Wisteria

□第四話
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「よぉ…目ェ覚めたか」

そう言って、自身を見下ろして立つ人物を目にしても雨月は驚きはしなかった。左目を包帯で覆い、女物の着物を纏ったその人は、優雅に煙管を吹かし、白い煙を吐き出す。
雨月の口からは深い深い溜息が溢れた。

「何でまた江戸に居るんですか」
「江戸に用があるからに決まってんだろ」
「用って…」
「フッ…何、江戸にいる刀鍛冶にちょっとしたビジネスの話をな。こんなご時世だ。奴らも食いっぱぐれちまうだろ」
「高杉さんが慈善事業…?じゃあ、僕のことも助けてくれたんですか?」

高杉は喉を鳴らして笑い、顔を顰めた雨月の横に腰を下ろした。

「俺が幕府の犬なんざ助けるわけねぇだろ。殺すにもあんな場所じゃ『白魔の王子』の名が廃る。てめぇには王子の名に恥じねぇ、最高の舞台を死に場所に用意してやるよ」
「なるほど、『最高の舞台』ですか。王子の名に恥じぬ舞台となれば、僕は舞踏会しか思いつきませんけど…」

雨月は布団から上半身を起き上がらせる。
似蔵に斬られた胸がじくじくと痛み、ふと手を添えた時、滑らかな生地に触れて視線を下げた。青緑色の着物が目に映り、雨月は自身の格好に驚愕する。

「なん、え、ッ…うあぁ、痛い…!」

高杉は、ふぅーと煙を吐いた。

「相変わらず、貧相な体だな。成長してねえのか?」
「なッ…!」

カッと全身が熱くなる。

「高杉さんがやったんですか!?」
「不満か?」
「不満も何も!高杉さんは何だっていつもそう…!僕の制服はどこですか!刀は!」
「制服は捨てた。刀は誰の手にも触れねえ場所に保管してある」
「捨て…!?なんで!」
「あんな裂けて血だらけになった服、要らねえだろ。大体、てめぇに似合ってねえ」
「余計なお世話ですよ!もう…、じゃあ、所持品は?財布とか携帯…」

すると高杉は何処からともなく木箱を取り出して、雨月に手渡した。中には雨月の所持品である財布や警察手帳、ハンカチ、ちり紙の他に、バキバキに壊された携帯電話が入っていた。

「酷い…。最近、契約したばかりなのに…」
「仲間呼ばれちゃ堪らねえからな」
「僕に呼ぶ仲間がいると?」
「たくさんいただろ。新しいお仲間が」
「同じ制服を着てれば全員、仲間ですか」

財布の中身を確かめながら雨月は、安い関係だと呟く。

「高杉さん」
「何だ」
「絞首台でも断頭台でも構いませんが、僕がそのビジネスとやらを台無しにすれば、あなたはまた京に戻ってくれるということですよね」

藤色の目は高杉を見ていた。
高杉は、不敵な笑みを浮かべ、雨月の顎を掬う。

「理央…てめぇ、何でここにいると思う?何のために攫ったと思う?幕府とやり合うにゃてめぇは邪魔なんだよ。特命係だか何だか知らねえが、首輪で繋がれてるくせに自由気ままに空を飛ばれたんじゃ、俺達はいつまで経ってもホラ吹きのままだ」
「…だったら、殺せばいいだろ」
「だから見せてやろうと思ってな。てめぇが死ぬ気で守ってるモノが壊れていく瞬間を。そこで死ぬまで踊り続けてくれよ…」

ツゥー…と指先が顔の輪郭をなぞる。

「なぁ…王子サマ?」

高杉の隻眼は怪しく光った。



似蔵は、雨月と一戦を交えてからも夜な夜な町に繰り出し、人を斬って回っていた。人の釣った魚を横取りした高杉に不満を零せば、高杉は喉を鳴らして笑った。

「殺さねえとは聞いてたが、まさか抜刀もしねえとは。平和ボケもここまでくると病気だなぁ…」
「あのまま続けていれば、いずれ抜いたよ」
「どうだかな。俺は、抜いては鞘に戻すの繰り返しだったと思うぜ」
「………」
「まぁ、こんな腑抜けとやり合っても腕が鈍るだけだ。コイツとやり合いたきゃ舞台が整ってからにしろ。その頃にはコイツの中の『怪物』も目覚めてるさ」

本当はその娘を助けに来たのではないかと疑いつつ、その言葉を信じて大人しく引き下がった。

「ちょいと失礼…」

今宵もまた、似蔵は町に降り立ち、橋の上で一人の男に声を掛けた。

「桂小太郎殿とお見受けする」

…翌日、その橋の下で遺体が発見される。
駆け付けた奉行所の役人は、遺体を見て「また辻斬りか…」と口にした。



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