きみのこえ

□day 3
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     きみのこえ
−day 3−





「君の本音が聞きたいんだよね」

そう笑われて、私も曖昧な笑顔になる。
一体どうしてこうなったんだろう。
ゆっくり考えられるだけの時間は、今の私にはない。

「そんなありきたりな、万人受けする綺麗事なんか言わなくて良いよ」

煙草を口の端で噛むようにして顔を歪め、火をつけては煙を深く吸い込んで吐き出される。
あからさまに嫌な顔をすることもできないし、咳込むこともできない。
私はなるべくその煙を吸わないように薄く呼吸をすることしか出来ない。
ありきたりだなんて言われても、どうしようもない。
本当にそう思っているのだから、しょうがない。
他にどう答えたらよかったのだろうか。
どう答えたら、この面接官は喜んだのだろうか。



昨日の面接がまだ尾を引いている。
証明写真と随分印象が違うねと初めに笑われた時点で気付くべきだったのかもしれない。
あの笑顔は決して心を開こうとしている表情ではなかったのだと。
面接途中で何度も印象の立て直しをと思ったけれど、面接が終わるころにはどうでも良くなっていた。
こんな人と同じ会社で、しかもこんな人の下について仕事なんてできるだろうか。
その答えは一点の曇りもなく、ノー。
帰り道にヤケになって久しぶりにジャンクフードを口にした。
不健康そうな油とケチャップが爪の先まで行き渡って、なんだか開き直れた。

「みいくん、ここわかんないんだけど代数ってどこから引っ張ってきたら良いと思う?」

目の前の大和は不格好な黒縁眼鏡をかけて、真剣な表情をして私に尋ねてきている。
その厚いレンズの向こうに見える大和の瞳は歪んでいて小さく見える。
たった数ミリのそのレンズが大和の美しさを曲げているのかと思うと感慨深い。
これだけで大和はヤマトとは別人になるのだから、本当に人間の美しさなんていう出来の善し悪しは何とも微妙な差配なのだろう。

「みいくん、どうしたの」
「あ、ごめん。ちょっと、考え事してた」

取り繕った笑顔でもって、大和の手元を覗き込む。
数学は苦手だから、こんな時に見たってちっとも頭には入ってこないけれど、それでも文章を何度も読んでチャレンジしようと机に肘をついて長期戦の構えに入る。

「就活疲れてきちゃったのかな」

そんな風に言った大和の顔がすぐ近くで、ずれた眼鏡のおかげでぶれのない無垢な瞳を直視してしまう。
真面目な表情をする大和に、まるで何もかもを見透かされてしまったような気がして、私は椅子の背もたれにすっかり背を預ける。
深い溜息の後、いくつもに言葉を区切る。

「それも、ある、と思い、ます」
「あはは。正解しちゃった」
「何でこんなに駄目かなぁ」

もう数えることのできないほど知らない住所を書いたし、人にも会った。
人に会わせて喋ることなんか苦手だから、どこへ行っても同じ話しかしないから、デジャヴのような錯覚を覚える。
現実に先日話したことなのだけれど、同じ話を何度も何度も違う人に話すというのはとても不思議な感覚。
感触は良くても悪くても、結果は同じ。
どうしたら良かったのか今の私には全く手がかりもなくて困る。
大和は落ち込む私の顔を覗き込むようにしながら頬杖をつく。
するりと流した視線が色っぽくて、まるで同じ年には思えない。

「就職活動は恋愛と一緒なんだって。仕事決まらない内が一番楽しくて、仕事してからだとつまんないことが目について嫌になっちゃうらしいよ」

誰かから聞いたらしいその言葉に、私は素直な質問をぶつけてみる。

「大和もそうなの?」
「俺は未だに仕事してるって思ってないよ」

苦笑いの大和はぐうっと腕を上へと伸ばして背伸びする。
首を回して緊張をほぐすと、また楽な姿勢で椅子に深く座り直す。

「だって俺何もしてないもん。周りの人がすごい仕事してるんだもん」
「練習したり、頑張ってるじゃない」
「そういうのは仕事じゃないでしょ」

小さく笑われて、私は答えを見失う。

「朝から晩まで毎日働いて、キツいとかツラいとか」

そう言う大和の目には、何かが映っている。
それは想像ではなく、今まで見てきた何かを思い出しているかのような色をしている。
でも私は大和が頑張っていることを知っている。
それは毎日必死に働いていることに違いないはず。
どうしてもそれを理解してほしくて、大和の目を見て話す。

