室に竿竹があった。
ざわめく教室のクラスメイトも、最初は動揺したものの、徐々に理解したのか冷静になってきた。最近では、明日は一体何が教室にいるのか楽しみにするくらいだ。
私はいきなり教室に熊の木彫りがあり心臓が止まりそうになったおぞましい経験から、かなりラッキーアイテムには警戒している。
高尾君は緑間君への苦手意識…というか敵愾心から、初めはラッキーアイテムに好意的では無かったにしろ、近頃はちょっと笑ったりしている。
緑間君の変わらない努力を、認めざるを得なかったのだろう。
キセキの世代は天才ばかりだと、私もそう思っていた。けど緑間君は、練習に手を抜かなかった。他の一年生がついていけない程シュートを打ち続けている。
どんな日も、どんなに練習が辛くても、毎日。
緑間君のシュートはただ才能に支えられているものじゃない。弛まない努力の結果だった。
あのラッキーアイテムが人事を尽くしていると主張されると首をかしげるしかないが、本人の意思は尊重しよう。
影響をきたしていない…わけではないけど、まあそれで精神面が保たれるならやむを得ない。
「空ちゃーん!ドリンクどこだっけー?」
「あっ、はい!今持っていきます!」
キョロキョロとする宮地先輩は、ボールを指先で回しながらそう叫んだ。
レギュラーの中で最も緑間君にブチ切れる先輩で、さっきも家が八百屋の木村先輩に緑間君にぶつける為の南瓜を要求していた。
怖い先輩なのかなと怯えているので、宮地先輩だけは怒らせないように活動している。
笑顔で怖い事を口走る宮地先輩をよく怖がらないな……緑間君
彼の心臓が私と同じ構成物質から成り立っているなんて、とても信じられない。
心の底からその一点だけ感心していると、パタパタと手で顔を扇ぎながら高尾君も来た。
「サンキュ、空ちゃん!」
「高尾君がレギュラーにならなかったら、きっと怒髪天を突いた宮地先輩に緑間君の眼鏡は割られてたね…。あと、え?」
「まあ、俺はムードメーカーだし?緑間が生み出すムードには負け気味だけど。…ああ!名前?なんか『さん』付けって距離あるじゃん!だからー、ちゃん!」
差し出したタオルで汗を拭きながら、高尾君はドリンクに口をつけた。
いきなり名前の呼び方が変わったので戸惑ったけど、呆気からんと言われてしまえば頷くしかない。
高尾君と仲良くなれるのは、部活仲間としてありがたかった。
「ぷはー!生き返るー!」
「…………」
作っておいてなんだけど、不思議なボトルだ。
テレビでよくスポーツ選手が飲むような、奇妙なボトル。
プラスチックの哺乳瓶みたいな形で、なんと真ん中辺りを手で握り押すと中のドリンクが出るようになっている。
珍しいので、つい人が飲んでいるところをまじまじと観察してしまった。
高尾君は飲み終わったので、まだ飲んでる緑間君の方に顔を向ける。
「………」
緑間君も、ドリンクを大人しく飲んでいる。
緑間君でも喉が渇くんだな…と妙な感心をしてしまう。濃すぎたりしないか心配だったが、何のコメントも無く飲み終えていた。
ほっとした事で、少しだけ勇気が出る。
汗を流している緑間君に、タオルを差し出した。
「お、お疲れ様…です」
「ああ、すまない」
無事に受け取ってくれた。
安堵して緑間君から離れ、落ちているボールを広いに走る。
……邪魔だとか、言われなかった
挨拶くらいはできるようになったけど、それ以外の交流は未だにできない。
ごく普通な会話を目安に頑張って、だいぶ心の中で遠慮は取れた。
極悪人ではないのだから、と自分を励ましながら緑間君と関わろうともしている。
ただ、ナチュラルにはまだ遠かった。
緑間君に高尾君程のコミュニケーション能力があれば…って、あってもそれはそれで怖いな。
愛想のいい緑間君なんて、扱いに困る。
想像力の限界を感じながら、緑間君から目を逸らした。
ボール拾いを続行し、足元に転がるボールに手を伸ばす。
「…………あ」
バスケットボールを拾おうと腰を曲げて体を起こすと、視界が一瞬真っ黒になった。
貧血だと理解しながらも、成す術もないまま立ち尽くす。鈍い痛みに、眉を寄せた。
ここ最近、あまり寝ていないからか。
マネージャーの仕事を覚えるのに必死になって、つい夜更かししてまで本を読んでしまった。
緑間君を見ててテーピングのやり方を知らない事に気付き、本を借りて読み込んだ…
おかげで寝不足だし、メモ帳に綴られた文字はミミズがのたうち回っているようなものもある。
軽い気持ちでマネージャーを受けたわけじゃないけど、騙し討ちに遭ったような入部だから、準備ができていなかった。
普段の練習でマネージャー仕事に支障が出ないように、でも朝練には遅刻しないように、となると…やはり夜しかない。
しかも勉強ができる方でないから、体力的に授業についていくのもしんどい。
だいぶ回復してきた視界に息をつき、ボールに手を伸ばす。
その時、誰かの手に手をぶつけた。
「……あ、すいませ…」
「…………」
緑間君でしたか。
まだ休憩時間中だったと思うのだけれど、何故か緑間君がコートにいる。
無言でボールを拾い上げた緑間君は、じっと見下ろしてきた。
「緑間君、しっかり休憩取らないと練習で疲れが……」
「そこまでヤワじゃないのだよ」
またそういうこと言うと、まるで今休んでいるレギュラーの先輩とか高尾君がヤワみたいじゃないですかやだー。
ほら宮地先輩が笑顔でボール投げようとしてくるのを、高尾君が止めてるし。
「……それに、休むべきなのはお前なんじゃないのか」
「………え…?」
「もう練習を始める。話しかけるな」
有無を言わさず緑間君が踵を返し、シュート練習を始めた。
こまめにある休憩は、疲労を溜めない為に必要。そう本には書いてあったけど、マネージャーの知識がゼロの私の付け焼き刃の知識を押し付けていいか迷う。
それに集中した緑間君に話しかけていいか、かなり悩む。
こういう時は、あらゆるマネージャーについての本の情報をメモしたあれを…
「あ、あれ?」
「よし。練習を再開するぞ」
ポケットに手を入れ目を丸くすると、大坪部長が手を叩いた。
メモ帳が、ない。
けれどそれを探す間もなく、練習が再開された。
「…………どこかに、落とした?」
うわ。どこに?
