きみのこえ

□day 8
3ページ/3ページ

仕事柄文字やニュースは嫌でも見聞きしてしまう。
事態は誰の歯止めも効かぬまま、悪化の一途をたどっていた。
事務所に置かれていた今日のスポーツ紙には、グラビアアイドルがアイドルを辞めてAVに出演することを決めたのだと言う。
新聞の見出しにはでかでかとヤマト、グラビアアイドル、AV出演決定。
この三単語だけが新聞を半分に折っている状態だと見えて、さも二人でアダルトビデオに出演決定したみたいじゃないか。
よくよく読めばヤマト衝撃、グラビアアイドルAV出演決定だったりして本当に破り捨てたくなる。
どうして衝撃の文字だけがこんなに小さく隠れるようになってるんだろう。
時々UFOやカッパのネタが一面を飾るスポーツ紙だから、真実味は当然ないとはいえ、このまま勝手なことをされ続けては困るに決まっている。
キタさん、どうするんだろう。
そう思いながら仕事を終え、帰り道をとぼとぼと歩いていたところでキタさんに声をかけられた。
今から私に会いに行こうとしていたんだよと言われ、車の助手席に誘われた。
家までの短い道、送ってもらいながら話をする。

「ちょっとさすがにオジサンにはついていけないかなあ」

キタさんは乾ききった笑い顔をしている。
確かに私にもついて行けない。
元々グラビアアイドルを引退したくないがための、売名行為だったんじゃなかったのか。
けれど今考えてみたら、それすら隠れ蓑だったのかもしれない。
もし初めからアダルトビデオへの転身を考えてのことだったとしたら、今日までのメディア露出は想像以上の効果だっただろう。
数年前人気若手女優の入浴シーン盗撮映像が数分だけという短い上に極粗い画像だったにも関わらず、一時は数万円で取引されていたというのだからそれも十分あり得る。

「肉食系女子って言うの? ちょっと、たかが小娘と思って舐めてたなあ」
「肉食系か小娘か知りませんけど、こんなことって許されるんでしょうか」
「一応事務所から事務所に宛てて抗議はしてるんだけど、向こうも本人の勝手な判断で困ってる、の一点張りでさあ」

事務所の対応も確かに不自然ではあった。
困っていると言いながら、連日のテレビ出演を本人一人が調整できるとは思えない。
もし手元に残しておきたい大事なアイドルなら、横っ面引っ叩いてでも謹慎させただろうと思うし、考えれば考えるほど小娘の所業ではない。

「もうあの子、本当に見てるだけでむかむかする。車にでも轢かれてドブに塗れて消えてくれないかな」

更に乾ききった笑いで顔にヒビが入って、表面下にある顔が覗く。

「キタさん、らしくないですよ」
「あはははは。そうだよね。ボクもこんな一面あったんだって驚いてる」
「何とか、できないんですか」

ひどく他人本願ながら、きっと騒動は鎮静化すると思っていた。
キタさんや、キタさんの上司だって今のままでは困るに決まってる。
だから何か良い方法で魔法のように簡単に、あっという間の解決を望んでいたのに、結局現実はそう甘くはないらしい。
ステアリングを握るキタさんの手がぎゅうと握りこまれているのが見えて、私は思わず目を逸らした。
何故だかそれを見てはいけないような気がした。

「理想的には言い出しっぺが、嘘でしたゴメンナサイってテレビの前で土下座すれば丸く収まる」
「それは無理でしょう」

あの子はAVに出るのだと言った。
とかく性風俗に関する業界はあまりよろしくない家業の人が関わっている。
軽い稼ぎならまだしも、おそらくはここ十年ないほどのでかい当たりが待ち構えている。
それをわかって、親分たちが出張らないとは考えにくい。
そしてその人たちがいる限りは、話が立ち消えることも考えられない。
もちろん、立ち消えさせることさえ許しては貰えないだろう。
あの子自身、今は崖っぷちなのかもしれない。
考えると少しぞっとする。

「そろそろ本人が出なきゃいけないのかもね」

少しだけ小さな声になったのは、キタさん自身その言葉に自信を持てなかったからだろう。
瞳がじんわりと寂しい色に染まっている。
細い糸を手繰り寄せるような、まるで自分で自分の言葉や考えを確かめるようなその色に、私も心が重くなるのを隠せない。

「大和には、難しいですか」
「どうだろう。こういう事態は想定してなかったし、ヤマトくんにどこまで出来るか」

トーク番組にはほとんど出たことがなかった。
セリフを読むだけならできるけれど、会見場ともなればそんな脚本通りに事を進めては貰えないだろう。
全てを丸投げするのは無責任だけど、今ここまできて、最早それ以外に手段がないというのも事実。
もしかすると好転するかもしれない。
うまくヤマトになりきれれば、解決するかもしれない。
まだ私はそんな夢みたいなことを心のどこかで求めている。
キタさんはそれを知ってか知らずか、丁寧な言葉で私に確かめる。

