きみのこえ

□day 7
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     きみのこえ
−day 7−





紙媒体の売り上げは著しく低下の一方だと言う。
小説や実用書は元より、漫画でさえ販売部数は軒並み縮小傾向。
だから書店も版元も一定部数を確実に売りさばく目的で、初回特典などをつけて予約販売を勧めているのだと聞いた。

「すごいねえ、ヤマト」

そう言いながら事務所で店長が予約票を数えている。

「この予約量。今は小説より写真集の時代なのかね」
「もう既に新刊予約は結構キツイらしいですから」

写真集担当の小池さんが笑いながら発注書をまとめている。
私はまだ働きだしてそう時間も経っていないので本屋の舞台裏というものをあまり知らないけれど、知らないにしてもテーブル上で溢れているその予約票の多さは目を見張るものがある。

「限定3で、らしいから、皆の名前で予約入れちゃうね。欲しい人は先に言っておいて」

そうスタッフに言う店長に、皆苦笑している。
基本的に書店に卸される数と言うのは決まっていて、雑に言えばその会社の本をたくさん売った書店に、新刊がたくさん卸される。
それでも初版部数には限りがあるので、必死になって一冊でも多くの確保に乗り出す。
一番確実に書籍を店頭に並べるには、こうして書店員の名前で予約本を溜めて店頭に並べると言うわけ。

「今日帰って来たらしいですよ、日本に」

そう、大和は先程帰って来たらしい。
午後のニュースで放送されていたけれど、ファンの子たちに取り囲まれている様はさながらワールドカップ後に凱旋した代表選手のようだった。

「まだ編集もしてないのに、予約させるってちょっと調子乗りすぎって気もするけどね」
「こういうのは旬ものですから。パッと売ってパッと消えちゃうんですよ」

カトンとロッカーの閉まる音が、何故だか胸に響いて痛かった。
その言葉は何も大和だから言われているものではない。
きっとどのアイドルにも俳優にもお笑い芸人にも同じように、言われている言葉なのだと思う。
だからこそ、なんだか虚しかった。
過去にそういう人がいたとこか、今そういう人がいるとか、結局そこに大和という人は存在しない。
アイドルだからこその宿命かもしれない。
覚えられている内が華で、その命は短く、繋ぎとめるには相応の努力が必要になる。

「まあ、あんな色気振りまいてオッサンになんかになられても、気持ち悪いだけだしね」

テレビの中にいる人に向けているからこそ、笑ってそんな台詞も言えるのだと思う。
そこにいるのは生身の人間ではなく、デジタルで表示される映像なのだから。
けれど、その通りかもしれない。
今の大和から10年後の大和は想像できない。
キタさんの考えは分からないけど、これから先全く同じ路線でヤマトを確定させていくのは厳しいに違いない。
それでも今のヤマトはそんな小さな酷評など、一蹴してしまえるだけのエネルギーに満ち溢れている。
私には今の大和のやっていることでさえ、ものすごいことなのだと思っている。
少なくとも数年前の大和からは想像もできない。
人前で歌い、踊り、人の目を奪い、愛を一身に集める。
いつの間にか一人立ちしているヤマトを、まだ私は知らないだけなのかもしれない。

「すごい!」

そう言って立ち尽くしていた大和に驚いた、というのが初めて会った時の話。
背はそこそこに高かったけれど、それよりも細い方が目立ったからひょろ長いという、あまり良い印象には結びつかなかった。
顔の半分を隠してしまうような度の強い眼鏡が目を小さく見せていたし、日に焼けていない白い肌が病弱に見えた。
しかし大和は臆することもなく、無邪気に私の傍に立った。

