きみのこえ

□day 4
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     きみのこえ
−day 4−





生きていくのは決して楽なことじゃない。
一日中寝ていたっておなかはすくし、どんなに我慢しても必ずお金はかかる。
おそらく一般的な生活、というものの水準がゼロより高いところにあるのだろう。
今日まで地味に節約生活をしてきたから、私の部屋は片付いている。
置くものがないのだから、それも必然ではある。
食費だけが私の生活で唯一大きな負担、だなんてあまりにもむなしい。
節制は美学であると思うけれど、やはりそれだけに従事するには私も年齢を重ねていない。

「バイト決まった」

そう言うと大和は諸手をあげて喜んでくれた。
私も採用の連絡が入った時には同じようにしたけれど、瞬間的に大喜びしてから少し冷静になった今、やっと人に伝えられる状態になった。

「良かったね!」
「いや、これは果たして良かったのかはわからないんだけど」

そう、決まったとは言え、それはアルバイトでのこと。
私の目標はアルバイトではないので、これを良いと判断できるかどうかはわからない。
バイトを始めれば、まず3ヵ月は動けなくなる。
就職活動に一番必要な根性と切迫感が薄れるのは間違いない。
いつの間にかアルバイトにやりがいを感じて、そこから先に進めなくなるのが一番怖い。
それでも目下身銭を蓄えるより他、当面の生活を賄う手立てがない。

「ともかく一度就職活動は休止。少し生活費を稼ぐことに集中するわ」

私が言うと、大和はそれが良いよと頷いた。
けれどそのあとでこっくり黙ってしまい、右手を軽く握って口元にあてている。
何か逡巡してからぽつりと呟いた。

「そっか。それじゃまたしばらく会えない日も続くかな」

そういう大和が何だか頼りなくて、私は何を言えば良いのか分からなくなる。
黙っていると余計に困りそうだったので、取ってつけたような笑顔を繕う。

「私はずっとここにいるよ。いつでも会えるでしょ」
「うん。そうだね」

蕩けるように笑顔を見せる大和に、私の方が何だか寂しい気がした。



次の日は早朝に起きた。
まだチュンチュンと鳥の声が頭の上から零れてくる。

「ねえ、本当に大丈夫なの」
「うん。大丈夫。ちゃんと免許取れたもん!」

そう言ってエンジンキーを回す。
あまりに強くひねるからか、ギュルルと嫌な音を立てている。
それでもなんとかエンジンはかかり、大和は丁寧にバックミラーの位置や周りの確認を始める。

「それと運転できるかは別問題だと思う」

私も決して運転がうまい方ではない。
だからこそ、大和の技量はわかる気がする。

「さあ、乗って乗って! 出発するよ!」

そう促されて、私は渋々助手席に乗り込む。
ふわりと新車のにおいがして、なんだかちょっとそわそわする。
けれどそれも束の間、ゆっくりアクセルを踏むと電子音が鳴り始めた。

「何か鳴ってるわよ」
「何だろうね」
「何だろうじゃなくて! ギア!」

最近の車はギアさえ足で操作する位置にあったりする。
大和はそれを操作せずに車を動かし始めたので警告音が鳴っていた。

「ああ、なるほど。そっか、忘れてた」

新車で購入して、まだ間もないとはいえ、自分の車のはずなのに。
早速嫌な予感がする。

「だって教習車と違うんだもん」

そう言ってのろのろ走りだす。
確かに教習車で必死に練習をするとそれに慣れてしまい、初めのうちは勝手がわからない。
所詮は慣れるしか、上達する術はない。
初めは下手でも、とにかく乗るより他に手段はない。
少なくとも一人で運転して事故に遭うよりは、私が周りを気をつけて万が一を避ける手助けをした方が良いような気はする。
大通りに出ると、大和も他の車両に合わせてスムーズに運転をこなす。
筋は悪くないらしく、ブレーキのかけかたもうまい。
ようやく私にも話す余裕も出て来て、行き先を設定したナビをいじりながら声をかける。

「この間車のCM出てたのに」
「あれはタイヤのCMだよ。キタさんが勝手に夜の首都高を一人でドライブするのが好きだなんて雑誌に答えちゃってたから、なんか話し進んじゃって」

