きみのこえ

□day 6
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     きみのこえ
−day 6−





その日の午後に電話をした。
会社の名前をインターネットで調べて、その電話番号も検索してみたけれど、やっぱりまともな会社だったので少し驚きはあった。
丁寧な受付嬢の電話を介して、ようやくその人に繋がった。

「ああ、クロちゃんの紹介でしょ。ごめんごめん。アレさあ、先週決まっちゃったんだよ」

そう申し訳なさそうに言われて、電話越しにでもその人の人となりが見える気がした。
犬のように呼ばれているクロちゃんというのが、おそらく先日会った黒木さんなのだろうと思う。
この人も黒木さんと同じくらい、あっけらかんとしていて重さの一つもない気がする。

「ごめんね、期待させちゃって」
「あ、いえ。良いんです。こちらこそ図々しく、申し訳ありません」
「本当ごめん。クロちゃんにも謝っとくから」

何度も謝られるけれど、実はお断りの電話を入れるところだった。
黒木さんに紹介して貰えるのは本当にありがたいことなのだろうけれど、何となく気まずいものを感じていた。
その気持ちに名前をつけることは難しいけれど、すんなりと受け入れることだけはできそうもなかった。
このまま何もなかったことにするのは簡単だろうけれど、私はあえて大きな声を出した。

「あの、一つお願いがあるんですが」

折角の縁がどう転ぶかなんて、私になんかわかるわけもない。
手繰り寄せられるものなら、何でも良い。
少しでも自分から動くのが当面の目標。
それがきっと就職に繋がるのだと、信じているところもある。
電話を切り、今度はまた違う電話番号にかける。
数度のコールの後、ぼんやりした声が聞こえてきた。
もう昼はとうに過ぎているというのに、どうやら声の主は寝ていたらしい。
名前を名乗ると何度もああ、ああと言われた。

「律儀だねえ」

そう言って笑われたけれど、特に嫌な気はしなかった。

「いえ、こういうことはきちんとしないと」
「あっはっは。キミちゃんと同じタイプだ」

先の電話のことを伝え、先方から黒木さんの連絡先を聞いたと伝える。
どうやら黒木さんは既に採用決定済みであることを知らされていたらしい。
多分私から連絡がありますよということを伝えた時に、その結果を聞いていたのだろう。
でも私は黒木さんに連絡先を教えていないし、私も黒木さんの連絡先を知らなかった。
やっぱり半ば強引かなと思いはしたけれど、きちんと連絡出来て良かったと少し安堵する。
電話口の黒木さんは少しずつ眠りから覚めているらしく、はっきりとした声が聞こえるようになってくる。

「こっちこそごめんね。ちゃんと話聞いておけば良かった」
「良いんです。自分で履歴書送るところから始めなきゃ、就職しても多分続かないですから」

言いながら、書きかけの履歴書に目をやる。
断ろうとは思っていたけれど、心のどこかで少しの甘えがどうしても顔を出した。
名前と住所だけで止めておいて、結果的には正解だったかもしれない。
何度も何度も書いてきた履歴書ではあるけれど、いつか二度と書かなくて良い日も来ると信じている。
こんなに必死に就職活動をしていると、本当に嫌気がさしてくる。
自分を否定され続けることに、段々と自分の必要性に疑問を感じてくるからだ。
誰からも必要とされていないのではないかと思うと、眩暈さえしてくる。
前向きになるには、根性がいる。
その根性スペックが私は初めから乏しいのだと思う。
だからこそ、もし仕事が決まったら必死になれるはず。
もう二度とこんな生活には戻りたくない。
そう思えばこそ、頑張れると信じている。
もし今、黒木さんの介添えでもって就職できたとして、きっと私はあっさりするほど単純で小さな躓きにも耐えられずに逃げ出すと思う。
苦労するからこそ、意地でもしがみつく。
多分私はそういう種類の人間だと思ったからこそ、今回の話は遠慮しようと決めていた。

「この埋め合わせはそのうちするからね。また紹介するよ」

黒木さんはそう言って電話を切った。
埋め合わせなんてしてもらう必要はないのだけれど、それは社交辞令として受け止めた。
ひとまず今日の用事はこれで終了。
久しぶりのお休みなので、食材の買い出しにでも出るかと部屋を出た。
扉を開けると大和の部屋の前で、見覚えのあるサラリーマンが立っていた。
ドアが開くと同時に目が合って、その人はにっこり笑った。

