成×御

□夢が終わる夢-冬
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PUCK. If we shadows have offended,
Think but this, and all is mended,
That you have but slumb'red here
While these visions did appear.
(パック:もし私たち影法師の芝居がお気に召さないようでしたら、こう考えてください、そうすればお気に障ることもないでしょう――うっかり眠ってしまい、今まで見たのは全部夢だったのだ、と。)シェイクスピア『夏の夜の夢』より

冬。
白い白い雪が降ったら、夢の終わり。


***
御剣は息子と手をつないで、冷え込みのきつい夕方の道を歩く。
大通りだ。歩道を歩く人の数よりもはるかに車の行き交う数のほうか多い。
点々と並ぶ街路樹はほど葉を落としてしまい、車の騒音を包み込みはしない。未だ散りそびれている葉が時たまひら、ひら、と舞って、黒いアスファルトに吸い寄せられていく。
御剣の手は冷たい。手のひらに握られた息子の小さい手はかじかんでいて、御剣は自分の熱を伝えてやれないのをすまなく思う。
「お父様」
リボンの着いた制帽のつばの下から見上げてくる目はくりくりと大きい。
「今日は、いっしょにお夕飯食べられるのですか?」
「うむ。その後でもう一度仕事に戻らねばならないのだが、な」
「そうなのですか……」
信侍はうつむいて口元までマフラーに埋める。御剣が買い与えたチェックのカシミヤのマフラーだ。同じくチェックの半ズボンの格調高い制服とよく似合っていた。
御剣の首元にもボルドー色のマフラーがちくちくしている。ひどく安物である。これは、御剣の誕生日に信侍が小遣いで買ってきたものだった。息子には高品質な衣料品を知っていて欲しかったから、彼が安物の店に出入りするのは好ましくなかった。が、なんにせよ子供から物をプレゼントされるというのは嬉しいものだ。
気落ちしたらしい息子の気持ちをそらすため、御剣は話題を変える。
「今日はお前が好きなポトフだぞ」
「本当ですか!?」
信侍は即座に顔を上げてぴょんと飛び跳ねる。つないだ手が揺れた。
「しめしめ」
信侍はそう言って、ふふふ、と幸せそうに笑う。しめしめ、というのは信侍が最近気に入っているらしい言葉だ。妙に子供らしくない上に大人でも使わないが、物語を読んで見つけた言葉だという。
御剣は微笑する。
「本当だとも。今日は寒いからちょうど良いだろう。ただし、にんじん入りだ」
「えー」
「当然だろう。ポトフににんじんは定番だ。好き嫌いはよくない」
とたんに信侍は仏頂面になる。
「だが安心しなさい。小指の先くらいの大きさに刻んでおいたから」
少し考えこむ素振りを見せた信侍が、一つうなずく。
「それならいいです! じゃがいもといっしょに口に入れますから」
「そうしたまえ」
御剣は再び微笑する。その口元、頬からはだいぶ肉が削げ落ちていた。細められた目元には痛々しいほどの隈。
「そうします! そうだ、そういえば、今日幼稚園で……」
信侍は嬉々として今日一日分の土産話をし始める。御剣は一つ一つうなずき、丁寧に返事をする。
息子と話している時間はかけがえがないものだ。
幼稚園に迎えに行った家までの帰り道、御剣はこの時間が永遠になればいいと思う。
仕事が忙しい御剣は、いつもは息子には一人で帰宅させ、夕方仕事を中断して家に帰って食事を共にし、身の回りの世話を焼き、再び仕事に戻るといった生活をしている。他の家庭はたいてい母親が迎えに行く。幼稚園から家までは近いものの、その姿を見ながら一人きりで歩いて帰る信侍のことを考えると、胸がしめつけられるように痛む。
だから仕事が早めの時間にきりがついた日は、信侍を園で待たせ、こうして他の親たちのように園まで迎えにいくのだ。

御剣はだいぶ料理が上手くなった。もともとが不器用なたちだったが、妻がいなくなってから半年、必要に駆られてやっているうちに定番料理はほとんど覚えた。家に着き、ガラガラと音を立ててうがいをしている息子に声をかける。
「セーターを替えておいたから、早く着替えてきなさい」
「はぁい!」
元気のよい返事が洗面所から聞こえてくる。
御剣自身は出かける予定があるため、着替えずにクラバットだけ外してキッチンに立つ。準備をしておいた圧力鍋に火をつけた。
ちらりと腕時計に目を落とす。五時半。早めの夕食になりそうだが、仕方がない。
成歩堂に指定された時間まではまだ十分時間はある。
――成歩堂。
御剣は心を馳せる。
かつて御剣を救い、御剣を愛し、御剣が拒絶し、今は御剣を憎んでいる、…のかもしれない男。糸鋸を焚き付けて裏切らせ、妻と何らかの形で関わり――おそらくは浮気相手そのものであり――彼女に残酷な仕打ちをした、…のかもしれない、男。
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