「それより一つ気になってることがあるんだけど」

私はキタさんの横顔を見つめる。
信号が赤に変わり、失速する車内でキタさんは静かに言った。

「美弥子ちゃん。ヤマトくん、本当に高卒認定試験、受かるかな」
「え」
「正直、それが今一番心配だよ」

考えても、見なかった。
情けない。
あんなに応援していたのに。
どうして、いつから、私はヤマトのことばかりを考えていたのだろう。
当然今の長期休暇もそれに向けてだと頭ではわかっていた。
わかっていたはずなのに、私が今すべきことは、こんなどうしようもない、解決策もない現状にイライラすることしかできなかった。
もっときちんと大和のことを考えていれば、試験が何よりも大事なはず。
例えヤマトがスポットライトの光の中から消えても、大和はその先もずっと生きて行ける。
最悪の状況はヤマトが消えることじゃない。
大和が未来に行き詰ってしまうこと。
あまりにも情けなくて泣きそうになる。
泣いたら、もっと情けない。
不自然に近い笑顔を作って、私は大きな声で答えた。

「大丈夫ですよ。過去問題とか結構やってますし、毎回余裕で合格ラインですから」
「ごめん、聞き方が悪かった」

キタさんは微かに首を横に振る。
深い溜息が私の身体を押し潰しそう。

「今の状態で、ヤマトくんは試験を受けて受かるのかな」

当然だ。
きっとここ何日もまともに勉強していない。
精神的にも不安定だろうし、すぐそこに迫った試験に万全の準備をしたとは言えない。
一体何のために長期休暇を取った。
今回がラストチャンスだからだろう。
次はもうない。
ヤマトはもう一個人のキャパシティを超えている。
日本国内が目標ではないことくらい、私にだってわかる。
国内外を行き来しながら、活動を続け、更に広げ、今より確実に忙しくなるこれから先に、再びの長期休暇など考えられない。
もしもあるとすれば、今回の騒動に打ち負けて、大和個人に戻るその日。

「受かり、ますよ!」

喉を絞って出した声が、思った以上に大きくて、自分が一番びっくりした。

「こんなことくらいで、負けてられないじゃないですか。嘘吐き女に足引っ張られるくらい、大和にはなんてことないです!」

こんなことを言う自分にも驚いている。
私はこういうことをいうタイプの人間じゃなかったはず。

「ていうか、むしろバッチリ試験合格して、がんがん全国に写真集販促ツアー出ちゃえば良いんですよ!」

エキサイトして行くのが自分でもわかる。
声がどんどん大きくなる。
でも、止められない。

「何だったら復活ライブでもかまして、この怒涛のスケジュールの為に体力温存していたんだって思わせたら良いんです!」

そこまで言い切ったところで、キタさんは笑った。

「美弥子ちゃんがそんなに強気で喋るの、初めて見た気がするよ」
「そ、そうですか」

私もこんなことを自分が言うとは思っていなかった。
いつもは前向きなことも、この先の展望も私じゃない人が勝手に言ってくれる。
それに私はただついて行くだけ。
一歩引いて、温度の伝わりにくいところで無表情をしていた。
傷つきたくなくて、結果に左右されないくらい遠いところに座っていた。
でも今は違う。
別の世界の話じゃない。
私の声が届く範囲のことだと思えば、いくらでも話ができる気がした。

「でも、そうだね。そういうのが一番、ヤマトくんらしいのかもね。気を使って喋るようなキャラじゃないよね」

キタさんが微笑んで、車は緩やかに発進する。
私の両手はまだわなわなと震えている。
大きな声を出すと体中痺れるんだということを初めて知った。
それとも誰かに同意してもらえたことが嬉しくて、こんなにも震えているのだろうか。
キタさんは頭の中でいろいろ考えているらしくて、ぶつぶつと何か言った後に小さな溜息を吐いた。

「うーん、でも今から衣装新調するとどのくらいかかるんだろう」
「お金かかるんですか」
「ああいうところって、結構時間かかるんだよ。特急料金ってどのくらい上乗せされるんだろう。いつも余裕持ってでしか頼んだことないから」

その口調に誤魔化しはないとわかる。
本当に、ヤマトはライブをするかもしれない。
私の言葉がきっかけだなんて図々しいことは思わない。
だけどキタさんの背中を押す一つになれたかもしれないと思うのは、きっと許してもらえる。

「あの!」

まだ痺れは取れない。
喉も痺れているのかもしれない。

「私に、作らせてください」

それで、こんなことが言えるのかもしれない。
目の前には夕陽が広がる。
あの日、あの教室で私と大和を染めた赤い色。
その色に今も囚われている。
温かくて眩しい、あの光の色は、きっと私の目指すところ。
私がどこまで、できるのか。
嘘も誤魔化しもない、私にできること全て注ぎ込む。
だから大和に見ていて欲しい。

「私、大和の衣装、作りたいです!」



続く
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