きみのこえ

□day 2
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     きみのこえ
―day2―





前日から大和は仕事に出かけていた。
全国ツアーの開催地を決めるため、あちこちで営業があるらしい。
本人は特に喋らないそうなのだけれど、やはり本人が来るか来ないかで開催先の態度が変わるというのだから、やっぱりビジネスとは算盤弾くだけなんて単純明快ではないのかもしれない。

「やあ、美弥子ちゃん」

夕飯を作っている途中で鳴りだした携帯を取ると、相変わらず優しいキタさんの声がした。

「今大丈夫かな」
「はい、どうぞ」

まな板に放置している野菜は、電話の間くらい腐らずにいてくれるだろう。

「いやね、ヤマトくん今日帰るから。夕飯作っておいてほしいな」
「え。だって明後日まで帰らないって」
「うん。ちょっと事情が。あ、ごめん。トンネル入るから電波」

ザザザと音が擦れて、通話終了の無機質な音が鳴る。
今まで大和は仕事が長引いても、早く引くことはなかった。
ちょっと事情、というのもキタさんらしくない言い方だったし、なんだか気にはなる。
けれど今一番気にするべきは、足りない食材をどう補うかだ。



「やあ、こんばんは。ごめんね」

キタさんは笑いながら右手を挙げて、ぐったりしている大和を担いでいる。

「どうしたんですか」
「先方に勧められてお酒飲んじゃって。使い物にならなくなっちゃった」
「まさか」
「ああ、大丈夫。彼もプロだから、相手さんの前ではきっちり仕事してくれたよ」

そういうけれど、今の大和の状態を見る限り、きっちりなんて言葉はふさわしくない。
完全に酔い潰れている、というよりもはやこれは気を失っているのではないだろうか。
私は慌てて大和の靴を脱がせ、ソファに誘導する。
大和は故意に私の部屋に泊まるようなことはないけれど、時折熟睡してしまうこともあり、不可抗力の場合はいつもこうしている。

「ああ、重かった。体重聞くとびっくりするくらい痩せてるのに、やっぱり男は男だね」

大和をおろしたキタさんはそう言って笑う。
私はそれにどう答えて良いのかわからなくて、ただ曖昧な笑顔を浮かべる。

「美弥子ちゃん、良かったらお水が欲しいな」
「あ、すみません。すぐ」

ばたばたと冷蔵庫を開けて、大和用の麦茶を出す。
どうやら前から実家で飲んでいた麦茶が落ち着くらしくて、毎日水出ししてストックしている。
キタさんはテーブルに座り、それを飲み、大袈裟に肩を揉んでは首を回した。

「はあ、生き返った。ありがとうね、美弥子ちゃん」
「いいえ」
「本当は明日も営業あるんだけど、まあ、この分じゃちょっとね」
「大和、お酒飲めませんから」
「アルコールのCMもやってたのにね」

あははと笑うけれど、それはキタさんがとってきた仕事なのではと閉口する。

「そういえば、美弥子ちゃんは仕事どうなったの」
「まだまだです。どこも厳しいみたいで」
「ふうん。やっぱり就職難だね。氷河期だ」

就職氷河期という言葉は随分前の言葉のように思えて、今も使われているのかはわからない。
それでも失業率の高さや、求人率の低さを考えればその言葉が一番しっくりくるのかもしれない。

「いろいろ探しているんですけど」
「うちに来ればいいのに」

キタさんはあっさりと言って、麦茶を飲みほした。

「いや、それは」
「ヤマトくんのこと一番知ってるのは美弥子ちゃんだし、ヤマトくんもそれを喜ぶよ」
「それじゃ私は」

ヤマトのおまけでしかないような気がする。
そう言いかけて止めた。
ような、なんかじゃない。
その通りだ。
ただのオマケ。
私はそんなこと、望んではいない。

「ごめん。嫌なこと言っちゃったかな。でも僕は本当に美弥子ちゃんのことを高く評価してるつもりなんだよ。ヤマトくんのこと見てても思うもの」

キタさんはバツが悪そうに、それでもやっぱり笑いながら、そう言って姿勢を正した。

「初めて会った時には、随分失礼なことも言ってしまったけれど、今はちっともそんなこと思ってないし」
「失礼なことなんて」
「そういう前向きなところが美弥子ちゃんの良いところだよ。僕はそういうところが好き」