「びっくりしちゃった。何それ、自分で作ったの!」
「え、あ」

私は突然知らない人に話しかけられて、言葉がまとまらなかった。

「文化祭、うちのクラス劇やることになって」
「すごい、すごい、すごい!」

ひたすらにそれを繰り返されて、私は熱くなる。
大和のぎゅうっと握りこまれた両の拳を見ると、ますます照れてしまう。

「あ、あり、がとう、ございます」

慣れない喋り方に、戸惑いが隠せない。
知らない人にどう接して良いのか、高校生の私にはわかるはずもない。

「俺なんか家庭科赤点で、これ作り直さなきゃ単位くれないって」

そう言って大和は不格好なエプロンを私にちらっとだけ見せた。
色も紺で地味な柄のそれを見ると、ああ同じ学年なんだとわかった。
つい先日まで私も同じ課題で制作していた。
同じクラスの人たちにも数人、再提出を言われた人いたちもいたことを知っている。

「見せて、ください」
「すっごい下手なの。笑わないでね」

そろそろ差し出されたそれを見るけれど、別に笑えるところはない。
一生懸命作ったのだということは、大和の雰囲気を見ていれば十二分にわかることだったし、適当に作っていないことくらいは布の状態を見れば更にわかる。

「大丈夫。ここからここまでほどいて、もう一度折り直して、ちゃんとアイロンかければ縫え、ます」

そう、ただ単純に三つ折りが苦手なのだと思う。
うまく端処理ができなくて、慌てているうちにミシンだけ先に進んだのだと予想する。

「ここんとこ変なんだけど」
「折り方が違う、です。ここと、ここ。同じようにしないから、崩れる」

右と左の端で逆の折り方をしているからねじれる。

「そっかぁ。なんか俺不器用で、何やっても、全然うまくいかなくてそういう才能ないんだなって思ってたんだよね」
「裁縫に才能はいらない。縫うだけなら、言われた通りにそのまま手を動かせば、出来る」

裁縫は布という素材ではあるけれど、木工製作とさほどの差はない。
設計図さえあれば、後は手を動かすだけ。
そうしていればただの一枚布から、立体が生まれる。
そしてその立体は否応なしに、世界でただ一つのものになる。
私はその話を他の誰にもしたことがなかった。
溢れる情熱を押さえられず、使いきれていない敬語も使いそびれて喋る自分に呆れたんじゃないかと大和を見ると、満面の笑顔を湛えていた。

「うん!」

その笑顔の意味は未だにわからない。
けれど私が今まで見た中で一番、本当の笑顔なのだと思った。
面白いとかおかしいとか、そういう笑い顔ではない。
ゆったりとした時の中でじんわり広がるような、温度を持った笑顔だった。
大和はそれから私を指さして、じっと胸元を見た。
多分名札を見られたのだと思う。

「あー、えっと。何さん?」

しかし大和の近視では良く見えなかったのか、クエスチョンマークを飛ばす。
毒気のないその表情に、私はただ素直に答えるしかない。

「笹野、美弥子」
「笹野美弥子サン。俺は朝倉大和」

そう言って向かいの席に座る。

「美弥子さん、家庭科部の人なの」

こんなに短い時間で自分のことを引き出されることに慣れていない私は、首振るくらいしかできない。

「違い、ます」
「ふうん。すごく上手だから、そうなのかと思った。裁縫好きなんだ」

無邪気な笑顔でそう尋ねられて、私は不思議な気持ちになる。
裁縫が好きかどうかなんて、考えたことはなかった。
すべての作業をほとんど一人でこなし、引きこもり状態で物を完成させていくそれに、楽しい楽しくないの感情はない。
私が答えられずにいると、大和は手元を覗き込むように立ち上がった。

