きみのこえ

□day 8
2ページ/3ページ

大和の実家は電車で数駅、そう遠い場所ではない。
築数十年のその家は決して寂れてはいないけれど、最新の雰囲気はない。
長年雨風に耐えてくすんだ瓦屋根が、隣近所のカラー瓦との年季の違いを見せつける。
当然呼び鈴もピンポンなどと可愛い音はせず、ブーと短い音を流す。
しばらくあって、玄関がゆっくりと開く。
磨りガラスだから私からもおじさんが来たとわかったし、おじさんも私だとわかったから開けてくれた。
日曜日だというのに、やはりこういう事態になってしまうとなかなか外にも出られないのだろう。

「おじさん」
「美弥子ちゃん、久しぶり。この間はありがとう」
「いえ。そんなことより」

焦るように私が言うと、おじさんは短く何度も頷いた。

「うん、入って」

玄関を上がると小さくて急な階段が二階へと伸びている。
大和の家は知っているけれど、こうして家の中に入るのは初めてだった。
考えてみれば大和にいたっては私の家さえ知らない。
こんな時に何ではあるけれど、私たちの仲なんてそんなもんよねと気持ちが少し軽くなってしまった。

「大和。美弥子ちゃんだよ」

おじさんが声をかけると、簡素なベニヤ張りの戸がじわじわと開く。
隙間から見える中は、昼だと言うのに薄暗く、カーテンを閉め切っているとわかる。
おじさんは私を見て軽く首を縦に振り、そのまま階段を降りて行った。
後は私と大和、二人だけで話せということだろう。
私はがっしりドアノブを握って、勢いで一気に開けた。
ドア傍でのっそりと立っていた大和は私を見るなり、涙を滝のように流した。

「み、み、みいくん!」

何度も何度も名前を呼ばれ、私は同じだけ瞬きをした。
大声で泣きつかれて、どうして良いのかわからない。

「おれ、おれ、おれ!」
「わかったわかった」

私は広い大和の背中に腕を回して、ポンポンと叩く。
耳元で大声を出される経験がなかったので、こんなにうるさいとは思っていなかった。
感情を露わにする大和を見ていると、緊張とか動揺はどこかに行ってしまい、何故だか冷静な自分だけが残っている。

「おかあさん! 俺、してないから!」
「わかってる、わかってる。お母さんもわかってる」

ハイハイと言いながら繰り返し宥める。
大泣きの大和は人前に出せる顔じゃない。
ここ数日泣き明かしてきたことが一見してわかるほど瞼は腫れあがっているし、鼻も真っ赤に染まっている。
涙と鼻水の境界線もわからない状態で寝癖のついた頭をしている大和なんか、ヤマトになれるわけがない。
キタさんは何も言わなかったけれど、テレビ会見に渋い顔をした理由はこれではないかと私は思った。
例えどんなに流暢に、作られた台詞をヤマトになりきって喋ったところで、外見がこれじゃあ説得力に欠ける。
というよりもヤマトとして認識してもらえるかどうかさえ問題だ。

「なんでこんなことになるの! 俺、女の子にそんなひどいことしたことないよ!」

相変わらず泣き続ける大和の背中をさする。

「そんなのわかってるよ。大和は被害者だって」
「なんであんな嘘吐くの。どうして皆それを信じるの」

答えは明確であり、そして難解でもある。
あんなくだらない嘘一つで、きっとあの子は落ち目から一瞬だけ浮上した。
それが返り咲く道を照らす提灯か、ろうそくが消える前、一瞬燃え上がるそれなのかはわからないけれど。
少なくない金額が動き、市場ができる。
皆はそれを信じても信じていなくもないと私は分析する。
それはそれだと思われているはずだ。
当然嘘だと言ってくれるファンもいるとは思う。
けれどそれはあくまでごく一部の人のことで、おおよそ全般的にヤマトはただのマネキン扱いしかされていない。
マネキンがどういうことをしようが、またどこで廃棄処分されようが知ったことではない。
ヤマトは綺麗だから皆目にして喜ぶけれど、それに莫大な金額を注いで自分の人生をかけてまでと言う人はやはりそう多い数ではない。
皆他人事なのだ。
人とすら、思っていないかもしれない。
ブラウン管越しの電影に命があることなんて、思われていないかもしれない。
誰もそこに執着しないから、一時期の話題性などあっという間に忘却の彼方。
関係ないから、簡単に忘れられる。
でもそうじゃない人だっている。
信じている人が、必ずいる。

