きみのこえ

□day 1
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君の声は特別だから
誰もがその声の虜になる



     きみのこえ
−day 1−



「ボクの声を聞いて。ボクの声で、感じて」

その声が艶っぽく輝く。
もう頭の中は彼の声でいっぱい。
その時々で色を変える瞳は、この甘い台詞に合わせて優しく冷たいブルーグレイ。
細くて華奢な髪が緩やかに顔にかかる。
女子顔負けの長い睫毛は接近しても美しい、本物の睫毛。
細身でありながら筋肉質なその上半身が半分露わになるだけで目が釘付けになる。
勝気な唇が不敵に歪むと、蕩ける言葉を紡ぎ出す。

「最高の感度で、一緒にイこう」

足を止めてその表情を見つめる。
一体どれだけの人が、この人に恋をしているだろう。

「未来が聴こえる、ミュージックレイン」

ナレーションと同時に三色のMP3プレイヤーが姿を現し、CMは終わってしまう。
終わると同時に人の視線が駅前の大画面から離れる。
私もそのあとに続く水商売のお姉さんたちのCMを見ることはない。
駅へと踵を返すと、女子高生らしい女の子二人が声を甲高く張っていた。

「あれ超欲しい!」
「ヤマトかっこよすぎっしょ!」

そう、ヤマトはかっこいい。
今や日本中の誰もが知っていると言って過言ではない。
覚えやすい日本名と圧倒的なCM露出量。
いくらセクシャルな台詞を言っても、それが陰湿ないやらしさには感じられない。
いわば西洋人がスクリーンの中でキスをするようなものなのだろうと思う。
過激なキャッチコピーを口に出来る上、クレームの少ないという最早異質でさえあるその素体は、ここ数年で一躍電波に乗らない日を失くした。

「この間さぁ、先行めっちゃかけたけど結局チケ取れなかったんだよね」
「オクでみたよ。10万とかなってたもん。転売するくらいなら買うなって話しだよね。こっち回せっつの」

当然知名度はウナギ登り。
本職の歌手としての人気も爆発的で留まるところを知らない。
男にしておくにはもったいないほどの美しさ、そして華麗な旋律を奏でることのできる才能と、それの才能を増幅させる持って生まれた声質。
天は二物も三物も、限られた人には与えているらしい。

「あーもう、マジヤマト欲しい!」
「プレイヤーじゃなくてヤマトかよ」

二人は笑いながら歩いて行ったけれど、同じ思いをしている女性は日本全国に大勢いる。
とある女性向け雑誌で10年近く不動だった、抱かれたい男をあっさりと一蹴したのは記憶に新しい。
表紙と巻頭ページをジャックし、よだれの出るようなその色気を余すところなく披露した結果、店頭から雑誌が消え、これもまたネットオークションで異常な金額高騰を見せた。
雑誌社はこの事態にWEB上でお詫びを掲載し、後日同内容のページを収録するとして別の号で再び掲載されたこともあった。
ヤマトは美しい上に気高い。
そしてその生活は謎に包まれている。
今時少ない、ミステリアスな美青年。
トークを含む番組にはほとんど出演せず、また出演したとしても私生活を口にすることはない。
しかしヤマトはただの歌手ではない。
自分の個性を押し出し、確立したその人を追いかける従来のヴィジュアル歌手を脱却し、ヤマトはいくらでも髪型を変え、服装を変え、その時その時誰の好みにも合うような王子様に変身する。
そんな七変化ぶり、もとい百変化ぶりでもって、ヤマトはアイドルに分類されている。
ともすれば没個性にさえなり得るスタイルの変更も、ヤマトがすれば一歩抜きに出る。
ヤマトがスタイルを変えれば、ファンはそれを追う。
そして新規ファンも開拓されていく。
ヤマトが動けば、市場が動く。
いつの間にかそんな人になっていた。



「みいくん、おかえりなさい!」

部屋の戸を開けると、無邪気な笑顔で彼にそう言われた。
私はなんとなく気圧されて、脱力しながら靴を脱ぐ。

「ただい、ま」

のそっと部屋に上がると、テレビがついている。
どうやらのんびりくつろいでいたらしい。

「早かったのね」
「うん。今日はねぇ、写真撮影だけだったから」

にっこり微笑まれて、少しだけ憂鬱になる。
たったそれだけで、今日一日の仕事。
そう思うとなんだか自分が情けない。
私は高校を卒業して以来、就職浪人だ。
必死に仕事を探しても、どうしても新しい人生が開かない。
仕事を選んでいるのだろうと言われればそれまでだけれど、せめて自分にできるかどうかくらいは選びたい。
何でも良いけれど、本当に何でもは良くない。
体力勝負の仕事は向いていないし、高技術の仕事は資格を持たない私では門前払い。
結局残るのは事務だの接客になるけれど、そう言った仕事は私と同じ程度の人が多く集まりやすい。
同じレベル、同じ条件なら、何か神様に恵まれた才能を貰った人の方が採用されるのだろう。
心の中が重く、暗い。
けれどそれと目の前のこの人は関係がない。
この人は一生懸命仕事をしてきたんだ。

