☆弐万打記念

□食後のひと時を君と
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捕虜を入れるための独房とはいえ、一般的なイメージにある窓が小さく暗く狭い室内に簡素なベッドと便器があるだけ、な独房からすると。
このマザーベースの独房は非常に綺麗で待遇はいいと思う。
衛生面を考えトイレはもちろんシャワーまである。窓はさすがに小さいが照明はきちんと完備され本だって読める。
ベッドの寝心地もホテルのようだとはいかないまでも悪くもないはずだ。
我々が仮眠室で使う簡易ベッドと同じものなのだから。
「よぉう、ご機嫌はどうだい?」
「悪くないね、今日のスープも大層美味だった」
「あっそ。こっちはあんたが度々脱走してくれるんでボスがすっかりご機嫌斜めさ。それを宥めるこっちの身にもなってほしいね」
ミラーはベッドに座り優雅に食後のコーヒーなど飲んでいるガルベス教授…いや、実際の名はザドルノフか…を軽く睨みながら嫌味を言う。
しかし当の本人はどこ吹く風だ。
「おかげでボスとはよろしくやれたんじゃないのかね?」
「……下世話な想像はやめてもらおうか。俺を怒らせたいの?」
「そうだね。いつもヘラヘラとしたその顔が怒ったらさぞ美しいだろう。君にそのにやけた顔は実に似合わない」
「悪いね、これが地顔でねぇ?それより用件に入りたいんだけど?」
嫌味の応酬はウンザリだとばかりに肩をすくめ、さっさと話を進めようと本題に入る。
「あぁ、君とパスと私とでバンドを……だったかね?」
「そ。あんたピアノ弾けるんだろう?」
「まぁ嗜みとして一通りはね」
「ならキーボード出来るだろ。ここには他にそんなの弾ける奴いないんでね」
「……まぁ考えんこともない」
「頼むよ、パスも楽しみにしてるんだからさ」
「パスが…………ね……」
「ほら、これ楽譜。覚えといてくれよ」
「ほぅ、これを君が作ったのかね?」
「……なんだよ」
「いや?君にしては随分とかわいらしい曲じゃないか」
「パスにあわせたんだよ。キーボードは後で持ってこさせる。暇つぶしにもなるだろ」
「あぁ楽しみにしているよ」
ボスとは違った意味で、どうにもこの男にはミラーのペースに持ち込めない。
それが苦手でもあり、しかし決して嫌いではなかった。
何度か脱走されているため独房担当の兵士に念を押し退出する。
彼の度重なる脱走には何か意味があると見ているがそれが何かミラーにも分からない。
彼らが何者かを知ってはいても何を企んでいるかを全て知っているわけではない。
バンドの話は、彼らに接触する機会をより多く持つためにも有効だった。
パスはともかくとしてザドルノフに帰順を促す以外に接触していると身内からも変に思われる。
多く接触することで、何か分かるかもしれない。
しかしさすがにKGBのベテランエージェント。
一筋縄ではいかなかった。



「ふむ、はじめて飲ませてもらったときも思ったが君のコーヒーはなかなか美味い」
「そりゃどうも」
今日の食後のコーヒーはカズ自らがいれた。
今日は自分もカップを持ってきて、共に飲みながらの会話だ。
「このコーヒーを独り占めしているビッグボスが実に羨ましいね」
「変な勘ぐりは止めてくれって言ってるだろ」
「おや?私の勘違いだったかね?てっきり君たちはそういう関係だと思っていたのだが?」
「そういうってどういう?」
「ここで言って欲しいかね?」
「……あんた俺を不機嫌にさせる天才だな」
「それは光栄だ。君のその冷たい眼差しは非常に美しいのでね。君の真実を映している」
「ふん、……それでも茶番には付き合ってくれるんだな?」
「暇を持て余しているからねぇ」
思うように自分のペースに出来ないイライラを隠せずにいるとさらにそこに付け込まれる。
自分の余裕のなさにミラーは思わず自嘲の苦笑いを浮かべる。
「どうせならその無粋なサングラスを取っているともっといいのだがな」
「冗談、なんであんたのためにとらなきゃいけないのさ」
「ほほぅ、その素顔もボスが独り占めかね?」
「……はぁ、もう好きに勘ぐってくれ」
「おや、本当にボスは君に手を出していないのかい?」
「………………」
「そいつはもったいない。この肌をまるっきり触っていないとはね」
柵越しに顎から頬をひと撫でされぞくりと背筋が震えたが顔には出さないよう冷ややかにザドルノフを見た。
「君は実に男も女も手玉に取るのが上手そうだが……ボスにはそんなことすら通用しなかったかね?ミイラ取りがミイラ……というやつかな?」
「………………」
自分を怒らせて何が楽しいのか分からないが明らかに不快にさせようとしているのは分かった。
思い通りになってたまるか、と眉間にしわを寄せて見せるがそれこそザドルノフが見たいものなのかもしれなかった。
「君は男性経験があるだろう?」
「……どうしてそう思う?」
「勘、だな」
「………………」
「アチラもそんなことは調査済みだとは思うが私はそんな無粋なことはしたくなかったんでね」
「……否定はしないよ」
「……このマザーベースが……ビッグボスがそんなに大事かね?」
「……あんた俺に何を求めてる?何をさせたいんだ」
「先ほどもいったろう?ただその目を見たいだけさ。その無粋なものを取ってね」
「そんなもの見てどうする」
「いいやぁ?ただの自己満足さ」
「……あんたほんと食えない男だな」
「それはそのまま君に返そう」
「同感だ」
柵越しにのびた手がサングラスのブリッジにかかったがあえて止めなかった。
彼が何を見たかったかは知らないが確かに満足そうに微笑んだのでミラーはそれをただ無表情に見かえした。
「すっかり冷めちまったな。コーヒーのおかわりは?」
「ぜひ、いただこうか。先程よりもより美味しくいただけそうだ」

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