成×御

□夢が終わる夢-夏
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世界の亀裂は、万物が鮮やかに色づく夏に大きく口を開けていった。
ぎらぎらとした陽光は一人の男を蝕み、一人の男を笑わせ、一人の女を狂わせた。

新しい刑事の働きは期待以上で、彼が職場での功績を上げるのに効果的な貢献となった。
御剣が下された処分は「先送り」。決して取り消しではない。彼はいついかなる処分が執行されるのかも分からない状態のまま宙ぶらな状態だった。その事態は御剣のワーカホリックに拍車をかけることとなった。御剣の裕福な生活は、父親の遺産もあったが主として彼自身の高収入で成り立っていたため、もし処分が検事資格剝脱処分に決定したら間違っても撤回させなければならなかった。そのためには以前にもまして功績を残して認めてもらうほかない、と御剣は考えていた。
処分のことを考えるといつも心が曇った。そしてそのつど成歩堂を思い出す。彼はこんな思いをしたのか、そう考えると憐憫で胸が痛くなる。資格剝脱など悪夢以外の何物でもない。身に覚えのないことで職場の、いや世間の人間みなから非難され、誇りを持っていた仕事を奪われる気持ち。
彼とは時折電話で話したり会ったりしていた。親しい友人として。彼の前では口が裂けても資格剝脱処分が恐ろしいなどとは言えない。でも彼は察しているようで、話すといつも御剣を労わる。また、自身の抱える問題の進展状況については些細なことであっても報告してくる、御剣が喜ぶと知っていて。成歩堂の弁護士資格剝脱事件を成歩堂自身の手で解決できるように采配を振ったのは御剣であり、その御剣に捜査状況を報告するのは彼の当然の義務ではあるのだが、御剣は少しでも捜査が進展すると我が事のように喜んだ。
今の御剣は処分を避けるために功績を上げようとして過労寸前なくらい働いている。それでも彼は功績よりも真実の究明を重んじようとする理性はあって、それも成歩堂がくれたものだ、と御剣は折にふれて思う。
御剣は最近では毎日日付が変わる頃まで検事局に残って働いている。そのまま泊まってしまうことも増えた。
「少し休養を取られたらいかがですか」
きみはもう帰っていい、と事務官に言うと、いつもこう言ってくる。御剣の今の事務官は中年の穏やかな男だった。告発事件後の御剣は彼と担当の刑事だけが味方といってもいい状況の職場にいる。
「私ばかりいつも先に帰っているのが心苦しいんですよ。他の検事さんたちからは鬼検事が閻魔検事になった、などと言われているそうじゃないですか。そんなに隈をつくって、全く」
文句を言うような語調で労わってくる彼の言葉が慈雨のようだった。
ふ、と御剣は笑む。
「知らぬ間に閻魔まで昇格したのか。あなたは気にしてくれるな。私はむしろこうして働いているほうが楽かもしれないのだ」
その言葉は事実だった。糸鋸の裏切りと失踪は御剣の心に浅からぬ傷を残している。仕事に没頭しているほうが何も考えなくて楽だった。
「たまにはご家族と食事でもされたらいいと思いますよ。お子さんおいくつでしたっけ」
「信侍か。今年五歳になる。これでも休日は何時間か一緒に過ごす時間を作ってはいるのだが」
……家族はかまっといたほうがいいですよ、気がついたら奥さんに浮気されちゃってたりして。あ、でも検事は色男だからそんな心配も無さそうですね。羨ましい限り。
では、お先に。
いろいろ喋っていた事務官が執務室を出ていく。彼は御剣の事情を良く分かっていたからそれ以上しつこく言うようなことはなかった。
御剣は仕事の手を休めついでに目を閉じ、瞼を揉み解した。疲れが溜まっていた目からじんわりとした感覚が広がっていく。
瞼の裏に妻の冬花と息子の信侍を思い浮かべる。そういえば最近あまり喋っていないな、と思う。家族に処分が先送りになっている件を話してはいなかった。五歳の息子は妻たっての希望で私立の付属幼稚園に通っている。学費は今もこの先も安くはない。妻は夢だったという専業主婦をしている。彼らの生活の安寧を維持するためにも自分はこの職にいなければならないのだ、と独身時代には感じなかった重圧も肩にのしかかっていた。
御剣は子煩悩だった。よき父親になることは彼の悲願だった。自分が父親を慕い彼と同じ職業を目指したようにほどは自分のことを尊敬してくれなくていい、ただ当たり前のようにいつも一緒にいてやり、息子が立派な男に育つまでは平凡な父親らしい愛情を注いでやろうと努めていた。父を失った自分が得られなかった分まで。
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