「そう」

できるだけ笑って、私はカバンを適当に下した。
彼はそれを拾って、いそいそとソファの上に置き直す。
犬が新聞咥えて持ってくる芸に似ている、と思ったのは内緒にしておこう。
小さくありがとうと言うと、満面の笑顔で答えてくれる。
それで私はやっと心のへこみがなくなった気がした。

「今日も駅前で見たよ」
「ミュージックレイン? なんかあれ、ヤラシイよね。ああいうの、どうかと思うな」

ぶうと頬を膨らませて彼は言う。

「俺が台詞言ってる時にはあんな風じゃなかったんだけどねぇ」

今の彼の瞳はブルーグレイじゃない。
カラーコンタクトは目が痛くなるから苦手だとぐずぐず泣いていたもの。
ただプロ根性でつけているだけ。
今の彼は美しいメイクもしていない。
そんなことをしなくても、男前なのだもの。
ただそうしないと世の女性はああも熱をあげてはくれないらしい。
仕事だからと情けなく笑っていた。
そう、ヤマトなんて男は世の中に存在しない。
あれは作り上げられた架空の存在。
必死にヤマトになりきって仕事をしている、朝倉大和という人の努力の結晶。
私はそれも知っているから、だから彼が自分とは別世界な仕事をしていても、ひねくれたりはしない。
しないように、しているつもり。
大和は私が何も言わないので、不思議そうな顔になる。
慌てて私は頭を掻いて、話を続ける。

「そんな風には聞こえなかったけど」
「あのね、最高の音声感度で一緒に音質の未来を見に行こうって言ってたんだよ、アレ」
「え」
「なんか最近は映像のつぎはぎがスゴイよね」

呑気に大和は言っているけれど、そんなことってありなのかと疑ってしまう。
大和の言った台詞も十分かっこいいけれど、もしかして初めから編集するつもりで言わせたのだろうか。

「頑張って台詞覚えてたんだけどな」

しゅんとしている大和には申し訳ないけれど、やはり編集後の方がインパクトが強い。
何より、ヤマトのイメージに合っている気もする。
私がまたぼやぼや考えている間に、大和は少しだけ複雑な顔をしてから呟く。

「まあ、キタさんは満足そうだったから、良いけど」
「だろうね。私、電器屋さんで見たけど、ミュージックレイン全色売り切れてたもん」

キタさんというのは、大和のマネージャーさん。
年もフルネームも知らない。
おおよそ40代くらいで、篠北さんという男性だ。
随分昔から何かの漫画のキャラクターの名前を使ってそう呼ばれているらしく、本人も気に入っているからそう呼んでくれと初めの挨拶で言われた。
いつも洗濯おろしたてのようなスーツを着て、前髪を後ろに流している。
紳士的な振る舞いと仕事の鬼が両立するその人あってこそ、ヤマトは成立している。
もともとヤマトの所属する事務所はそう大きな会社ではない。
ヤマトは看板にして唯一無二の絶対的大スター。
事務所を大きくするためには必要不可欠なのだ。

「折角CMするのに売り切れちゃうくらいしか作らないっていうのも、どうかと思う」
「どうかと思うことばっかりね」

私が苦く笑って言うと、大和は先程までの不満などけろっとしてお腹を押さえた。

「ねえ、お腹すいた」

そんなことは知っている。
そのためにここにいるのだろうから。

「ハンバーグ作る約束、忘れてないよ」
「やった!」

大和は大喜びして慣れた手付きで人の台所を漁る。
そう、大和はほとんど自分の部屋で生活をしていない。
24時間どころか48時間仕事をすることもある大和には、自炊するような時間はない。
そんなことをしている暇があれば、寝ている方が良い。
キタさんに会った時、家賃を半分持つ代わりに、大和の世話をしてほしいと言われた。
言うなればハウスキーパーなのだけれど、ヤマトの部屋に私が入ることはほとんどない。
この場合はハウスキーパーではなくて、本当に世話係という言葉がしっくり来る気がする。
あの時大和の友だちと言えば本当に私しかいなかったし、なおかつ大和とヤマトが同一人物でありながら、それと知られてはいけないだなんて複雑な状況を飲み込めるのも、やっぱり私しかいなかった。
大和は友だちだし、家賃の条件はとても魅力的だった。
就職浪人にとって金銭問題は一番重要なことで、その他のことなんか全部丸投げにしても良いくらいだ。
こんなにも甘い条件で良い部屋に住ませて貰っている私はせめてもの恩返しにと、腕をまくって気合いを入れる。

「ようし、でっかいの作るか!」
「さすがみいくん! 期待してるよ!」

無邪気に笑う大和と一緒に、たまにこうしてハンバーグを作る。
あの大画面を見ながら甘い溜息を漏らしていた女の子の中に一人でも、こういう大和を好きになってくれる人がいてくれたら良いなと思いながら、私はスーパーで買ってきた安売りのミンチをボウルにひっくり返した。




 

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