Wisteria

□第四話
1ページ/9ページ


ピーッと呼子の音が江戸の町に鳴り響く。弓張提灯を片手に奉行所の役人が列を成し、笛の音を頼りに町中を駆けずり回る。広くもない道を役人のために譲り、再び歩き出した三度笠を被った男は、夜にも関わらずサングラスを掛け、立派な刀を腰に挿し、ニヒルな笑みを浮かべていた。

「嬉しいねぇ…。こうも簡単に魚が釣れるとは」

空き家ばかりが目立つ路地の途中、男の前に現れたのは、まるで月のように白く美しい髪を持った一人の男だった。左腕に巻き付けた赤色の腕章と闇に溶け込む黒を基調とした制服は、その男を飾るにはあまりにも不恰好な装いであった。

「やぁ、また会えたねぇ。"お嬢ちゃん"」
「『人斬り似蔵』…辻斬りは、あなたの仕業でしたか」
「君を誘き寄せるための撒き餌だよ。本当に現れるとは思ってもいなかったが…あの男の言う通り、他人を守ることに必死なんだねぇ」
「警察ですから。市民を守るのは当然です」
「ククク…人殺しが偉そうに。随分と俺を警戒しているねぇ。何を恐れているんだい?」

ザッと似蔵は一歩前へ出る。雨月は、反対に一歩下がった。

「俺はあの日からアンタとやり合いたくてねぇ。どうしたら会えるかをずっと考えてたんだ。そしたら、アンタが役人だって聞いてねぇ。刀の斬れ味を確かめるついでにちょいと人を切って歩けば、いずれ向こうからやって来るだろうって。予想通りさね」
「完全にストーカーじゃないですか」
「ストーカーじゃないよ、『人斬り』だ」
「っ…!」

ガキンッと重い音と共に雨月の体が後方に吹き飛ぶ。雨月の胸の前には鞘の付いた刀が構えられ、斬り込んだ似蔵の攻撃を防いでいた。似蔵が捨てた三度笠が地面に落ちる。

「ほらほら、刀を抜かないと俺は止められないよ」
「くっ、」

薄い紅色を帯びた刃がゆらりゆらりと残像を描く。受け流す度に雨月の鞘には傷跡が刻まれ、似蔵に迫られて雨月は路地を後退していく。

「このっ…!」

刃を滑らせ、雨月は似蔵の懐に入り、その右横腹を蹴った。似蔵はバランスを崩すがそのまま雨月に向けて刀を振り下ろした。

「!」

鉄の奏でる高音を耳にして、似蔵はフッと笑みを零す。

「やっと抜いたねぇ」

地面に仰向けに倒れた雨月の胸の前には鞘から伸びた白い刃が出ていた。力任せに雨月に押し迫る似蔵。力勝負では雨月が不利だった。覆い被さる似蔵を何とかして退かさなければ、と左足を振り上げる。

「っ…、」
「おっと。足癖が悪いねぇ」

足からの攻撃を防ぐため、似蔵は雨月に馬乗りになった。体の自由を奪われた雨月は覚悟を決め、腕の力を抜き、迫る刃を受け入れる。カクンとバランスを崩した似蔵は前のめりになり、刀が雨月の顔の横で地面に刺さる。少し浮いた似蔵の体を傾いた方へ押しやれば、似蔵の股の間から下半身を引き抜く事が出来、その両足で似蔵の腹を思い切り蹴り上げた。
地面の上を前転した似蔵と横転した雨月は、お互い、姿勢を低くして刀を構える。二人の間には、切れた白髪が散らかっていた。

「ひとつ、聞いてもいいですか」
「なんだい?」
「その刀…何ですか」
「ん〜、知りたいかい?」

雨月は胸から血を流していた。あの状況で刀を振ったとしても斬れるのは肩だけだった。それなのに刀は胸に届いた。斜めに裂けた制服の間からは血が流れ、地面を赤く染める。

「張り合いがないねぇ…アンタ、『白魔の王子』って呼ばれてたんだろう?それなのに、そこいらの侍と大差ないよ」
「そりゃ、手加減してますからね。僕と遊んでいればあなたは誰も傷付けることはない。あなたにはもう、僕以外、斬らせない」
「…なるほど。それじゃあ、お言葉に甘えて遊んでもらおうかねぇ…!」

似蔵は雨月に斬り掛かる。鈍い音を立てて刀が弾かれる。わざわざ抜いた刀を鞘に戻したのだと分かり、手加減して遊ぶ雨月に似蔵はキレた。空き家を突き破り、路地裏に吹き飛ぶ雨月。その先に、三度笠を被った女がいた。

「…ッ、??」

雨月は避け切れず、女に激突した。しかし、雨月の体はがっちりと受け止められており、ふわっと甘い匂いが香る。ハッと顔を見上げれば、そこには見覚えのある顔があった。

「なんであなたがここ…にッ、!?」

瞬間、雨月の世界は暗転した。



次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