成×御

□夢が終わる夢-秋
1ページ/10ページ

秋。世界は木枯らしのように御剣に冷たかった。
葉が一枚、また一枚と舞い散るたび、御剣が胸に抱きかかえていた幸福はひとかけら、ひとかけら、確実に失われていく。

寝不足で字が乱れる。御剣はつけていた家計簿を閉じてこめかみを押さえた。
御剣の処分が決定し、検事の職を追われてから二月がたとうとしていた。
検察局の思惑か、御剣はそのまま検察事務官として仕事を続けることを許されている。妙な処置だった。
御剣が事務官になってから収入は減り、家計は目に見えて悪化していた。主な出費は、妻に払う多額の治療費と、息子の学費だ。息子は私立の付属幼稚園に通っている。もう友達もたくさんできたらしい、できればそのまま小学校に上がらせてやりたい。
もう治る見込みがない、と言われる妻の入院費用が一番痛い。駆け落ちしたまま消息を絶った彼女が、精神病院のホスピスに入院していることを知らされた。
御剣は今まで支払っていた彼女の実家に代わり、治療費を毎月負担することを申し出た。何があったにせよ、夫たる自分の義務だと考えている。
御剣は住んでいた所を引き払い、格安のマンションを借りた。今の家は子供の学校に近い。何よりも、前の家につきまとう悪い記憶も思い出さずに済む。妻のことや、糸鋸のこと。
こんなに狭いところに住むのは御剣ははじめてだった。貯金のことも考え、車も手放した。以前の暮らしに比べ、快適とは到底言い難い。
それでも、御剣は今の生活にささやかな幸せを感じていた。
一つには、まず息子の存在があるから。
信侍と過ごしている時間はしみじみと幸福を感じた。ちょうどわんぱくな盛りだが、基本的には聡明で聞き分けがいい。息子のためと思えば慣れない節約をすることも苦しくなかった。
もう一つの幸福は、…成歩堂。
成歩堂とは頻繁に会っている。夏以前まではあれほど友人然とした関係だったのに。
一度気持ちを確かめ合ってしまうと、後は坂を転がり落ちるようだった。
今や御剣の日々の喜びは成歩堂だった。
携帯なんてほとんど仕事目的でしか使っていなかった。それが、今では毎日、いや毎時間、成歩堂のメールを心待ちにしている自分がいる。
成歩堂はよく電話をかけてきた。だいたい二日に一回くらいの頻度だろうか。要件は今日は何をした、何を見た、という些細なことから、会う約束の取り付け、ひいては濃厚な愛の語らいまで。三日空いたときは、いてもたってもいられなくなり自分から電話をかけてしまった。
日々、成歩堂に依存していく自分を感じる。
夜に出かける回数が増えるにつれ、寝かしつけた息子に気づかれないように出かけるには限界が訪れた。今では仕事なのだ、とあらかじめ説明して出かけている。
それでも息子の世話だけは決しておろそかにはしていない。御剣は、彼に母無し子のつらさを味わわせたくなくてできる限りのことをしていた。
平日の夜に成歩堂と会うときは、仕事から直接向かうようなことはせず、必ず家に帰って息子と食事をしたり、何かしら話をするようにする。時間があれば遊びにつきあってやる。
夜成歩堂のもとに出かけるときも、何かあったら電話をしなさい、すぐ戻るから、と言い渡してある。実際、怖い夢を見た、などの理由で信侍に呼び出され、会って間もないうちに家に帰らざるを得ないことも何度かあった。
そういう努力だけでは、まだ小学校にも上がらない子を一晩中一人で家に置いておくことへの罪悪感は解消されなかったが。それでも成歩堂と会うのをやめることなどできなかった。
彼と会うことは、御剣にとって精神安定剤のような働きをしたから。
――『愛してる、御剣。きみの苦しみを癒せるのはぼくだけだ』
彼は、いつだったかそう言った。その通りだと御剣は思う。
信頼していた部下に裏切られた傷心も、妻に浮気の末駆け落ちされた怒りと苦しみも、以前の同僚たちの下で働く屈辱も、苦しい家計のやりくりも。不思議なことに、それらはみな成歩堂に会うと、春の雪のようにとけていく感覚がした。
御剣は孤独を感じている。信じる者に相次いで裏切られて知る、孤独。
御剣は、人を、世界を信じるのをやめた。
それでも、七年も前から変わらぬ愛を囁いてくる成歩堂だけは別だと思う。
彼の傍、彼の腕の中だけが、御剣の心を温める場所となっていた。
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