にっこり微笑まれて、ドキリとしてしまう。
キタさんはすらりとしたサラリーマンだけれど、どこか俳優のように芝居がかったところがある。
それはこういう業界にいるから故の作戦なのか、天然なのかはわからない。

「ヤマトくんのこと、たくさんお世話してもらって助かってる。栄養不良で具合悪くすることもなくなったし、睡眠不足で倒れることもなくなったし。それにやっと高卒試験も期待できそうだし」

キタさんはテーブルに置かれたままの教科書をめくる。
普段一人で勉強することのできない大和は、うちで小さな宿題を片付けている。
私が教えられることなんて少ないけれど、一人よりは二人で考えた方が答えの見つかる確率は高い。
何より諦めることがない。
ヤマトは私が隣に引っ越してくるよりも前に、何度か高卒認定試験を受験しようと勉強をしていたけれど、毎日の忙しさに圧倒されて結局一度も試験自体受けてはいない。

「少しね、後悔があってさ」

キタさんが珍しく、口調を低く重くする。
向かいに座った私はキタさんの口元を凝視する。

「ヤマトくんならあと1年待っても十分育ってたなって」

朝倉大和は私と同じ高校にいたけれど、二年生の時に中退することになった。
理由は学校には知らせていないが、芸能活動に専念するためだったという。
元から大和は目立つ存在ではなかった。
当時は髪も雑に伸ばし放題だったし、当然色だって黒かった。
近視と乱視を併発させた視力は分厚い眼鏡を必然として、更に甘えたがりの大和は男子の中ではなんとなく浮いている存在だったようだ。
そんな大和がある日いなくなったところで、誰がどうということもない。
そういえばよく芸能人の過去の写真や卒業アルバムが出回るけれども、ヤマトに限ってそれはない。
おそらくは誰も知らないし、まさか同一人物だと思うこともないのだろう。

「あの時は必死だった。一日も早く世に出して、一人でも多くヤマトという名前を覚えてほしかった」

キタさんは何かを思い出すように、テーブルの上に組んだ自分の両の手を見つめている。

「僕のエゴのせいで、ヤマトくんは大事な学校を辞めることになったんだもんね」

小さく微かな声だったけれど、私はそれを否定しなければと食いついた。

「大和は」
「わかってる。ヤマトくんも良く言ってくれる。自分自身の意思だって。でも、結局美弥子ちゃんがお隣に来てくれるまでは、ボロ雑巾のように擦り切れて毎日命繋ぐだけで精一杯だったでしょ」

それは否定できない。
久々に再会した大和はすっかり見る影もなかった。
それでも仕事を続けて行けたのは、一重に周りのスタッフの力が優れていたからなのだろう。
それを証拠に、当時のヤマトはほとんど表情がない。
人形のように美しいと評すれば、その通りだけれど、今のように生の躍動は感じられない。
華麗な化粧を施され、固まっているだけがその当時ヤマトのできる精一杯の仕事だったのだろうと私は想像する。
高校を卒業した後、私は仕事を探しながら毎日を食いつぶしているだけだった。
大和から久しぶりに会って話したいと言われた時は、毎日のように返ってくる履歴書にうんざりしていたところだったから、自分の気分転換になると思った。
けれど大和に会ってぞっとした。
柔らかそうな頬など、どこにもなかった。
顔色は悪く、肌もなんとなく黒ずんでいた気がする。
どんよりとしたその雰囲気に嫌な予感を感じて、その日はなんだかんだと理由をつけて家まで送った。
案の定というか予想通り、大和は家に帰りつくなり倒れてしまった。
ベッドに大和を運び、風呂を掃除して湯を沸かし、料理を作って、起きた時に一つでもリラックスできることをしてあげようと準備した。
そこに現れたのが、キタさんだった。
第一声が「どちらさま」だった。
それはこちらの台詞と思ったけれど、言い返せずに黙っていると、大きな溜息を吐かれた。

