成×御

□CRAZY ABOUT YOU
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CRAZY ABOUT YOU



エレベーターが止まって開くと、成歩堂がいた。「やあ」と手をあげ、少しばつが悪そうな顔をして乗り込んでくる。
恋にまた挫折したんだろう? 聞かなくても分かる。頬が腫れているから。
「気の毒な君の犠牲者が、ようやく目を覚ましたと見える」
「おい、まだ失恋したとも何とも言ってないだろ」
「今言ったではないか。正解なのだろう? しかも君は、犠牲者イコール自分の恋人、と自ら結びつけたようだな。私が言う前に」
成歩堂。君は黙っていれば精悍な顔つきなのだ。私の贔屓目も入っているのかもしれないが。スーツといえば青しか知らなかったような奴が、今では立派にピンストライプの淡いグレーのスーツを着崩し、頭にはモスグリーンのボルサリーノなんてかぶっているのだから、年月とは偉大だ。気障な格好をした成歩堂は、黙っていればあるイタリア人俳優の若いころに少しだけ似ていると思う。認めたくはないが、格好いい、と思う。
腹立たしいことに奴は近年それに気づいたらしく、弁護士バッジの威力も手伝って女の子たちをとっかえひっかえして遊んでいるらしい。
だが貴様の外面上だけ取り繕った格好の良さは『黙っている時』限定だからな。ぼろを出して彼女を怒らせてしまった、というわけか。
「別れたのか」
「うん。こっぴどくぶたれたよ。僕の真摯な気持ちは伝わらなかったみたい」
切ないなぁ、と他人事のように付け加えながら彼は私の横顔に視線を注ぐ。私の心を読もうとしているかのように。
エレベーターのドアが閉まる、同時に再び成歩堂と私の二人きりの空間ができあがる。
人目がなくなるといつものように成歩堂は私の肩に腕を回し、するりとその手を腰まで滑らせる。引き寄せられて体が密着した。
私はちょっと顔をしかめる。不快感、というより違和感があるのだ。こうされると、いつも。成歩堂はもともと愛情表現はオープンなたちではあったものの、これでは傍若無人ではないかと思う。私の気持ちも何も配慮せずに。
「君のそういう馴れ馴れしいところが嫌われたのではないか? 手をのけろ」
「つれないなぁ。かつてはもっと馴れ馴れしいことだってしてた仲じゃないか」
「蒸し返すな。今の変わり果てた君なんて大嫌いだ」
「お互い年とったんだから、変わっていくのなんて当然だよ」
突然エレベーターが指示していない階で止まって、ドアが開く。誰もいないが離れたところから声が聞こえた。人の気配に、成歩堂に腰を抱かれている私は狼狽する。閉めるボタンをに手を伸ばしかけた私を邪魔するかのように、成歩堂が不意打ちのキスをかましてくる。
すぐさま手で彼の顔を張ろうとした。
が、すでに彼は顔を離していた。
「馬鹿、人に見られる」
小声で叱咤すると、成歩堂はにやりと笑って言う。
「大丈夫。こうすれば」
成歩堂は中折れ帽を顔の横にかかげる。不審に感じた瞬間、ふたたび彼の顔が目前に迫った。外から隠すようにして、もう一度キス。今度は深い。
首を振って逃れようとしたが、後頭部をしっかり押さえられて叶わなかった。本気で突き飛ばそうと思えば逃れることもできた。しかし私は抗うのをやめた。
好きにすればいい、と思った。今日は唇にルージュがついていないようだからな。
そう考えた自分に、胸の奥が針でつつかれたようにちくりと痛んだ。
くちゅりという舌の絡み合う音が、無音のエレベーター内で際立った。気づかないうちにドアは閉まって動き出していた。
一階に着いて密室の空間は解かれ、私たちは外に吐き出された。成歩堂はあっさりと私を解放する。即座に二歩分の距離を取った私を見て、成歩堂が片眉を上げて声無く笑った。
「慰め、どうもありがとう」
「……帰れ」
睨む。どっと疲れが押し寄せてきた気がした。もうこれ以上一緒にいたくなかった。早く帰って欲しかった。私の心の平安のために。
私が帰宅中で、このエレベーターが私のマンションのものであることは幸運といえよう。
今日はこれでもう別れられる。私の日常に平安が、戻ってくる。
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