「私は信じてないよ。あんなの嘘に決まってる」

顔の見えない誰かじゃない、私が代表して言う。
うまく言えないけれど、本当のことだけ短く伝えた。
大和はそっと身体を離して、腫れぼったい目で私を見ながらぐずった。

「みいくん」
「はいはい」
「ごめん、みいくん。ありがとう」

するすると鳴き声は収まり、枯れた声でそう言われる。
私は小さく頷いて、笑顔だけ見せる。
がばっと大和は飛び退くように私から離れ、何度も瞬きをした。
何ことかわからなくて、私は立ちつくしてしまう。

「あ、あ」
「何」
「あの! ごめん! ありがとう!」

それはもう聞いた。
大和は一人であわあわとして、それから何度もごめんとありがとうを繰り返した。
話が先に進まないので、私は部屋を出ることにした。
大和はまたありがとうとごめんを繰り返す。
よくわからんなと思いながら階段を降りると、おじさんが心配そうな顔をしてダイニングにあるテーブルに肘をついていた。
私に気付くと少し痩せたような顔で少し笑って見せる。

「ごめんね、美弥子ちゃん。えらく騒いでたけど」
「もう大丈夫みたいです。落ち着いたようですし」
「そうか」

話をしているとぎしぎし音を立てながら大和が二階から降りてきた。

「お父さん、ごめんなさい」
「良いんだよ。気にするな」

全くもってその通りだ。
大和に一切の非はない。
私は優しい二人を見るほどに、なんだか腹が立って来て、憮然とした態度になってしまった。
グラビアアイドルなんて、人を蹴落としてまでしがみつかなくてはいけないご大層な仕事なのだろうか。
いや仕事自体、誰かを蹴落としてまでしがみつくものなのだろうか。
競争は必要だと思う。
けれど、それは正々堂々の競争であるから良いことなのだと思う。
ありもしない事実を捏造してまで、傷つく必要のない人まで傷つけて、それを仕事だと言えるのだろうか。
私が求めている仕事とは、そういうものじゃないはずだ。
考えているうちに煮詰まってしまい、むすっとしている私を見て、大和は心配そうな顔になる。
それを見てはっとし、私は慌てて姿勢を正した。

「キタさんがしばらくの間は仕事も入れていなかったし、休養と思って休んで欲しいって。万が一のことがあったら怖いから、直接連絡は入れなくて良いって言ってた。私がメッセンジャーになるわ」

しっかりした口調で私が言うと、大和はゆるゆると頭を縦に振りながら、事態を確認するべく口に出した。

「みいくんが」
「そう、私が大和の携帯代わりよ」
「みいくん、仕事は」
「それはそれ、これはこれ。出来る範囲で携帯なの」

私がトンと胸を叩いて言うと、なんだか不満そうな顔になって大和は口を尖らせた。

「24時間傍にいてくれなきゃ携帯じゃないじゃん」
「大和!」
「だって」

赤くなったお父さんに窘められても、大和はぶつくさと何か言っている。
大泣きしているうちに、すっかり子どものころに戻ってしまったのだろうか。
ともかく私はぐっと大和を見据えてから口を開いた。

「24時間は無理だけど、極力顔は出すしメールも頑張るわ」
「みいくん一日に二回くらいしか返事してくんないもんね」

メール、得意じゃなくてね。
悪かったわね。
悪態を吐く言葉はたくさん出てきたけれど、それらをぐっと飲み込んで、代わりに大きな声で大和の背中を叩いた。

「今回は緊急事態だから! きちんと、特別に頑張ります!」

いつでもどこでも、大和の傍に行く。
出来る限りで、駆けて行く。
今の私にできることは、きっとそれだけ。
そうしている間に、優秀なキタさんたちがヤマトの舞台を整えてくれるはず。
今の私にできることは、きっとそれを信じることだけ。
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