「美弥子ちゃん」
「おじさん、どうしたんですか」

そこにいた大和のお父さんに私は驚きを隠せない。
平日の昼だなんて、普通なら仕事をしているはず。
話を聞くと、どうやら仕事の途中で近くまで来たので寄ってみたのだそう。
だからスーツを着ているのかと納得する。
おじさんは申し訳なさそうに笑いながら、頭を掻いた。

「ごめん、大和の部屋の鍵持ってるかな」
「いいえ、預かっていませんよ。預け忘れてたのかな」
「違う違う、今急に来ちゃっただけだから」

慌てておじさんは大和を庇い、それから一つ沈むようにして呟いた。

「そっか」

寂しげなその表情には見覚えがある。
この間温泉に出かけた時、車の中で大和も同じ顔をした。
やっぱり親子なのか、顔は全く違うけれど、パーツや仕草がどことなく似ている。
私は鍵を持ってはいないけれど、そのままそれじゃあとお別れすることもできなくて、何かできないかと尋ねてみる。

「何かお捜しなんですか。もしなんだったら管理人さんに話しすれば開けて貰えるかも」
「いや、良いんだ。そんなに大事じゃないから。ちょっと久しぶりに会いに来て」

おじさんがまた少し笑って見せるけれど、話しが読めない。
大和に会いに来ても、大和はいない。
だから部屋の鍵もなく、開かないというのに、まだ何か目的があるのだろうか。
そう思うとよく理解できなくて、改めて当たり前のことを口にする。

「大和は今フランスですよ」
「うん。そうだね」

頷くおじさんに、はたと気付く。
大和の部屋にお母さんの写真を収めたアルバムがある。
それはおじさんが一人暮らしする大和に、寂しさを紛らわせるために渡したものだと聞いた。
そして今日は、大和のお母さんの命日だ。
私はすっかり忘れていたけれど、大和が少しフランス行きに渋ったのもこれが理由だったのかもしれない。
亡くなってしまったことはやっぱり残念なことだけれど、こんな風に夫にも息子にも愛されている人のことがとても羨ましく思える。
高校生の時、大和にお母さんの写真を見せて貰った。
大和は確実にお母さん似だった。
優しく甘い表情と線の細さ、可憐さ。
そして同時に垣間見える芯の強いその瞳。
きっとおじさんは本当に自分の持っている写真の全てを大和に託したのだろう。
けれどどうしても今日のこの日に、顔を見たいと思ったんだと思う。
それは当然のことで、それはとても愛しい行動のような気がした。

「良かったらお茶でもどうぞ」

私は自分の部屋を指して、おじさんを促した。
少し残念そうではあるけれど、お茶を飲んだら帰るよと微笑むおじさんはゆっくり歩を進めた。
部屋に帰ってもさして茶菓子などを用意してはいない。
キタさんが以前置いて行ったインスタントのコーヒーなどを入れてみるけれど、はたしてそれがおいしいのかどうかは私にはわからない。
適当なコップにそれを注いで、適当な砂糖と併せてテーブルに置いた。
おじさんはありがとうと受け取って、砂糖も入れずに口をつけた。
もたもたと砂糖を入れてかき混ぜながら、私は話題を探る。

「お仕事いかがですか」
「いやあ、なんか貧乏暇なしって感じだよ。働けど働けど、なんて言ってみたりしてね」

冗談めかしておじさんが言うので、私も笑う。

「美弥子ちゃんは」
「あ、最近バイトが決まりまして。少し軍資金稼ぎです」
「そうか。大変だね。まあでも、焦らなくても大丈夫だよ。まだ若いんだし」

励ましにありがとうございますと応えて、私はコーヒーを飲む。
おじさんはふと、机の上に置かれたままになっている教科書に目線を動かした。
そのままじっとしているので、私は報告する。

「今年は受けられそうですよ」

そう言うと、おじさんは安心したように表情を崩した。
全身から力が抜けて行くのがわかる。

「そう、か。そうか、良かった」

そっと微笑むおじさんは複雑な表情をしている。
大和が芸能界に入るのを決めたのは、何も人気者になりたかったわけじゃない。
歌が歌いたかったわけでも、自分を表現したかったわけでもない。
ただ一重に、お父さん一人に苦労をかけたくないと思っていたからに過ぎない。
おじさんは決して高給取りではないらしい。
一生懸命やりくりをして、高校に入れて貰っているんだと大和は言っていた。
おじさんと大和の間でどんな話があったのかはわからないけれど、大和がモデルの仕事を始めてから学校を辞めるまで大した時間はかからなかった。
自分の息子を退学させてまで仕事をさせなければならない、そうおじさんは思っていたのかもしれない。
私が学校を卒業して以降、よくせめて高校は出させるべきだったと虚しく笑って話していた。
だから私も、もう大和に卒業資格なんかいらないでしょうとは思わなかった。
幾通りの人生の道があるだろうけれど、おじさんはやっぱり大和に楽な道を歩んで欲しかったんだと思う。
なんとなくそれをわかった私は自分でもわかるくらい、わざとらしくあっけらかんと話してみる。