「ねえ、少し見てても良い?」

そう言われた時、やっと感情が繋がった。
私はその工程が好きだと感じたことはない。
ただ最後に完成した時、溢れるような達成感を感じるだけ。
それを私は他の誰にも話したことはない。
そして誰もそのことなど気にもしない。
決して短くはない時間を注いで完成したものを一瞥して、すごいと一言言う。
けれどそのすごいという言葉には、私の達成感ほどの感情はない。
軽いその言葉に踊らされて、私はただ一人でこの教室にいた。
お願いねと言われて、断れなかったこともある。
けれど心のどこかで、それができるのは私だからという責任感もあった。
そんな責任感は必要もないのに。
もっと好きとか嫌いの感情で自分のことを見ればよかった。
お願いしても良いかなと言われた時に、どうして断らなかったんだろう。
それはきっと私自身、作ることが楽しいからではないかと迷っていたからなんだと今ならわかる。
作ることが楽しいのではない。
自分の為に、喜んでくれる誰かの為に、針糸を進めて行くその一秒一秒に感情を込めて行くのが楽しいのだと思う。
完成した時を思い描き、思い描いて貰い、心血注ぐその工程。
それを理解できない人の為に、私が頑張っても意味はない。
そこに私の楽しみはない。
どうしてそんな当たり前のことに気付かなかったんだろう。
何だか情けなくなって笑えてくる。
私は手元の衣装を追いやって、大和の生地に触れる。
きっとこっちの方が楽しい。
糸を解いて、アイロンで地を整えて、もう一度息を吹き込もう。

「それより先に自分の終わらせた方が良い、と思う」
「あ、そっか。あはは」

笑う大和を見ていると、自然とこちらも笑顔しか出なくなった。
それから数ヵ月後の間に私と大和は仲良くなった。
お互い他に特別親しい人もいなかったので、なんとなく一緒にいることが多かっただけなのだけれど、そんなある日大和は真剣な顔で私に報告してきた。

「みいくん、俺、モデルやるかも」

笑えない冗談だと思った。
確かに大和は身長もあるし、一般的な男子高校生に比べると随分細身ではあった。
でもだからと言ってそれだけの素質だけで、モデルになんかなれるわけがない。
けれど大和は小さな四角い紙を差し出して指を指す。

「何それ」
「眼鏡新しいの買いに行ったら、名刺貰った」

確かに会社名もあるけれど、そんな会社の名前聞いたことはない。

「怪しい」
「俺もそう思ったけど、お父さんに調べて貰ったらちゃんとしたところだって。お金、ちゃんと稼げる、かも」

そういえば大和は時々生活が厳しいというようなことを言っていたなと思いだす。
真面目な大和の表情に、私も真面目な気持ちになる。

「時給良いなら、良いんじゃない」
「日給って言われたけどね」

頼りない大和の笑顔ではあったけれど、何かあったら相談に乗るよと私は言った。
大きく頷いて、ウンと言ってくれた大和に本当に嬉しくなった。
頼られているというのはこんなに嬉しいのだと、初めて知った。
またそれから数ヵ月で書店に大和が並んでいた。

「大和、すごい! 表紙だ!」

目の前のこの人が紙面を飾っていると思うと、やけに興奮したのを覚えている。
知らない雑誌だったけれど、私は当然買うつもりで握った。
土日祝日、たまに学校が終わってからも大和は仕事をしていたから、こんなに早く結果が出たんだなんて簡単に思っていた。
私のそんな喜びとは逆に、大和は複雑な顔をして、それを笑顔に滲ませて誤魔化していた。

「俺は、すごくないよ。俺、ここに立ってただけだもん。メイクしてくれる人がいて、衣装合わせてくれる人がいて、写真撮ってくれる人がいて、表紙を作ってくれる人がいるから、ここに並べて貰えるだけだよ」

言葉は出なかった。
急に持っている雑誌からも熱が冷めて行くのを感じる。

「俺一人じゃ、何も作れない」

床に滑らせるその視線を追うことも、私には出来なかった。
そんなことはない。
大和がいるから、他の人の実力も発揮されるんだよと、そう言いたかった。
けれどうまく言葉にはならない。
私はその時まだ働いたこともなかったし、大和の言っているその状況があまりにも遠い世界のような気がしたから。
当然多くの人が関わっていることは分かっているつもりだったけれど、当人が思っているよりもずっと自分のことを軽視しているような気がした。
今でも、そう思ってるのだろうか。
だから時々、寂しそうな瞳をしているのだろうか。
もうこんなに人気も出て、日本中誰もがヤマトのことを知っているというのに。
それも自分の力は一つもないのだと言うんだろうか。
どんなにプロな顔をしていても、その目だけはやっぱり大和に違いない。
あの日の教室で無邪気な顔をして、あの日の書店で悩み込むような悲しい目をしていた大和と何も変わらない。
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