「情けない。まさかこんなことに気付かなかっただなんて」

キタさんはひどく嫌そうな顔をして、右手で顔を覆った。
何だか勘違いされているのがわかったので、私はできるだけ丁寧に説明しようと口火を切った。

「私は大和の友人です」

それから私と大和の出会いのこと、今日の経緯、どうしてここにいるのかなどを話したけれど、どれもキタさんには通じていないらしくて疑いの目は変わらない。

「へえ、そう」

言いながらじろりと見られて、内心私はドキリとした。
ちょっと怖かった。
キタさんはあまり優しくない笑顔を見せて、人差し指を立てる。

「それじゃあ、こういうのはどうかな。君にこの部屋の隣の部屋を半額で貸してあげる。ただし、ヤマトくんがこの部屋にいる時に必ず掃除と洗濯、食事を作ってあげることが条件。それ以外は自由にして良いけれど、ヤマトくんの部屋の鍵は渡さない」

最後の方は少し強い口調で、なんだか責められているような気もした。
キタさんは変わらず、ゆっくりと声を大きくしていく。

「君が本当に友人で、本当にヤマトくんのことを心配しているだけなら部屋の鍵なんて」
「いりません」

もうこれ以上は聞く必要がないと思って、私ははっきり言った。

「そんなもの、要りません。大和が倒れないなら、何でも良い。こんなに疲れきって、仕事させて。そんなに大和が必要ですか」

何だか疲れている大和が本当に可哀相で、辛くて、嫌で、知らない人なのに大きな声で、今度はこちらが責めるように叫んだ。
しかしキタさんはその眼鏡の向こうで薄暗く瞳を光らせて、静かに答えた。

「ああ、必要だ。ヤマトが日本を変える。今に日本中全員がヤマトの名前を口にする」

キタさんが大和のことを呼び捨てにしたのは、後にも先にもそれ一回きりだった。
いつでもキタさんは優しい。
平等に物事を見れるし、冷静で静か。
けれどヤマトのことになると、時々熱っぽくなる。
私はそれを心配するけれど、半分どこかで応援している気持ちもある。
あんなに強く私に言ってのけたキタさんは、今日のキタさんのどこにも見当たらない。
オイルランプのように緩い炎じみて揺らぐ。

「ヤマトくんは原石なんかじゃなかったよね。もう完璧に切り出されたダイヤモンドだったんだ。いつでもどこでも、どんなタイミングでだって売りに出せば、正当な評価が得られたのに」

微かな嘲笑は自分に向けてだったのだろう。
私は見なかったことにして、麦茶をもう一杯注いだ。

「少し酔ってますか」
「あ、わかる?」

キタさんはへらっと笑って、注がれた麦茶を一気に飲み干した。

「うん、酔ってる酔ってる。ごめん、忘れて。それじゃあオヤスミ」

言うなり立ち上がり、身支度を整えて玄関へと急がれる。
すっかり私は置いてけぼりになってしまったので、慌てて追いかけて声をかける。

「あの! 大和、部屋に戻さなきゃ」

大和は私の部屋で寝てはいけないと、キタさんと二人で約束した。
それは一線だと、そう説明もされたし納得もした。
それでも大和が眠り込んでしまうと、私一人では動かせず、そこは内緒のつもりで何もなかったように振舞っていた。
だからキタさんのいる今日は、そう言わざるを得ない。
そうしないと、いつも大和がここで寝ていると思われる。

「良いよ。あんな良い寝顔してたら、起しちゃ悪いでしょ」

キタさんはあっさりそう言って、靴を履いた。

「それに、美弥子ちゃんのこと信用してますから」

にっこりと優しい笑顔が胸にくる。
心配される必要はない。

「もちろん、ヤマトくんのこともね」

その言葉も必要ないと私は笑ってキタさんを見送った。







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