「大和も寝る時間ないほど頑張ってるじゃない」
「そう、かな」

寂しそうな大和に私はやっとその瞳の色の訳を理解する。

「おじさんに会ってないの?」
「うん。残業が入ったって」

おじさん、もとい大和のお父さんはサラリーマンをしている。
高校を卒業して以来、ずっと同じ会社でひたすらに勤めあげてきている。
大きな会社ではないと前置きを置かれたけれど、営業職で今は課長だと聞いた。
おじさんは今大和とは一緒に暮らしていない。
ヤマトが活躍し始めた頃くらいから、会うのは月二回くらいになったのだと聞く。
幼いころに母親を亡くした大和はお父さんのことをすごく大事にしているし、お父さんも男手一つで育て上げた大和のことを本当に大事に思っている。
だから二人が会うのは本当に大事なことなのだけれど、この不況の時期に家族ばかりを優先することは難しいのだろう。

「そう、残念だったね」
「うん」

しゅんとしている大和の残念さはひしひしと伝わってくる。
おじさんが一生懸命仕事をしていることを知っている大和は同じくらい大変な思いをしていないと、仕事ではないと思っているのだろう。
だけどやっぱりそれは違うと思う。
私はまだまとまらない頭の中をなるべく丁寧に解きながら、言葉を選んで行く。

「でもね、やっぱり大和はちゃんと仕事してると思うよ。努力とかものさしがあるわけじゃないし、頭使う人や腕力使う人がいるわけでしょ。仕事もいろいろあるんだよ」

我ながらありきたりな台詞だと思った。
思ったけれど、仕方がない。
本当にそう思った。
だから自分なりに言葉を選んだ。
だけどそれはあの時、伝わらなかった。
万人が言う、もう使い古されたそんな考え方を口にしても、それは私個人の意思とは認めて貰えなかった。
呆れたようなあの表情がフラッシュバックして、私は思わず俯いてしまった。
私は本当にあの人が言うように、誰かの言葉をそのまま借りているだけなのだろうか。
それは私の考えではなく、耳触りの良い言葉を口にしているだけなのに、それをそれと理解していないだけだったとしたら、何とも恥ずかしい行為だ。
自分の意志だと信じているだけで、突き詰めると空っぽだとしたら。
それをさも偉そうに人に話しているとしたら。
あの人にはもう二度と会うことはないから、どうでも良い。
でも大和には明日も明後日も会う。
私の言葉が薄っぺらくて中身がないだなんて思われたら、どうしたらいいんだろう。
大和があの人のような表情で私を憐れんだら。
ぞっとする私に注がれた言葉は、私が言った言葉よりもっと古く、もっと使い古された言葉だった。

「ありがとう、みいくん」

ゆっくりと一音一音噛みしめるように紡がれたその言葉が温かくて、本当に暖かくて、私は顔をあげるしかない。

「みいくんはいつも綺麗な言葉を言ってくれるね」

ちくんと痛む胸の奥。
でもそれは大和のせいじゃない。

「綺麗事、に聞こえる、かな」

そう勘繰る私の悪い心が痛んでいる。
大和が私のことを馬鹿にしていないことくらい、眼鏡を挟んでいたって、それで歪められていたって、十二分にわかる。
大和は柔らかい笑顔で、ゆっくりと話す。

「でもみいくんの本心でしょ。綺麗事が同じ言葉であったとしたって、それがみいくんの本心なら良いじゃない」

そっとシャープペンを握って大和は数学の問題に取り掛かる。
再度挑戦しているけれど、やはりそう簡単には解けそうもない。
あれこれと数式を書いては消し、やっぱり無理だと諦めた辺りで私の視線に気付く。
くるりと器用にシャープペンを指で回し、大和は顎を引いて微笑む。
私は本当のことしか言わない。
それしか、言えない。
綺麗事の方が、たまたま私の考え方と一緒なだけ。
嘘は言いたくない。
人と違うことを考えるのが個性なら、同じことを考えるのもまた個性。
大和は今まで誰かの意識に沿える言葉を、考えを、きっと誰よりも多く声に出してきた。
それはありきたりで、使い古された言葉や意志のリフレイン。
それでもヤマトの歌が日本中で響く。
誰かが求める本当の言葉であり続ける限り、ヤマトの声が何かを補填していく。

「心配しないで。みいくんの言葉が本心だって、俺はちゃんとわかってるよ」

ありがとう。
わかってくれて、嬉しい。
そう言いたかったけれど、恥ずかしくて言えない。
別に人にどう思われたって良い。
分かってもらう必要なんかない。
そんなどうでも良い嘘を吐くのは嫌だ。
それで私はシャープペンを握る。
大和より先に一つでも問題を解いて、それをお礼代わりにしようと必死になるしか涙を止める方法を知らない。



続く

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