成×御

□夢が終わる夢-春
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夢が終わる夢

PUCK:Shall we their fond pageant see? Lord, what fools these mortals be!
(この馬鹿げた見世物を見物しましょうか? ご主人様、人間って何て愚かなんでしょう。)
――シェイクスピア『夏の夜の夢』


とっくに気づいていた。お互いに。
でも言えるわけなんてなかった。
もはや、絶対に口に出さないことが、ぼくらの間の暗黙の了解になっていた。
お互いリスクは十分すぎるくらい承知していたから。
こうしてすべては手遅れになり、悲劇は幕を開けた。
でもぼくらに何が出来たというのだろう。
もしぼくらのうちどちらかが、仮に禁を破って告げてしまったとしても、
きっと告げられた方は、その言葉を冗談として笑い飛ばしてしまったろう。
あの、御剣が結婚した日のように。

***
御剣のオフホワイトのタキシード姿は目が醒めるように美しかった。もとから顔立ちの整った奴だったが、こんなに美しいとは思わなかった。多分御剣が笑顔だったからだ。花がほころぶような微笑み、柄にも無く。薄倖で苦労人だった彼は幸せによってこんなにも美しくなるのだ、と成歩堂は胸が引き裂かれるほど彼が愛しかった。
腕を組んで寄り添うのは聡明そうな、美しい女性。御剣の事務官を務めていたのだと言う。
誰もがお似合いだと褒めそやしていた。容姿端麗な新郎新婦は絵になった。加えて二人とも社会的地位、収入ともに申し分なく気品も漂う。
友人代表として祝辞を述べた成歩堂は、ここ二次会では肩の荷が降りてシャンパンのグラスをあおる。こんなにシャンパンを苦く感じるのは生まれて初めてだった。この味を生涯忘れることはないだろうと成歩堂は思う。
結婚式の会場に選ばれたのは高原のコテージ。初夏の爽やかな風が木々のみずみずしい香りを運んで吹いてくる。成歩堂は風を感じたくて、室内の賑わいを離れてテラスに出た。
「成歩堂」
誰か追ってくる。振り向かなくても声の主は分かった。
本日の主役、そして成歩堂の世界の主役でもある、御剣だ。ロングタキシードの裾捌きも華麗な、あの、御剣怜侍。
振り向いてまず目に入るのが、御剣の白い左手の薬指にはめられた指輪。シンプルで御剣の好きそうな品のよい指輪は、成歩堂の心を鉄の枷のように締め付けた。
「あぁ、御剣。いろいろな人につかまって大変そうだね」
御剣はすぐそばに立つ。透き通って頬に影を落とす銀の睫毛、祝いの酒に染まった目元から匂い立つような色香を感じて、成歩堂は振り向かなければよかった、と無意味な後悔をする。
「そうでもない。それより成歩堂、先ほどはとても良い祝辞だった。ありがとう」
こんなに素直に礼を述べる奴だったか。木漏れ日を受けてどこまでも眩しい御剣のタキシードの白に、成歩堂は目を細めた。
「そうでもないよ。緊張して死ぬかと思った」
「きみは緊張には慣れているのではないか? いつも土壇場から逆転する男だからな、きみは」
「最近はそうでもないよ。ぼくだって三年も経てば若手実力派弁護士だからね」
「そのようだな。絶え間なく進歩しているようで何よりだ」
自慢してみせると、御剣はいつものように嫌味を言ったりせずさらりと褒めてくる。成歩堂は再び胸が締め付けられるのを感じた。ああ、ここまで彼を素直にさせている存在は。
今まで見たどの花嫁よりブーケの似合っていた可憐な花嫁の笑い声が風に運ばれてきた。
ああ、彼女じゃなくて、ぼくだったらよかったのに。
「御剣」
肩に腕を回す。顔を寄せた。親密な友人のように見えるように。
「今、幸せ?」
「あぁ、幸せだな、とても」
「そうか。よかった」
御剣が微笑んだ。嘲笑や苦笑でなく、心から幸せで笑うときには目が細められるのだな、と間近で見て発見する。いつもはそんな顔をしないのに。
「ねぇ御剣、お前はぼくの世界の中心なんだよ。だからお前が幸せならぼくも幸せになれるとずっと思ってたんだ」
「いきなり何だ。中心とは大袈裟だな」
成歩堂は理性がきかなくなるのを感じた。酒が入っていることと、もうどうあがいたって現実は変わらないという諦めが彼を勢いづかせた。
「でも違った。今日気づいたんだ。御剣はこんなに幸せそうなのに、今日はぼくの人生で一番不幸な日になりそうだよ」
間近で端正な顔に語りかける。長い間畏怖しつづけた禁を破ろうとしている高揚感で、成歩堂は血流が早くなるのを感じる。
「ねぇ御剣、今日ぼくがどんなに傷ついたか分かる?」
「どういうことだ」
「ぼくがお前を愛してるってこと」
不文律の禁則は、破ってしまえばあっけないものだった。
酔っているのか? と首を傾げる目の前の愛しい男。成歩堂は彼の反応を鼻で笑う。ぼくは今日だけはどんなに飲んでも酔えそうにない。酔っているのはむしろお前だろう、と成歩堂は思う。そんなに頬を薄赤く染めて。お前こそ酔った振りで誤魔化そうとしているのだ。
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