その雑誌は読んだ。
文面だけ読めば、なんだかかっこいい。
そしてそれは全くの嘘ではない。
確かに大和は一人で深夜の首都高に出ることがある。
深夜というよりは明け方に近い。
その時間帯ならほとんど車もいないし、同じ場所をぐるぐる回っていれば、迷子になることも車線変更で泣くこともない。
そこくらいでしか大和は運転の練習ができなかっただけなのだけれど、それをうまく誤魔化したなと思う。
雑誌の記事は何も直接インタビューを受けるだけが方法じゃない。
時間のない大和などは、よくFAX回答を依頼される。
その回答を元にさも直接会ってきたかのような記事を作るのは良くあること。
そして大和の場合はその回答を大和自身がすることはほとんどない。
キャラクターイメージ優先で、大和の私生活を知るキタさんがうまく答えている。

「キタさん、スポーツカーに乗れって言われなかったのね」

ヤマトのイメージならスポーツカー。
キタさんならそう言うと思っていたので、納車時にまさか軽がくるとは思っていなかった。
いくら普通車並みの広さとは言え、軽は軽。
軽車は決して嫌いではないし、私自身軽の方が好きなくらいではあるけれど、それは私の足りない身長が加わっての話で、大和ほど身長のある男の子にはいささか窮屈じゃないかと余計な心配をしてしまう。
けれど大和はウィンカーをあげながら、あっさりと答える。

「俺には無理だよ。そういうのに興味ないからAT限定で取ったんだし」
「でもせめて普通車買うと思ってた」
「お父さんがこっちの方が良いって言ったから」

そう言えば車を買う時にはお父さんと出かけていた。
そのうち車も共有したりするようになるのかもしれない。
今は二人で暮していないけれど、大和はいつでもお父さんと一緒に暮らしたいと望んでいるはずだもの。
車は難なく関越自動車道へと入り、あとはただまっすぐ走るだけになる。
大和もすっかり緊張をほぐして、カーステレオから流れる歌を口ずさんでいたりする。
私はそんな横顔を見ながら、大和が言いだせない言葉を掘り出した。

「またしばらく忙しくなるのね」

ぴたりと大和は歌うのを止めて、小さく笑う。

「忙しくなるのはみいくんの方でしょ」
「スケジュール詰まると、いつも特別なことしてくれるじゃない」

歌の収録で一週間帰らなかった時には、一緒に買い物に出かけた。
CM撮影のために二週間家を開ける前には、二人で部屋を掃除した。
一ヶ月の全国ツアー前にはテーマパークに遊びに行った。
長編プロモーションビデオ撮影で二ヶ月家に帰らなかった時には、海外ドラマのDVDを一緒に見ようと良いながらボックスでくれた。
そして今回は温泉に行こうと誘われた。
遊び溜め、といえば軽い気がする。
大和にとって仕事はとても大事だけれど、仕事をしている間はずっと自分を隠しておかなくてはいけない。
カメラが回っている間だけが仕事ではない。
24時間ずっと別人にならなくてはけないのは、きっと私が想像する以上に大変なことだろう。
そのために思いきり自分を出して羽を広げる。
それを考えると、少しだけ切ない気がした。
だからと言って私が大和の仕事に口を出すことはない。
それが仕事なのだから、何も言えない。
大和は割り切った顔をしながらも、深く仕事については喋らない。

「今度写真集を出すんだけど、撮影がフランスなんだよね」

随分と遠くまで行くんだな。
今の私には手の届かない場所すぎて、実感が湧かない。

「そっか」

小さな自分の声が、自分の耳にさえほとんど届かなかった。
呆れるほど寂しそうだったから、大和には聞こえていない方が良い。

「なんか、グラビアアイドルじゃないんだから、海外で撮ることもないと思うんだけど」

自嘲するような大和の声に、私は思わずカラ元気をぶつける。

「キタさんが手配してくれたんでしょ。その選択に間違いはないのよ、きっと」
「うん。そう、思う。フランスで活躍してる写真家の人を呼んでるって聞いたから」

それなら、安心して良い。
大和がこれからする苦労分、きっと会心のヤマトが世間を魅了する。
でも私には大和に頑張ってとか、緊張しないようにねとか、なんだか仕事に関する応援は頭に浮かんでこなかった。
こんな風にどこかにでかけて、自分を封印する時間を作るなんて、それだけ大和が苦労しているのはわかっている。
せめて、向こうの空気を楽しんで来てほしい。
そう思って、にっと笑う。