心当たりがない。朝練の時には見たから、多分この学校の敷地内だと思う…けど
書いたことは殆ど覚えているけど、無いとそれはそれで心許ない。
今日の練習が終わったら、探さないと…
メモ帳の居場所に考えを廻らせながら、練習をこなしていく。
灯台下暗し、という結果に脱力するのは、もう少し先の話だった。
―――――………
「ないよ……ないよー……」
部活が終わった後、一人で教室でゴソゴソとしていた。
すっかり春の夕日が落ちて、暗くなっている。元々曇りで薄暗かったのに、更に暗闇になってしまった。
ジャージに入れていたから、もしかしたら体育の時に落としたのかも…?
だとしたら、絶望的だ。今日は外で持久走があったんだった…
でも教室にないなら、ジャージから落としたに違いない。
「……もう一回、探してみようかな」
体育館をもう一度見てみて、無かったら諦めて帰ろう。
メモ帳の中身も大事だけど、拾われて見られる事の方がもっと大変だ。かなり恥ずかしい。字は汚いし途中で力尽きた線が走ってるし。
「……あれ?」
ふと窓ガラスの外を見てみると、明かりが灯っていた。体育館にはまだ光がある。
こんな時間に何でついているんだろう。
レギュラーの先輩が居残りでしばらく残るって言っていたけど、それにしても長い。
やっぱり強豪校は練習も命懸けだ。あんな血を吐きそうな練習の後にまだ練習を追加するなんて、常人にはできない。
でも体育館が開いているなら、ラッキーだ。
急いで教室を出て体育館に向かった。できれば残っているなら大坪先輩がいいなー優しそうだしなーとか、期待しながら靴を脱いで体育館の扉を開ける。
「う」
息が止まった。
今まさにシュートを打ったばかりの緑間君は、扉の開いた音に顔を向けてくる。
「……マネージャーか…。まだ体育館が閉まる時間ではないはずなのだよ」
「……緑間君、が、いる…」
「自主錬なのだよ。何でお前はここにいる?」
「……あ、探し物をして…」
緑間君ですかぁぁー!!
そんなそれは予想外でしたね!まさかここで会うなんて思ってなかったから、衝撃で一気に昇天するかと思った!良かったよ生きてて!
「メモ帳なら、そこに置いてあるのだよ 」
「ありがと…あっ、えっ?て、え」
「とても読めたものではない字でテーピングやら吸水やらバスケのルールやらが書いてある明らかに女子のメモ帳だったから、お前の物だと断定した」
「読めてる!しかも結構綿密に目を通してる!」
そして酷い!せめてそっとオブラートに包んだ感想を言って欲しかった!
ていうか『明らかに女子』なリストバンドをしている緑間君に言われた!悲しい!
緑間君の辛辣なコメント付きで発見されたメモ帳は、体育館のステージの上に置かれていた。
あのミミズ字を見られたと思うと恥ずかしくて耳まで熱くなる。瞬時にメモ帳を取り、ポケットに突っ込む。
部活内で一番見られたくなかった人に見られてしまった。
しかも案の定、慰めのないコメントがザクザク体に突き刺さってくる。
「でも見つけてもらって助かりました…ありがとう…ございます…」
「大したこと無いのだよ」
「……緑間君って、毎回練習終わった後に練習してるの?」
周りに落ちているボールと、緑間君の横にあるボール入れ、そして汗を拭う緑間君をまとめると、そうとしか考えられなかった。
でも、自分の目が信じられない。
まだ一年生だよ、この人。それなのに、これだけシュートを打ったの?
膝から崩れ落ちて、直ぐにでも帰ってベッドに倒れ込みたい程の練習。
マネージャーとして練習に参加しても、とてもじゃないけど居残りなんて考えられなかった。
それなのに緑間君は、あれだけ練習したのに、それなのに。
「…………」
感動していた。
初めて、人を見て感動した。
しかし緑間君は惚けている私を見ながら、ただ瞬きをしていたのだった。