「その後は大学とか通っちゃうんですかね」
「そうだね、そうなると良いね」

もちろん、多分そうはならないとわかっている。
今のヤマトにそんな余裕はないだろう。
でも昔ほど切羽詰まってはいない。
倒れるほど仕事をすることもなくなった。

「大丈夫ですよ。最近大和元気です」
「うん、わかってる。電話の声が明るいから」
「でもやっぱりおじさんに会いたいってめそめそしてました」

私が言うとおじさんはすごく笑って、それから少しずつ波が引いたところでやっと喋り出した。

「ははは、申し訳ないね。あれの心の弱さは母親似なんだ」

心の弱さだなんていうけれど、きっとそれは嘘だ。
優しいと言ってあげたいところを照れ隠しで悪く言っていることくらい私にもわかる。

「幼稚園くらいの時には、母親が買い物でいなくなるだけでも大泣きしちゃって。私では泣きやんでくれなくて、往生したっけ」

懐かしい風景を見つめるおじさんの瞳はとても温かい。
今日まで良いことばかりではなかっただろうけれど、こうして来た道を振り返って思いだせるようになることは本当にすごいことだと思う。
私にはまだ、失った人はいないから、余計にそう思うのかもしれない。
お母さんがいなくなって、大和はどうしたんだろう。
その時の話を大和はしなかったし、私から聞きたいと思ったこともない。
私にとって大和とは今目の前にいる彼でしかなく、その過去を覗いてみたいという気持ちになることはなかった。
彼のことを全部知りたいと思うこともなかったから、もしかすると私は薄情なのかもしれない。
あまりそういうことに興味がない。
それでもおじさんと同じくらい、大和の心の中に大きな存在であることは間違いない。

「おじさん、メールできましたっけ」

私が突然言うので、おじさんは少しぽかんとしていた。

「パソコンからなら少し」
「携帯で、ですよ」
「なんだか画面が小さくて」

困ったように笑うおじさんをよそに、私は携帯を開く。

「そうですよね。見えにくいですもんね」
「何を書いていいのか」
「ああ、わかります。私もよく悩みます」

だから大和とおじさんは毎日連絡を取ることはない。
生活時間の噛み合わない二人は、なんとか時間をすり合わせて電話したり、会ったりしている。
それがいけないとは言わない。
それが二人の選んだことなのだから、それはそれで良いのだと思う。
でも今日だけは、そんなこと言っていられないとお節介な気持ちが手を上げる。

「それじゃあ二人で書きましょう」

私はそう言ったけれど、おじさんの言葉をそのまま打ち込んだだけ。
電話は時差もあるし繋がるのが難しいこともあるけれど、メールならいつでも飛んでいくし、いつでも相手が好きな時間に読める。
メールを送信したけれど、すぐの返事は期待できそうもない。
東京からマイナス7時間の今、大和は何をしてるんだろう。

「美弥子ちゃん、ありがとう」

そう言って笑ってくれるおじさんが、やっぱり大和に重なる。
母親にだと思ったけれど、こういう仕草は父親によく似ている。
それはきっと、二人が長い時間一緒に暮らしていたから。
絆の深さが目に見えて、なぜだか私は目頭が熱くなる。
返事が着たらメールします、読むだけ読んでくださいとおじさんに伝え、その背中を見送った。
部屋に一人になって、私はもう一通大和にメールを書く。
書いている最中で、メールが着信した。

「ありがとう。来年は一緒にお墓参りに行こうね」

Vサインをしてキタさんと笑っている大和の写メールが添付されていた。
短いその文章は、携帯でのメールが苦手だというおじさんの血を受け継いでいる気もする。
早速転送しながら、私は未送信BOXに入れた書きかけのメールに目を落とす。
ボタンは送信決定ではなく、削除を押した。
一度だけでは足りない気がして、二度削除を押した。
いつもの待ち受け画面になり、まるで何もなかったかのようになる。
あのメールは私の頭の中だけに留まり、そのうち頭の中からも消えるだろう。
私からのメールなんか、今の大和には必要ない。
何故だかそんな気がした。



続く

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