「お土産楽しみにしてるから!」
「任せといて」

大和も前を見ながら微笑む。
うん、きっとこれなら大丈夫。
大和が頑張って仕事をしている間に、私も頑張ってアルバイトに慣れよう。
彼が帰って来た時には、自分のリズムを作っておこう。
そうしたら、会えないと思われることもないはず。

「でも、寂しいよ。みいくんの声、聞けないなんてさ」

なのにそんな風に言われて、私はどうして良いかわからない。
これはただの甘えなんだろうか。
だとしたらいつまでも馬鹿なこと言うなって叩くべきだろう。
でも私にはその言葉に覚えがあった。

「お父さんと離れて暮らすって日にも同じこと言ってた。毎日電話してたじゃない、初めの頃は」
「そうだったね」

ヤマトは初めモデルでデビューした。
その頃は特別どうということもなかったのだけれど、ヤマトの人気が加熱し始めた辺りで朝倉大和は一人暮らしを始めることを勧められた。
実際仕事帰りを狙って出待ちするファンも増えてきていたし、ミステリアスなヤマトの売り方上、どうしても身辺を漁ろうとする輩はいた。
お母さんを小さい頃に亡くしてしまった大和は、唯一の肉親である父親と離れることをとても嫌がっていた。
それでもキタさんの説得もあり、私も当時軽い気持ちで一人暮らしくらいしてみたら良いと言ったこともあり、大和は決心した。
けれどどうしても慣れないようで、初めのうちには夜中にメールや電話がかかってきては、一人では寝れないと嘆いていた。

「慣れてきちゃうんだね」

そう言う大和の横顔が、大人びて見えるのは私がまるでお母さんのように大和のことを見ているからなのだとしたら、虚しい。

「みいくんと話さなくても平気になるかな」

ああ、更に虚しい。
虚しいことに私はそれをちょっと本気で、それは寂しいとも思っている。
私は大和の家族じゃない。
友人、ただの友人。
そう言い聞かせて、びしっと言ってのける。

「仕事は大事。寂しいのは二の次。大和の為に大勢の人が動いてくれてるんでしょ。大和のこと待ってる人もたくさんいるんでしょ。それに応えるのが一番大事」

そう、私に言えるのはそれくらい。

「やだなあ、なんかみいくんおじさんみたい」
「ちょっと人が真剣に話してるでしょ」
「あはは」

大和が笑う。
私もつられて一緒に笑う。
隣を大型トラックが猛スピードで駆けて行くけれど、私たちはのんびり目的地を目指そう。
今、この車の中だけは、時間がゆっくり流れていて良いのだから。

「でも俺は、やっぱり寂しいって言ってほしかったなぁ」
「そういうのは他の女の子に言って貰いなさい」

ヤマトが日本を離れることは、既にファンの間では有名らしい。
インターネットでそういう話があがっていたし、ヤマトが出国する際には飛行場にファンが押しかけることも今や珍しくはない。
仕事のスケジュールなど決して公開などしていないけれど、何故か情報が漏れたりしているらしい。
見送られるヤマトはそのたび、早く帰ってきてねと可愛い女の子たちの涙を流させた。
いじらしいその姿に投げキスで応えるヤマトは、まさしく少女漫画の世界。
そういう光景を私は一度だけ見た。
確か初めてヤマトが海外に行く時のことだったと思う。
長時間のフライトが怖いとめそめそしていた大和を励まして、空港まで行ったんだ。
本当に大丈夫かなと心配していたけれど、あの光景で目が覚めた。
正直大和なら駄目だっただろう。
もしかすると飛行機にさえ乗れなかったかもしれない。
でもあの女の子たちが見たヤマトがいる限り、大丈夫。
何の心配も必要なく、きっと無事に仕事をこなして帰ってくると確信した。
ヤマトは頑張れる。
あんなに一生懸命な女の子たちがいるのだから、その声を聞ける大和なら何でもできるんだと私は思った。

「他の女の子って誰のこと」

けれど、大和はそう言う。
少しだけ真面目な顔で正面を見据えるその瞳が、何故だか冷たい。

「俺にはみいくんだけだよ」

大和の綺麗な唇の端が、少しだけ笑顔に歪む。
いつもみたいな満面の笑顔じゃないから、私の心が少し変な風に痛むのかなと思った。





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